1-6
「うーん、たぶん日付けとかだと思うんだけど……」
古書の埃っぽい匂いに包まれた教室。
まだ頂点に達してない太陽の光が、小学校カーテンを黄色く染め上げ
時折吹き込む風が、その黄色いカーテンを大きく膨らませていた。
ここは図書室。
教室の椅子とは違う大人が使うような椅子。
所々いたずら書きが目立つ木製の大きな机。
沢山の本が積まれたスチール製の本棚。
そんな独特の雰囲気が小学生には不人気なのか、僕ら以外に人影は無かった。
そこで僕らは向かい会って座っている。
ただ、当初の目的である本を読んではいない。
このありえない状況の唯一の手掛かり。
僕が未来で貰った懐中時計について話し合っていた。
「これって、それぞれ独立した3つの時計が合わさって一つの時計になっているんだよね?」
無造作に机に投げ出された懐中時計。
それを佐藤さんはツンツンとつつく。
確かに、これには3つの独立した目盛りがあった。
上、左下、右下の三つ。
それぞれが別に動き、目盛りの数も、針が指す場所もまるで違う。
不思議な時計だった。
「うん。一番上の時計は、現在の時刻を表してると思うんだ。ほら、目盛も普通の時計と変わらないし、この部屋にある時計と指してる時刻は同じでしょ?」
僕は懐中時計の一番上にある目盛りを指でコツコツと叩く。
そして、反対の指で図書室の壁に掛けてある時計を指す。
「なるほど。一緒だね~。じゃあ、左下の時計は?」
「たぶんだけど、今日の日付だと思う。ほら、短針と長針の目盛がそれぞれ独立していて、短針が12個、長針が30個でしょ?」
「あー、ほんとだ。じゃあ、今日は10月6日だから、短針が10、長針が6を指してるのね」
「まぁ……予想だけどね」
「すごいね!この時計!」
佐藤さんパァと明るい表情を浮かべる。
……可愛い。
そう思った瞬間、僕は慌てて佐藤さんから視線を懐中時計へと戻す。
「で、でも、最後の一つが分からないんだ」
「右下にある時計?」
「うん。目盛りも100個と無茶苦茶。それに短針と長針の二つ。時計なのかすら分からないよ」
「そうだね……全然わからないね」
佐藤さんは、困ったように首を傾げていた。
時計の最後の目盛り。
これが全く意味が分からない。
「あっ!」
「どうしたの?」
「ううん、もしかしたら!と思ったんだけど、たぶん違う……かなって」
佐藤さんは嬉しそうに声を上げたが、すぐに萎んだ風船の様に小さくなってしまう。
「いや、間違いでもいいから聞かせて。もしかしたらヒントになるかもしれないし」
「うん。じゃあ、変な事言うけど……。まず上の時計が今の時間を表していて、左下の時計が今日の日付を表してるなら、最後のは右下の時計は今の年代かなって」
「年代?つまり西暦って事?」
「……うん」
なるほど。
あながち間違いでもない気がする。
時間、日付、その次に来るのは年であっても不思議じゃない。
むしろしっくりと来る。
「西暦で考えて短針が上2桁、長針が下2桁だとすれば100個の目盛も納得できるかなって……でもね。それだと指してる年代が2000年になっちゃうんだ」
「なるほどね……あれ?でも、今何年だっけ?」
あ、不味い。本気で分からない。
「えー。1997年だよー」
「あ、あはは、そうだったね」
墓穴を掘ってしまった……。
「えぇ~、しらなかったんでしょ~」
「うん……」
「ふふっ、勉強しなきゃだね」
そう言った佐藤さんの表情は、少しいたずらっぽい笑顔だった。
その顔を見るだけで、僕は上手く笑えなくなってしまう。
「なんかさぁ、今日の直樹君なんか、ちょっといつもと雰囲気が違うよね」
「へ、へぇー、なんでそう思うの?」
図星を突かれ、少し声がうわずってしまった。
「うーん、なんていうか私の話を凄く丁寧に聞いてくれるっていうか……大人?っていうか」
凄い……確信を突いている。
いや、いつもの僕の様子がアレだから余計に目立ってしまったのかもしれない。
(ん?でも、隠す必要もないか?)
冷静に考えてみれば現在の状況を誰かに話してはいけない。
そんな制約がある訳でもない。
もし、理解してもらえるならそれは心強い味方になるし、色々と融通も効く。
なにより信じて貰える唯一の機会かもしれない。
(なら、話してみてもいいかな)
この異常事態をだれかと分かち合いたい。
どこか心細い。
正直そんな気持ちが拭えないのも事実なのだから。
「……実は秘密にしてる事があるんだけど、みんなには内緒にしてもらえる?」
「うん!もちろんだよー!」
興味津々。
佐藤さんはそんな感じだ。
「こんな事言っても信じて貰えないかもしれないけど、僕は26歳なんだ。」
「えっ?」
「本当の僕は26歳の会社員で、今朝起きたら子供の姿になっていたんだ。原因は分からないけど、たぶんこの時計が関係している。だから、信じられないかもしれないけど、今の僕は26歳のお兄さんなんだ」
「……」
僕らの間を風が通り抜ける。
図書室のカーテンはゆっくりと膨らみ、そして静かに萎んでいく。
カーテンの布が擦れ合う僅かな音だけが、教室内に響いていた。
「あんまり、面白くないかも……」
「……だよね」
少女の困った様な表情が僕に現実を教える。
そうだ……やっぱりこんな話受け入れられるはずがない。
子供相手に何を期待しているんだろう。
馬鹿じゃないか?僕は。
「だよね!ごめん!忘れて、分かりにくい冗談で本当にごめん!」
僕は両手を顔の前で合わせ、謝罪する。
「冗談……だったんだよね?」
「うん、ちょっと分かりづらかったよね……次は、次こそは上手くやるから!」
「期待しておくね?」
佐藤さんは苦笑ともとれる笑みを浮かべている。
そりゃそうだ。
こんな話、信じられる訳がない。
変人だと思われないだけでも御の字だ。
だから、もう二度とこの事は他人に話さない様にしよう。
「あっ、もう少しで休み時間終わるし戻る?」
「あー、そうだね、そろそろ戻ろうか」
気が付けば休み時間の終わりを迎える時間になっていた。
(何をしてるんだろうな……僕は……)
……子供に頼る。
そんな自分の弱さを情けなく思いながら、僕は佐藤さんと教室へ戻った。
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「えーと、これで終わりかな」
僕はよく絞った雑巾を片手に、給食を配る際に使用した配膳台を片付ける。
今は昼休み。
男子はいつもの様に我先にと外へ遊びに出かけ、女子は外に遊びに行くグループと教室でお喋りするグループに分かれている。
僕(正確には佐藤さんと僕)は、運悪く日直だった。
だから、給食を配る際に使用した配膳台の用意や片付けをやらなければいけなかった。
だけど、日直の事をすっかり忘れていた僕は、配膳台の準備を無意識に佐藤さんへ押し付けてしまった。
だから、後片づけは自動的に僕の担当となった。
幸い片付けは自体はすぐに終わり、後は使った雑巾を干すだけなのだが……。
「はぁ……」
溜息がこぼれてしまう。
今日、何度目か分からない。
理由は明確。
教室の奥に数人の女子が一団となって固まっているのが目に入ってしまったからだ。
その一団の中心に佐藤さんがいて、その周りにはさっき僕をからかってきた野村さんとその取り巻きが囲んでいる。
詳細は分からないが、ここからだと一対他で虐められているようにしか見えない。
(さっきの休み時間でからかえなかった反動だろうな……)
話している内容はまったく聞こえなかったが大方の予想はつく。
佐藤さんがあんな目に合っている原因は僕なのだ。
僕を庇ったりしなければあんな目に合う事もなかったはずだ。
別に“助けてくれ”と頼んだわけではないけれど、他人から受けた善意を忘れる程僕は落ちぶれちゃいない。
だから僕は、すぅーと大きく息を吸い込む。
「佐藤さんー。先生が日直に手伝ってもらいたい事があるから、ちょっと来てだって」
大声を張り上げ佐藤さんを呼ぶ。
一時、教室に残っていた全員から注目を集めるが、あまり面白そうな話題でもない為、皆すぐに興味を失ってしまう。
「あ……うん、今いく」
佐藤さんは、返事と共に集団から抜け出して小走りで駆け寄ってくる。
これで至極真っ当な理由であの集団から抜け出すことが出来る。
僕は持っていた雑巾をバケツに放り投げ、佐藤さんと一緒に廊下に出る。
「先生。何処に来いって?」
「ん~、図書室にでも行こうか」
「えっ?なんで?」
佐藤さんは、困ったような表情を浮かべる。
そりゃそうだ。
理解出来る訳がない。
だって、全部僕の嘘なんだから。
「あれ?先生は図書室にいるの?」
「ううん。先生はいないよ」
佐藤さんは、眉毛を八の字にしている。
まぁ、訳がわらかないんだろう。
「ごめんね……佐藤さんまで巻き込んじゃって」
「どういうこと??」
「嫌がらせが佐藤さんの方まで向いちゃって」
「あ!もしかして、今の……野村さん達のこと?」
「うん、原因は僕なのに対象がそっちに向かっちゃったみたいで……だから、嘘ついて呼び出しちゃった」
「あ~、そういう事なんだ」
佐藤さんは、フフッと笑い、妙に上機嫌な声で反応する。
まぁ、あの状況から解放されれば機嫌も良くはなるだろう。
正直、僕もあの陰険さには本気で腹を立てていた。
本人だけならまだしも、それに関与した人まで嫌がらせをするなんて、テロリストと発想がまるで変わらない。
「それで、さっきは何言われたの?あんまり酷い内容なら少し考えないとね」
「……別に……何でもないよ」
佐藤さんは顔を赤らめて下を向いてしまう。
そんな反応をしたら何かあった。と言っているのと変わらない。
たぶん付き合ってるんでしょ?とかありもないしない事で色々とからかわれていたのだろう。
小学生の頃には良くある事だと思う。
「ごめんね……ほんと……」
僕は頭を下げる。
本当に巻き込んで申し訳ないと思う。
「それより図書室いこ。ここで会話してるのもおかしいでしょ?」
佐藤さんは言う。
確かにその通りだ。
こんな風に会話している所を見られたら、それこそ面倒な結果になる。
「そうだね。こんなとこ見られたら逆効果だね。」
僕らは視線を合わせ軽く笑い合う。
そして、僕らは急ぎ足で逃げるように図書室へと向かった。