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3-1


飾り気のない無機質な病室。

窓を覆うカーテンは、太陽の光を反射し部屋全体を薄い乳白色に染めあげている。


そんな病室のベットの上。

そこには、薄い緑色の病衣を着た一人の女性が腰かけている。


表情は分からない。

でも、僕をじっと見つめてる事は分かる。


僕はその女性に必死に声をかけようとするけど、声が出ない。

何かを喋ろうとする度、言葉の代わりにただ空気がスゥーと抜けていく。


すると、その女性はベットから立ち上がり、フラフラとした足取りで僕の方へ向かってくる。

肩を揺らしながら、本当にゆっくりと……時間をかけて……


その間にも、僕は必死で声を上げようとしていた。

でも、言葉の代わりに出るのは空気の塊だけ。


ただの一言だって、発する事が出来なかった。


女性は、僕の目の前までやってくるとわずかに微笑む。

そして、細く白い手を僕の首へと伸ばしてきた。


驚く程冷たい手。

それが、僕の首にゆっくりと巻きつく。


優しく僕の首に当てられたその手。

それは徐々に力を増していき、ついには僕の首を締め付け始めた。


驚いた僕は、慌ててその手を振り解こうとする。

でも、女性とは思えない力でまったく歯が立たない。



「あなたなんかと出会わなければよかった」



女性はポツリと呟く。

その一言は僕から一切の抵抗する意思を奪い去ってしまった。



(やっぱり恨んでいる)



そう確信してしまったから。


“ごめんなさい”


その一言を伝えようと、僕は何度も何度も叫んだ。

でも、口からは大量の空気が漏れていくだけ。

何も出来なかった。


そんな僕の様子を見た女性は、満足そうに微笑むと手の力をさらに増していく。


苦しい。


息も出来ず、ただあり得ない力で締め付けられる僕の首。

体の中からキシキシと軋む音が響き、そして”ゴキンッ”と鈍い音が病室に響き渡った。





バサッ

毛布がベットから滑り落ちる。


僕が飛び起きたせいだ。



「夢……」



嫌な……夢だった。

美紀が僕の首を絞める夢。


いまだに、首を絞められた感触がじっとりと残っている。


着ていた寝間着は汗でぐっしょりと濡れていて、のどもカラカラだ。

それに体も凄く重い。



「ここは……?」



ふっと周りを見渡して、ある変化に気が付いた。

ここは、見たこともない家。


いや、正確には記憶にだけ存在する場所。


今、僕は大学生となり一人暮らしをしている。

でも、本来の僕は学生時代に独り暮らしをした経験はない。



「そういえば、美紀は!」



ハッと昨日の出来事を思い出す。

でも、それは今から4年も前の出来事だ。


そして、その後の顛末まで全部知ってしまっている。



(でも、もしかしたら全部夢かもしれない。)



ずっと、長い長い夢を見ていた。

そんな微かな希望に縋る気持ちで、急いで腕をめくり右腕の状態を確認する。


そこには、手首から肘にかけて大蛇の様な大きな手術跡が残っていた。

一生消える事のない大きな傷。



「夢じゃないんだ……よな」



当然だ。

自分の記憶の中に全ての記憶がある。


もはやどんなに望んでも、結果は変わらない。


僕は重い体を無理やり起こし、台所まで歩く。

そして、コップに水を注ぎそれを一気に飲み干す。


乾いた喉を潤す為に。


コン。


空になったコップの乾いた音。

それを合図に、僕はゆっくりと自分の記憶を辿る。


あれから。

事故で昏睡状態に陥ってから、美紀は一度も目を覚ましていない。


4年前のあの日から、僕は毎日美紀のお見舞いにいった。

1日も欠かすことなく、毎日……毎日……。


点滴からの栄養補給に頼るしかない美紀の体は、お見舞いに行く度に……細くやつれていった。

艶やかな髪も、透き通るような白い肌も……その輝きを日に日に失っていくのが分かった。


そんな状況なのにも関わらず、お見舞いに行く度美紀の母親は僕に優しく接してくれた。

その事実一つ一つが、とてつもなく苦しかった。


恨み言の一つでも言ってもらえれば、もしかしたら気が楽になったのかもしれない。

でも、実際言われたら精神的にも耐えられた自信はない。


とにかく逃げ道が欲しかった。

ただ、それだけだった。


“僕のせいでこんな目になった”


その事実が辛くて……逃げ出したくて、どうにかなりそうだった。


普段の僕は、未来の記憶もないくせに。

その事実だけは心がはっきりと覚えていてずっと僕を責め続けた。


僕が美紀を不幸にしたんだ……と。


そんな状態が数カ月続き、僕は高校3年の受験生となった。

そんな時、僕に逃げる場所が出来た。


それは、受験勉強だった。


勉強をしている時間。

その時間だけは、集中して良い。


美紀の事も、なにもかも考えなくていい。

僕も、周りの人間も、親も先生も全ての人が同意してくれる。


そんな逃げるまっとうな理由が出来たのだ。


僕はすぐに飛びついた。


勉強している時だけは、美紀の事を考えなくていい。

自分を責めなくても許される。

そう思ってしまったのだ。


その思いは、僕の心に麻酔の様な効果をもたらした。

僕はその痛みから逃げる為、誤魔化す為に、出来るだけ多くの時間を受験勉強に費やした。


昼も夜も寝る間も惜しんで……もう他の事なんて考える余裕なんてない位に。



その結果、僕は国内最高位の大学に行くことが出来た。

そして、学校までの距離を理由に一人暮らしを始めた。


もう、美紀の事を知っている友達、さらには家族にも会いたくなかった。

嫌でも美紀を思い出してしまうから。


そして、大学に入り一人暮らしを始めた僕は、全てを忘れようと大学生活を謳歌した。

いや……しようとした。


飲み会や、サークル活動に頻繁に足を運び、暇な日が無いようにバイトも目いっぱい入れた。

そして、サークルやバイトで知り合った女の子と何人も付き合い、そして別れた。


誰でもよかった。

寂しさや辛さ、自分のしたことの重さを忘れさせてくれる人ならだれでも……。


だけど、何人と付き合おうが、何回“愛してる。”と囁こうが、心が満たされることはなかった。

一人になれば、麻酔の切れた心の痛みに押し潰されそうになり、ひょんなことから胸に抱えた大きなものを吐き出したくて、叫びたくて堪らなくなる。


そして、大学で知り合い、付き合った新しい彼女の笑顔を見る度に、美紀の最後の笑顔を思い出してしまう。

自分の命よりも、僕を気遣ってくれたあの笑顔。

もう、どうしようもなく辛かった。


理由は、明確だ。

自分への嫌悪だ。


僕が美紀の人生を奪った……という自分への嫌悪。


そこまで、思い出しもう一度、水をコップに並々と注ぎ一気に飲み干す。


最低な気分だ。

ただ、逃げただけ。


美紀をあんな目に合わせたという負い目から、現実から目を背け逃げ続けた結果がこの現状なんだ。


ピリリリリッ


不意にベットの上に放置された携帯が鳴る。

ゆっくりとベットまで戻り携帯を確認する。


こないだ飲み会で知り合った女の子から遊びの誘いのメールだった。


最低な気分に追い打ちがかかる。

考えが纏まらない。

いや、纏まらないんじゃない。


思考そのものをする気が無い。


今の僕は、昔の僕が考える最高の人生を歩んでいる。


一流の大学へ行き。

バイトやサークルで沢山の人と人間関係を築き。

そして、異性との交流も絶えない。


誰が見たって人生を謳歌している人間だ。

昔の僕なら、間違いなく理想としてるはずの人生。


そう、理想の人生。



「……こんなの望んじゃいない」



皮肉にも、理想の人生は最愛の人を犠牲にして得たものだった。

人生をやり直すきっかけを貰い、理想通りに修正した結果。


でも、本来美紀はこんなことにはならなかった。

そう……本来なら。


もう涙さえ出てくることは無い。

あの日から、そういった感情が完全に凍り付いているかのような錯覚さえ覚えてしまう。


僕は、ベットの脇に落ちているこの奇妙な出来事の原因である懐中時計を手に取る。


この不思議な出来事の発端である古い懐中時計が次に指し示している年。

それが2012年だ。


その年は、僕がこの時計を手に入れた年。

つまり、今日が過ぎればたぶん僕は元の時間に戻る。


そして、恐らくこの不思議な出来事は終わりを迎えるのだろう。


前の幸せでも不幸でもない平凡な人生から、美紀を犠牲にし、僕が望んでいた全てのステータスを手に入れた人生に書き換わって。



人生をやり直せる。

僕はその幸運を得て有頂天になっていた。


偶然得た幸運……

いや、人類がどんなに望んでも得られない幸運を、疑う事無く享受しその変化を受け入れた。


それが、前よりも不幸な結果をもたらすなんて考えもせず。


たった一つの不思議な出来事が最高の幸せをもたらすのであれば、その逆……最悪の不幸をもたらす可能性もあったはずだ。


その事を考える度、認めようとする度、自分の浅はかさを嫌でも実感し所構わず叫びたくなってしまう。


その思いは時間と共に強くなり、その気持ちを抱えたまま僕は一人で家にいる事は出来なかった。



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