2-5
「落ち着いた?」
泣きじゃくる梢をベンチに座らせて、ゆうに30分以上の時間が経過していた。
梢は目が充血している事を除けば、見た目だけはいつもと変わらない状態まで落ち着いている。
ただ、僕たちの間に流れる重苦しい雰囲気がいつものそれとは決定的に違っていた。
「うん……ごめんね」
「もういいから」
梢は、ゆっくりと深呼吸するように言葉を吐き出す。
もう責める気にもならないし、例え責めても結果は変わらない。
ただいたずらに過ぎていった時間が、そんな心の余裕を僕に与えてくれていた。
「うん……」
いつもの梢とは違う、小さくて弱弱しい返事。
それは周りの子供達の楽しげな声に掻き消されていく。
「今考えるとね……うまく言えないけど、嫌……だったの」
「嫌?」
「さっきも言ったけどね、直樹君に彼女がいる事知ってたの」
「うん」
「前にね、部活の練習試合で仲良くなった子が直樹君と同じ小学校でね。その子から聞いたの」
「でも、じゃあなんで?」
「……何度もね」
梢は遠くを見るように目を細める。
よく見れば泣き腫らした瞳に、再び涙が薄らと溜まっているのが分かった。
「駄目だよ。諦めなよ。って、自分に言い聞かせてたんだ」
また、梢の声が少しずつうわずっていく。
「でもね、諦めようとしても、気が付けば直樹君を目で追っている自分に気が付いて、会話をするだけで堪らなく嬉しくて……苦しくて……」
梢の声は、言葉を重ねる度に段々と震えていく。
「だから、このままじゃきっと後悔する。ダメならダメで良い。思いっきり気持ちをぶつけよう。そして泣こうって思ったの。私は馬鹿だけど、後悔だけはしたくなくてさ」
そういって、梢は笑顔を作る。
その笑顔から。
泣きはらしたはずの飴色の瞳から、もう一度ゆっくりと涙が伝っていく。
「だけど、直樹くん彼女さんを目の前にしたらさ……今まで見たことも無いような優しい顔になってて。なんで、どうしてその対象が私じゃないの?ていう気持ちが抑えられなくて……」
そのまま、涙を流しながら梢は話続ける。
「壊してやりたいって思っちゃったの」
梢は鼻をズッとすすり上げ、乱暴に涙を浮かべ。
そして、もう一度笑顔を作る。
無理矢理作り出した笑顔。
そして、彼女の本当の気持ち。
その言葉の一つ一つが胸に沁みる。
それは、嘘偽りない本当の言葉だから。
それに、分からない事じゃ無い。
……僕だってそうだ。
僕も高校生の頃、本当に好きだった女の子に告白して断られた事がある。
彼女の為なら何でも出来たし、幸せな未来だって描くことが出来た。
でも、それは……その思いは叶わなかった。
それから数か月後、その好きだった子が部活の先輩と一緒に笑っているのを見た時……付き合っているのを知った時。
何で一緒に笑っているのが僕じゃないのか。
隣にいるのが先輩なのか。
羨ましさや嫉妬が入り混じった複雑な黒い感情を抱いてしまった。
そして梢と同じように“壊してやりたい。“と思ってしまった事がある。
きっとそれは、本気で人を好きになりそれが叶わなかった時、誰でも抱く感情だと思う。
だから、その感情を抑える為に、乗り越えるために、人は自分に嘘をつき我慢を覚えていく。
それを知っているからこそ……経験しているからこそ梢の気持ちや思いが痛い程理解できてしまう。
本当に真剣に僕の事を思ってくれている事も。
そしてそれが叶わないときの辛さも。
全てが……どうしようもない位に。
「ごめん」
でも、だからこそ、きちんと伝えなきゃいけない。
僕の気持ちを、今思ってるそのままの気持ちを……。
梢の為じゃなく、僕が本当に大事な物を失わない為に。
「僕は梢とは付き合えない。僕は美紀が……今の彼女が好きなんだ。あいつが今の僕にとって全てなんだ」
だから、僕も心からの正直な気持ちを伝える。
「うん」
一瞬の間をおいてゆっくりと梢は返事をする。
「大丈夫だよー。知ってたもん」
それは、いつもの口調だった。
「へへ、なんかきちんと聞いたら、すっきりしちゃった」
元気よく返事をしているが、その態度や言動とは裏腹に目から大粒の涙が止まることなく溢れている。
「優しいね、梢は」
「そうでしょー、こんな気立てのいい子振ったなんて、一生の後悔もんだかんね」
泣きながら、笑いながら一生懸命元気な子を演じている。
「間違いないな」
「ほんと……後悔しても遅いんだ……か……」
でも、もう、その演技も限界に達した……らしい。
最後まで言葉が出てきていない。
自分の感情をコントロールする事が出来なくなってしまっているんだろう。
「……美紀を追いかけなきゃいけないからさ、もう行くね」
そんな様子を見ながら僕は冷酷に告げる。
「うん……行って……らっ……し……」
梢はもうしゃべる事もままならなかった。
それでも、必死になって笑顔を作り出してくれる。
これは、勝手な僕の想像だけどきっとここで辛い表情をしたら、僕が美紀の後を追えなくなる。
そんな風に思っているんだろう。
この面倒な事を引き起こした張本人の癖に。
それを自分でも分かってるんだろう、だから感情を押し殺してまで笑顔を作っている。
その笑顔からは、大人の狡さなどは感じられない。
本当に一生懸命作り出している笑顔だ。
本当にムカつく位我儘で、呆れる位優しい奴だ。
その姿に、その気持ちに。
僕は、心の中で深く深く礼を言う。
そして、僕はそのまま……梢の座るベンチから走って離れた。
(たぶん、梢はあのまま暫くあそこで泣き続ける……)
確信にも近い思いが、容赦なく僕の胸を圧迫する。
でも、僕はあのまま隣にいてあげることは出来ない。
優しくすることもしてはいけない。
不器用で、馬鹿で、気のいい優しい奴で、それでいて凄く可愛い奴だけど、僕にはあいつ以上に大切な人がいる。
僕の一番大切な人。
僕が守りたい人。
それが梢じゃないのだから、僕は梢に優しくするべきではない。
あいつを、梢を選んであげられない以上。
僕に出来る事なんてない。
しちゃいけない。
(ごめんね……)
僕は、心の中で呟く。
僕が選ぶのは梢じゃない、美紀だ。
そう決めたのなら後は、行動するだけ。
「絶対に後悔だけはしない」
将来の自分が、あの時もっと頑張っておけばよかった。
挑戦しておけばよかった。など
そんな情けない事を絶対に言わない様に。
◆
“おかけになった電話は電波の届かない……”
そんな機械的な声が繰り返し聞こえてくる。
いったい今日だけで、何回この無機質な声を聴いたか分からない。
でも、この方法以外に美紀と連絡を取る手段が思いつかなかった。
あれから……梢と別れてからやみくもに公園の周りを走り回ったが、美紀は見つからなかった。
当たり前だ。
梢とのキスを見られてから、ゆうに一時間近く経過しているのだからこんな所にいる訳がない。
(どこに行けば会える?)
焦りの様な気持を抑え、必死に考える。
今日中に誤解を解かなければいけないのだから。
今日だけしか今の……26歳の僕は存在しない。
明日になれば当時の中学生の僕がこの難問に対処することになる。
中学生の僕がこの難題を華麗に解決する。
そんなのありえない。
宝くじに有り金全て投資するよりも分が悪い。
怒っている美紀に誠実に謝り、逆ギレすることなくしっかりと話を聞いて解決策を見出す……。
出来ると思うか?
無理だ。
今日隕石にあたって死ぬ方がまだ現実味がある。
下手な意地やプライドが邪魔して“ごめんなさい”の一言すら言えるか怪しい。
だからこそ、今日解決しなきゃいけない。
それが分かっているから、焦る気持ちが抑えられなくなってしまう。
何で今日に限ってこんな難題が起きるんだ!と、やり場のない怒りすら湧き出てしまう有様だ。
「あぁー!もう!どこにいるんだよ!」
時間は無限じゃない。
そして、僕に残された時間は決して多くはない。
その事実が僕を焦らせイライラさせる。
(今日は家に帰れないかもしれないな……)
そんな思いが頭をよぎる。
(ん?帰れない?)
自分の言ったその言葉に引っかかる。
(僕はともかく、美紀は何処へ帰るんだ?)
そうだ、簡単な事だ。
僕等はまだ中学生なんだ。
どんなことがあっても外泊という選択肢は無いに等しい。
なら、確実に会うためには直接家に行けばいい。
なんでそんな事を見落としていたのか小一時間自分に詰め寄りたいが、そんな事をしている暇はない。
一刻も早く美紀に会わなければいけない。
幸い何度か美紀の自宅には、小学生の頃何度かお邪魔したことがあるので場所は知っている。
多少距離はあるが大した問題ではない。
少しでも希望が見えたのであれば、臆面もなくそれにすがる。
誰の為じゃない。自分の為に。
次の瞬間、僕は全力で美紀の自宅へと駆け出していた。
◆◆
とある団地の5階。
打ちっぱなしのコンクリートで囲まれている廊下は、なんだか砂っぽい石の匂いに満ちている。
でも、凄く懐かしい匂いで嫌いじゃない。
昔僕の住んでいた団地の階段や廊下も同じ様な匂いで包まれていたからだ。
10年後には、こんな団地もすっかりと数を減らしこの独特な匂いも、慣れ親しんだコンクリートの階段もなくなってしまうのだけど。
ただ、今の僕はそんな余韻に浸る余裕なんてない。
頭の中では、何度も何度も呼び鈴を鳴らした後のシュミレーションが繰り返され、さっきの出来事を美紀に説明する手順を何度も暗記するように確認している。
ここでヘマをしたら全てが終わり。
そんな気負いが重いプレッシャーとなって伸し掛かってくるせいだ。
でも、行動しなければそれこそ終わり。
いくら時間が経過しようが解決する問題じゃないのだから。
なら、やるしかない。
「うしっ!」
肺に残っていた空気を一気に押し出して、呼び鈴を押す。
“ピンポーン”
どこか懐かしい呼び出し音が、家の中から響いてくる。
暫くすると”はーい”という声とともに、美紀をそのまま成長させたような長髪の女性が出てきた。
美紀の母親だ。
「あら、珍しい。直樹君じゃない。どうしたの?」
(あ……)
不味い。
頭の中で何度もシュミレーションしていた事が完全に飛んでしまった。
美紀の母親が出てくるなんてこと想像していなかったせいだ。
普通に考えれば、美紀の母親の存在を忘れる方が難しい。
でも、美紀の母親は普段仕事に出ていて、五時過ぎに家にいるなんて思わなかったんだから仕方無いじゃないか。
どうしよう?美紀の母親に全て話す?
いやいや、そんなこと出来る訳ない。
娘さんの目の前で別の子とキスしました。そしたら娘さん怒ってしまったので、仲直りしたいです。
馬鹿か!そんな事言ってみろ!追い返されるにきまってるだろ。
(どうすればいい?)
結局一つも良い案が出てこないまま、ただ立ちすくんでしまう。
これじゃあ、完全な不審者だ。
何か、何か言わないと。
「あ、あの、えっと、あれ、美紀さん……いまっしゃいますか?」
もうボロボロだ。
「あ~、美紀ね。私も今帰ってきたばっかりで、家に鞄はなかったから塾だと思うわ。帰ってくるのは7時を過ぎると思うから、よかったら家の中で待ってる?」
美紀の母親はふふっと優しく笑っていた。
「あ……いえ、だ、たぶん大丈夫です。また出直します。そんな急いでないので」
急いでない?
なら何故家にきているんだ?と、頭の中で冷静な自分がツッコミを入れる。
「あら、そうなの。残念ね」
「いえ、あの、お忙しいところすみませんでした。また、後日伺います」
もう、さっさと話をきりあげた方が無難だ。
「直樹くんが来たこと、美紀に伝えておくから後で連絡がいくと思うわ」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃあ、またね。」
社交辞令の挨拶を終えると鉄製のドアが、僕の一筋の望みを絶つかのようにガチャンと重い音を響かせた。
「はぁ~~」
大きくため息をついてしまった。
あまりの自分の不甲斐なさを自覚したせいだ。
だが、落ち込んでなんていられない。
まだ何にも事態は進んでいないのだから。
「切り替えなきゃな」
そう言って携帯の時計を見ると、まだ5時半を過ぎた所だった。




