2-4
(やられた……)
今は、帰りのホームルームの真っ最中。
あれから、梢は明らかに僕の事を避けていて会話する機会すら与えてくれなかった。
というか、先に帰りやがった。
梢は技術室を出れば走って教室へ戻り、その後は女子トイレに籠りっぱなし。
帰りのHRの時間になると、遅れて教室へ戻ってきて“体調悪いから先に帰ります。”ときた。
先生も今日の授業全て終わっているから、気軽に許可しちゃうわけで……。
(無理だなぁ……)
梢に“今日は駄目だ。“と直接伝えられれば一番いいのだが、残念ながらそれは出来なくなってしまった。
まぁ、まだやれる事はある。
やましい事はなにもないのだから、美紀に連絡を取って全て正直に話せばいいだけの事だ。
そうすれば、バッティングしても問題はない。
変な誤解も生まない。
思考だけは大人のそれなのだから、どう対処すべきかは冷静に考え行動する位は出来る。
一通り解決策を探り、暗い気持からの脱却を図る。
「では、これでHRは終わります。号令。」
考えが纏まったと同時に帰りのHRも終わり、僕は一目散に学校から飛び出した。
美紀に連絡を取り余計な誤解を避ける為に。
「つながらない……」
運よく掃除当番でもなかった僕は、学校から逃げるように一早く帰宅した。
何より早く美紀に連絡を取りたかったからだ。
しかし、いざ美紀の携帯にかけてみると“おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない……”と冷酷な機械音が聞こえるだけだった。
たぶん、まだ学校にいるのだろう。
お互い学校では電源を切っている方が長いので仕方がない。
(メール……は、出来ないか)
こういう時にメール機能がどれだけありがたいか実感する。
さっき不便でいいなんて言った自分を、もう後悔している自分がいる。
本当に現金な奴だと思うが、今はそんな事気にしている余裕はない。
(う~、何か手を打たないと……)
しかし、焦れば焦る程思考能力は低下していく。
(あ、留守番電話のメッセージなら残せるじゃないか!)
素晴らしい発想だと思う!
落ち着いて考えれば普通に出てきそうな物なのだが、今は抜群に優れたアイデアに思えてしまう。
その素晴らしいアイデアにすがるように、もう一度美紀の携帯へ連絡をを入れる。
さっきと同じ規則的な機械音が聞こえた後、“ピーという発信音の後に……”という聞きなれた音声が聞こえる。
時代は変わってもこのやりとりだけは変わらない。
ちょっと安心してしまう。
この後に、メッセージをいれておけば何の問題ない。
きっと美紀は携帯の電源を入れた時に、僕のメッセージに気が付いてくれるはずだ。
“最大蓄積件数超過の為、録音メッセージを残す事が出来ません。”
そんな機械的なメッセージが、すっかり安心した僕に冷水を浴びせる。
そして、電話は“ツーツー”と僕の思惑を容赦なく否定する。
全く予想外の出来事だった。
でも、その原因は僕だ。
僕らはまだお互い中学生で、電話代などの通話料金は親に支払ってもらっている。
そんな状態で毎日電話し合えば電話料金が膨大になり過ぎて携帯なんてすぐさま取り上げられしまう。
その打開策として、なるべく家の固定電話で連絡を取り合うようにしていた。
ただ、家に電話にしたときに毎回僕か美紀が出るとは限らない。
親や兄弟に電話を取られてしまった時の恥ずかしさは、思春期の僕らには辛い障害となって立ちはだかっていた。
その障害を避ける為、電話で話したくなった時に留守電に“19時に連絡してもいい?”とメッセージを残すようにしていたのだ。
OKなら、ワン切りと呼ばれる着信履歴だけ携帯に残し、NGなら連絡をしない。
そんな方法で僕らは連絡を取りあっていた。
その結果、留守番電話サービスの上限まで留守録を残してしまった。という訳だ。
それがこんな形で仇になるとは思ってもみなかった。
これでは、留守電にメッセージを残す事も出来ない。
仕方なく数分おきに何度も何度も美紀の携帯へ連絡するが全く意味は無かった。
その間にも時間だけはいつもと同じ速度で流れ、約束の時間が迫ってしまっていた。
(行くしか……ないんだよな)
連絡が取れない以上、美紀との約束も梢との約束も反故にする事は出来ない。
結局、なんの事前策も打てないまま僕は待ち合わせの場所に向かう他なかった。
◆◆
(全て話すしかないよな)
僕はベンチに腰掛けながらそんな事を考えている。
ここは、待ち合わせ場所であるタイヤ公園の一角。
そこで僕は、“どうやってこれからをやり過ごすか?”という一点に集中して考えを巡らせていた。
その思考の結果、梢に美紀と付き合っている事実を全て正直に話す。
そんなありきたりの答えしか思いつかなかった。
梢の言いたい事は大体想像出来る。
勿論、勘違いかもしれないけど。
でも、もし……万が一、僕の想像通りだった場合、僕はその気持ちに応える事は出来ない。
僕にとって一番大事なのは美紀だから。
もう結論は出ている。
だけど、どうも気分が重い。
最悪の場合、美紀と梢の二人を前にして今日のいきさつを説明しなきゃいけないのだから無理もない。
「上手くやらないとな……」
そんな独り言が漏れてしまう。
「はぁ……」
ため息まで漏れてしまった。
気が重い……。
ただ、そのため息の奥に制服姿の女の子がベンチに腰かけていることに僕は気が付いた。
うちの学校の制服にショートカットの髪型。
間違いない。
梢だ。
たぶん、学校から直接来たのだろう鞄もそのまま抱えている。
まだ、約束の時間より少し早い。
これはチャンスかもしれない。
先に梢と会って事前にこの状況を説明できればこれほど楽な事は無い。
美紀と梢がかち合う事も無く、この問題を処理出来るかもしれないのだ。
それならやることは一つ。
美紀が来る前に、全部話して全てを終わらす。
なにより二人が会う事も無い。
嫌な思いをする事も、させる事も無い。
そう思った次の瞬間、微かな光に向かっていく夜光虫の様に僕は梢に向かって駆け出していた。
◆
「ごめん、待たせちゃった?」
公園内のベンチに腰かけている梢にそっと声をかける。
梢は、ビクッと肩を揺らすが顔は下を向いたままで僕を見る事はなかった。
「あ、あはは、こっちこそ突然ごめんね」
「いやいや、僕こそ、待たせちゃったみたいで」
「ううん。そんな事ないよ」
「……」
「……」
……なんだろう、この空気。
梢はしきりに髪を弄っているだけ。
僕はただただベンチの前に立っているだけ。
一体何を話したらいいのでしょうか……?
「今日は……ほら、天気いいね!」
“何か喋らなきゃいけない!“と必死で足掻いた結果がコレだ。
もっと気の利いた言葉の一つ位出てきても良いはずなのに、自分の引き出しの少なさにに嫌気がさしてくる。
「そ、そうですねー」
と、梢も似たような物だった。
普段の梢なら“何言ってんの?“と馬鹿にしてきそうなのに、今は借りてきた猫みたいにしおらしい。
「……」
「……」
また、振り出しに戻ってしまった。
「隣いいかな?」
とりあえず、隣に座ろう。
顔も上げてくれないんじゃ、どこに視線向けていいかさえも分からない。
だから、隣に座ればこのなんともいえない雰囲気もいくぶんか和らいでくれるはずだ。
そんな期待を込めて、返事も待たず梢の隣に座ろうとしたその矢先。
「駄目!!」
梢は少し大きな声で僕を拒絶する。
今まさにベンチに座ろうとしていた僕は、中腰でビクッと止まってしまった。
その強い口調に驚いたからだ。
「走ってきて、汗かいてるから……」
梢はそう呟く。
今まで髪を触っていた手を膝の上に置き、ピンと張った腕の間に顔を埋めるように深く頭を下げながら。
そんな事気にするタイプじゃないだろう?と思うのだが、今それを言える雰囲気ではなかった。
「ご、ごめんね」
僕は謝りながら元の位置に戻る。
そうだ、さっさと本題に入ってしまおう。
このまま、無駄に時間が過ぎれば美紀と本当にバッティングしてしまうかもしれない。
「あのさ……聞いてほしい事があるんだ」
僕は立ったままなので、自然と梢を見下ろす感じになってしまう。
「え?」
いきなりの僕の発言に、梢は顔を上げ戸惑った様子を見せる。
初めて目が合い、僕はそこで気が付いた。
今まで下を向いていた梢の顔は、持久走を走り終えた長距離選手の様に頬や耳が薄い朱色に染まってる。と。
「僕はね、今付きあ」
「待って!」
本題に入ろうとしたのだが、再び強い調子で遮られてしまった。
「それ以上は言わないで……」
一瞬前とは真逆の小さな小さな消え入りそうな声だ。
「言いたい事は分かるから……知ってるから……でも私の話を先に聞いて欲しいの」
肩が上下に小刻みに震えている。
肩だけじゃない、足も……必死に握り締めている手も震えているのがわかる。
どうやら、僕の勘違いじゃなかったみたいだ……。
「あのね……」
一呼吸おいた後、ゆっくりと梢が喋り出す。
「私はあなたの事が好きです」
梢の瞳に、困惑した僕の姿が映る。
「私は馬鹿で、気が利かなくて、あなたに釣り合わないのは分かってるけど……それでもあなたが、どうしようもなく好き……なんです」
その飴色の瞳を徐々に潤ませながら梢は喋り続ける。
「あなたが……今付き合っている彼女がいる事も知ってる。でもね、私の方がきっと……ずっと、貴方の事を好きだから。だから、一日だけで良い。一日だけでもいいからチャンスを下さい」
予想外……だった。
今日ここで、梢から告白されると確信はなかったが予測はしていた。
でも、梢が僕と美紀との事を知っているとは流石に想像していなかった。
梢の事だ。
不器用なりに……必死に考え抜いて出した結論なんだろう。
他人に嘘をついたり、陥れたりそういった事を考える奴じゃない。
良くも悪くも自分の気持ちに正直に、素直に行動した結果だと思う。
それに、他人からこんなに思われる事なんて人生においてそうあるものじゃない。
もしかしたら、人生で最後かもしれない。
正直にいえば……梢の事を凄く可愛い。と思う自分がいる。そして
(合意の上なんだから、お試しで一日くらい付き合ってもいいんじゃないか?)
心のどこかから、そんな囁きが聞こえてしまう。
(梢だって僕に彼女がいる事は分かってる。なら一度試してみて、その時に断ればいい話だ。今選択する必要性はない)
頭の中ではそんな事駄目だと分かっているのだけれど、その囁きは徐々に理性の部分を侵食していく。
僕だって男だ。
甘い誘惑があれば、どうしたって魅かれてしまう。
ましてや、多感な思春期にそんな誘惑を理性だけで堪えられる訳がない。
お互い同意の上だ。
一日位付き合ったって問題ない。
そう思ってしまった。
その思いは簡単に僕の理性を吹き飛ばし、僕の右手を梢の頬へ動かしてしまう。
梢の飴色の瞳から、溢れそうな涙を拭うために。
ただ、僕の右手が梢の頬に触れようとしたその時、手の先に一人の女の子がやってくるのが見えた。
美紀だ。
その姿を一目見た途端、胸の奥から嬉しいような、切ないような感情が僕の胸から溢れてくる。
そうだ。
これが、“好き”っていう感情なんだ。
自分の欲望の為じゃない。
自分の大切な人の為なら何だって出来る。
そういった特別な感情なんだ。
それに、3年前のあの日“好きな人を守る位の力はある。だから、守ってあげたい。”って、心からそう思ったはずだ。
その事をたった3年、いや、一日で忘れそうになるなんてどうかしてる。
最低で……本当に情けないが、でもまだ間違いを起こしたわけじゃない。
美紀が来たのは最悪のタイミングだけど、正直それに救われた。
「ごめん」
僕は小さく呟いた。
「あそこにいるのが僕の大切な人なんだ」
梢の涙を拭おうとした右手で美紀を指差し、梢に容赦なく事実を告げる。
「あいつは、僕の一番大事な人で……ほかの選択肢なんて考えられない」
拭えなかった梢の涙がゆっくりと頬を伝っていく。
「こんな状況で言う事じゃないんだけど、今まで言い出せなくて……本当にごめん」
そんなやり取りをしていると、美紀は僕に気が付いたのだろう。
小走りでこっちへ向かってくる。
「紹介するよ」
僕は梢にそう告げた。
こうなった以上、梢には悪いけど美紀に全てを話す。
なんでこんな状況になったのか。どうして今梢が泣いているのか。
それを説明してこの状況を理解してもらう。
梢には、本当に申し訳ないし傷つけると思うけど……でももう、それしか方法はない。
ドサッ!
重い荷物を地面に落としたような鈍い音が響く。
僕がベンチに尻もちをついてしまったせいだ。
理由は簡単だ、梢が僕の腕を思いっきり引っ張ったのだ。
「なにをす……」
いきなり引っ張ったら危ないだろ!と、文句を言おうとした、その矢先。
暖かい感触が言葉を紡ぎかけていた僕の口を塞ぐ。
(え……?)
今起きた出来事を理解するだけでも、いちいち時間がかかってしまう。
朱に染まった梢の顔が目の前に広がりさらさらとした柔らかい髪が僕の頬を撫でる。
甘い匂いがして、少し塩辛かった。
(まずい!!)
直感的にそう思い、慌てて梢を突き離し美紀の方に視線を動かす。
美紀は肩から下げていたカバンを両腕に抱きかかえると、僕らのいるベンチとは逆方向に走り去っていった。
「まって!!」
大声を上げすぐに美紀の後を追いかけようとしたが、梢が僕の腕を引っ張りそれを妨害する。
「どうして……」
泣きながら小さく擦れた声で梢が囁く。
梢の頬からこぼれ落ちた雫が地面に沢山の斑模様を描いていく。
それに、僕が大声をあげたせいで“何かあったのか?”と周りにいた子供達やその親の興味の視線が集まってしまう。
これでは、梢をこのまま放置する事も出来ない。
(どうしたらいい!)
必死に頭を動かすが何も案が浮かばない。
本当はすぐにでも美紀を追いかけたいのだが、衆人監視のなか目の前で涙を流している梢を放置する事も出来ない。
何も決断出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
そして過ぎ去っていく時間は、僕から“美紀を追いかける“という選択肢を奪っていった。
「ごめ…んね……」
僕がその事実に気が付きただ茫然と立ち尽くしていると、泣き声の混ざった嗚咽の様な謝罪が聞こえてきた。
その声の主は、ただ下を向いて泣いていた。
(なんでお前が泣いているんだ?何に対して謝っているんだ?)
そんな思いが次々と溢れてくる。
(何でだ!僕に嫌がらせでもしたかったのか?!)
だけど、次々と溢れ出る負の感情をそのまま梢にぶつける事は出来なかった。
「ごめ…んな…さい……。ごめん…な…さい」
梢は壊れたおもちゃの様に必死にその言葉だけをうわ言の様に繰り返し、泣いていたから。
僕はそんな様子をただ茫然と眺め、梢に優しい言葉を掛ける事も、美紀を追いかける事も出来なかった。
沸々と湧き上がる怒りにも似た思いだけを抱えながら、それを何処にぶつけていいのかさえ分からないまま、ただ時間だけがいつもと変わらない速度で過ぎていった。




