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1-10

カチッ、カチッ、カチッ

教室にある時計の音だけが教室に響き渡る。


僕は、かれこれ60分以上生活指導室で待機させられている。

今は弁解の余地すら与えられていない。



(流石に手を出したのは不味いよなぁ……)



椅子に座りながら自分の行いを振り返り、そして反省する。

客観的な事実だけ見れば口喧嘩の末、相手……無抵抗の女子の顔を殴った事になる。


それに、前の……本来の僕はあのラブレターを破り捨てているのだから、他人にどうこう言える立場にないのにもかかわらず……だ。


理由はどうあれ手を出したのは完全に間違っていた。

勿論、そんな事理解していたつもりだったのだが、そんな理性など簡単に吹っ飛んでしまったのだ。



「まだまだ、幼いってことだよなぁ……」



自分の精神年齢の低さを実感させられる。

しかし、今考えてもどう対処すればよかったのか正解が分からない。


ただ、自分のやったことが不正解だった事だけが重くのしかかる。


その時、ドアがガラガラと音を立てて開いた。

そして、担任ともう一人の女性が入ってくる。


……僕の母親だ。



(暴力沙汰だもんなぁ。当然だよなぁ)



薄々覚悟していたが、実際目の当りにすると気分が億劫になる。



(26歳にもなって、親呼び出しか)



自嘲気味の苦笑がこぼれてしまう。

担任が僕の前の席に座りその隣に母親が座る。



「何をしたか理解しているわよね?」



ゆっくりとした口調で担任が尋ねる。まるで取り調べみたいだ。



「はい、思う所は色々とありますが、最終的に暴力を振るってしまった事は、本当に申し訳ないと思っています」



僕は自分の気持ちを素直に話す。



「そう……」



担任は少し驚いた様子だった。

ただ、それ以上に母親は驚いたというよりも口を開け唖然としている。


僕はそんな母の様子を一瞥し、無視する。



「野村さんに許して頂けるのであれば、きちんと謝罪させて欲しいと思っています」

「それなら話は早いわね」



担任の目を見ながら僕は言う。



「大方の事情は、こちらでも把握しているの。佐藤さんや周りで見ていた女子から色々と状況は聞いたからね」

「そうですか」

「確かに野村さんは酷いことしたけれど、だけどあなたのやった事も……」

「許されない事ですよね」

「そういう事。本当はそれを言って理解させる為に来たつもりだったんだけどね」



話は終わったとばかりに担任は席を立つ。



「今から野村さんのお母さんに来てもらうから、きちんと謝ってもらえる?」

「分かりました」



そして野村さんの親を呼ぶために担任が指導室から出て行き、僕の母親が初めて口を開いた。



「あんた……今日どうしたの?熱でもあるの?この後、病院行く?」



あまりの母親からの信頼の無さに深くため息が漏れる。

これが最後の溜息であればいいと切に願わずにはいられなかった。





夕方独特の赤くてやわらかい日差し。

それは、滑らかな机の表面で反射し、誰もいない教室全体を朱色に染めあげている。

そんないつもと雰囲気が違う教室はどこか趣があって懐かしくて、そして寂しかった。


寂しいと思うのはたぶん……これで一日が終わってしまう。

そんな感傷に駆られるからだと思う。


元気一杯遊んで楽しかった一日。

それが終わりを告げる夕暮れ時。


それを子供の頃は“寂しい”と感じていたんだと思う。

子供の時は、夕暮れ時が楽しい一日が終わる告げる合図なのだ。


大人になれば自由な時間が始まる合図なのに。

大人と子供では夕日に対する感情がまったく正反対で……こんな気持ちもうとっくに忘れていた。


もう何年も前に失ってしまったこの気持ちを、情景を懐かしむように自分の机までゆっくりと歩く。


そこには、騒動の際に散乱してしまったプレゼントが元通りに袋にまとめてあった。

誰かが気を利かせてくれたんだろう。


僕は今、自分の荷物を取りに教室に戻ってきている。


それもこれも、思ったよりも簡単にさっきの出来事が解決してしまったからだ。

僕が殴った女子……野村さんの母親は思ったよりも常識のある人だった。

僕が謝罪をすると、笑って許してくれた。


良い薬になった。とすら言っていた位だ。


ただ、顔を殴ったことに関してはしっかりと”2度としないでね”と釘をさされてしまったけれど……。

そこらへんはやっぱり親なんだなと感心してしまう。


だからこそ僕も素直に誠意を持って謝った。

そのやりとりを見た担任は、大きな問題にならずに解決しそうだと判断したのだろう。

僕に教室から、ランドセルを取ってくるように指示を出した。


だから、僕はその指示に従い今こうして教室へ戻ってきたという訳だ。


もう、誰も居ない朱色の教室に。



突然、教室のドアがガラガラと音を立てて開く。

そこには一人の少女が立っていた。


佐藤さんだ。


あれから随分時間がたっている。

普通なら、もうこんな時間まで残っている生徒はいない。



「今日は、その……ごめんね」

「ううん、こっちこそ問題大きくしちゃってごめん……」



僕の席へゆっくりと歩いてくる。

その姿を僕はただ見つめる事しか出来なかった。


そして、僕らの距離が時間と共に縮まっていく。

手を伸ばせばお互いの手が届く。


そんな短い距離で、佐藤さんと僕。

二人向き合い、黙ってしまった。



「「あの!」」



二人同時に声を出してしまった。



「あ、直樹君から」

「いやいや、佐藤さんから」



思わず僕らは笑ってしまった。



「じぁあ、私からでいいかな?」

「うん」



僕は頷く。



「野村さんの事なんだけど……あんまり怒らないであげて」

「えっ?」

「今日の事、野村さんもそんな悪気があってやった訳じゃないと思うの」



意外な話だった。


でも、それは流石に同意出来ない。

悪気が無くてあんな事出来たら悪意なんて存在しない。



「でも……」

「実はね」



佐藤さんは僕の言葉を遮り、ゆっくりと話し始める



「お昼休みにさ、私野村さんと話をしてたじゃない?」

「あ、うん」

「あの時ね、野村さんから直樹君の事好きだから、協力して欲しいっていわれちゃったんだ」

「へ?」

「野村さんも直樹君の事が好き……だったみたいなの」



……ちょっと待って。

有り得ない。

冗談にしか聞こえない。



「待って。待って。今日野村さんは、僕に対して何度も突っかかってきたよ?」



今日の出来事を振り返る限り、野村さんの行動は好意とは真逆の行動だ。



「そこは、ほら……野村さんが素直じゃないからだと思う」



佐藤さんは、乾いた笑いを浮かべながら続ける。



「嫉妬してたんだと思うよ。私だって好きな人が他の子と仲良く話してたら、その……嫌な気持ちになるし……」



信じられない。

確かに、僕も好きな子に悪戯した経験はある。

構ってほしくてやたらちょっかいを出した。

その気持ちも理解できるけど……。

あれは、そういうのを超えた虐めに近い物だったと思う。



「えっと、だからね、野村さんを許してあげてほしいなって。私があそこで自分の気持ちを話さなかったから、ややこしくなっちゃったのも事実だから」



なるほど。

確かに自分の気持ちを教えた相手に出し抜かれたと感じたのかもしれない。

それにまだ子供だ。


“加減を知らなかった“それで済む年齢なのだ。

大人で同じことをすれば致命傷だが、子供ならまだ許される。



「まぁ、話は分かったよ。僕も普段通り接するつもりだし、殴ったことをきちんと謝るよ。勿論向こうが許してくれればだけどね」

「うん、ありがとう」

「でも……さ」



僕は疑問に思う。



「佐藤さんは腹が立たないの?あんな事いわれて」



いくらなんでも、あれは言い過ぎた。



「僕は殴ったことは不味いと思うけど、あれは流石に許せなかったよ?」

「そうだね。直樹君が怒ってくれなかったら許せなかったかもしれない」



視線を横へと逸らし、少し迷った感じて佐藤さんは言う。



「でも、約束通り怒ってくれた。大好きな人が助けてくれた。それが、凄く嬉しくて……逆に感謝したいくらい」



そこまで言うと、佐藤さんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

自分の発言の意味に気が付いたのだろう。

完全に沈黙してしまった。



(これは、僕から言わなきゃダメだよな)



さっきの発言も。

今日もらったラブレターも。


全部佐藤さんが、一所懸命その気持ちを伝えてくれた結果だ。


それなら、今度は僕から気持ちを伝える番だ。

ただ、そう決心しても体は思い通りに動いてくれない。


向こうの気持ちは既に分かってる。

普通なら緊張すらする必要のない、ズルいような状況。

なのに……ダメだ。


足はガクガクと震え胸の奥から何か得体のしれない大きな塊がせりあがってくる。

必死で心を落ち着かせようと、胸の奥からせりあがる塊を必死で飲み込む。



「あの……」



それでも、全然落ち着かなくて、何度も何度も唾を飲み込んで

やっと出せた声も、恥ずかしい位に震えてしまう。



「今日一緒に話して、なんていうか凄く楽しかったっていうか……」



震えた声で僕は一体何をいってるんだろうか?



「その……これからもずっと今日みたいに話していたいし……何か辛い事があればそれを取り去ってあげたいし……」



言いたいことが纏まらない。

自分でも何を言いたいのかすらわからなくなる。



「えっと、だから、嫌な事、辛い事があればそれを辛いって嫌だって言って欲しくて。つまりさ、そういう時に何時でも傍にいられるように、僕はずっと佐藤さんの隣にいたいです」



“好きです”

そのたった一言が言えなかった。


恥ずかしさもある。

度胸が無かったせいでもある。


きっと、もっともっと色んな理由がある。


でも、わからない。

ただ、今確かに感じている“好き”という言葉を僕は言えなかった。


そんな、本当に最低な告白でも佐藤さんは一言だけ。



「うん、私も」



と、笑顔で返してくれた。


短い言葉と仕草。

たった、それだけで、僕は人生で感じたことの無い幸せに包まれた気がした。



「あれ?ちょっと……」

「えっ?どうしたの?」

「わからないけど、あれ……」



佐藤さんは必死に手で顔を拭う。

その隙間から透明な液体が次々に零れていくのが見えた。


佐藤さんは慌てて顔を覆い隠そうする。

ただ、隠そうとすればするほど、一度流れ出したその液体は際限無く湧いてくる。

もう、頬や手をびしょびしょに濡れていた。


僕は震える足を必死で動かし、なんとか佐藤さんの頬に手が届く位置まで移動する。

それはほんの短い距離だったけど、物凄く険しい道のりだった。


そして僕は自分の洋服を引っ張り、伸びた布の部分を佐藤さんの顔に優しく押し当て涙をなすりつけるように拭う。


本当はハンカチとかがあれば最高なのだけど、あいにくそんな気の利いたものは持っていなかった。


初めは驚いていた佐藤さんも、今はされるがままだ。



「手……冷たい」



佐藤さんの言葉。


確かに涙を拭っている反対の手は、佐藤さんの頬にそっと添えている

僕の小さな手に収まってしまう位、小さな顔に。



「当たり前だよ、これでも死ぬほど緊張してたんだから、今だって足が震えてる」



人は緊張すると手が冷たくなるらしい。

それは交感神経が刺激を受けるからとか言われているが、要は自分の扱える以上の感情や情報が押し寄せた結果だと僕は思う。


好きな人の頬に触れ涙を拭う。

こんな事当時の僕なら出来る訳がないのだから。


泣き出してしまいそうになる位、異常な行動を取ったその結果。

死ぬほど緊張して、その感情の処理に体がついてきていないだけなのだ。



「あはは、私もだよ」



確かに、細かな振動が頬に当てた僕の手に伝わってくる。

それが、僕の震えなのか佐藤さんの震えなのか分からない。

でも、そんなのはどうでもよかった。


限界まで緊張し精一杯になりながらも、大事な人の事を一番に考える。

そんな優しい時間が、朱色に染まった教室でゆっくりと流れていた。

それだけで充分だった。





街灯には無機質な白色の明かりが灯る。

さっきまで学校や道路を赤く照らしていた夕日は、街並みの奥の方にうっすらと残り香を残す程度になっていた。



「今日は迷惑かけてごめんなさい」



僕は母親に今日の出来事に関して迷惑をかけた事を謝った。

母親は僕の隣で、大きな籠のついた自転車を手で押している。


僕は今、母親と二人で学校から家に帰っている。



「ほんと、2度と呼び出される様な事はしないでね」



少し怒った口調で母親は言う。

言い訳のしようもない。

本当に申し訳ないと思う。



「でも、今日のは少し誇らしかったわね」

「誇らしかった?暴力をふるったのに?」



少し驚いてしまった。

まさかそんな言葉が母から出てくるとは思いもしなかったからだ。



「そう、ちょっと自慢したくなるくらいにね」



そういった母はどこか満足そうで、嬉しそうだった。



「なんで?暴力をふるったんだよ?」

「う~ん、まぁ~、そうなんだけどね。うまく言えないけど、自分の見栄とか自己保身とか腹が立ったとかで、相手を殴ったらそれは間違いなく暴力だし許されない事なのよ」



母は少し困惑した表情を浮かべている。



「でもね、今回は他人の為に……佐藤さんを守るために、相手を殴った訳でしょ?確かに殴る行為は褒められた物ではないけれど、大切な人が辱められている時に憤らないような人間にもなって欲しくないのよ」



言葉が纏まらない感じなのか、母は首を横に数回振って僕を見る。



「まぁ、言いたい事は、今回の様な事であれば喜んで呼び出されてあげるわよ。だから、今は、大事な人が困っていたらドンドン助けなさい!」



そう言って、母は僕の頭をポンポンと2回叩いた。



「言ってること矛盾してない?」

「あれ?そうかしら?まぁ、いいじゃない」



母は笑っていた。

満足そうな表情で。


ひょんな所から痛感してしまう。

僕は愛されていたと。


今日は決して楽しい出来事ではなかったはずだ。

色んな人に頭を下げ、謝っていたはずだ。


でも、僕のした事の意味を理解し、そして見守ってくれる。

その行動の全ての責任を負いながら。


そんな事どうしたら出来るんだろう。

僕に出来るのか?もしかしたら、一生かけても無理じゃないかとも思う。


子供の頃の僕は、一体どれだけの幸せに包まれていたんだろうか。



「そういえば、今日誕生日でしょ。何か食べたいものある?」

「じゃあ、ミートソースがいいな。後、デザートにアイスも欲しい」



そんな母の様子を見て、なんだか不意に甘えてみたくなってしまった。



「ん!分かった。後ケーキも用意してあるからね。」

「うん、楽しみにしてる!」



発言がまるで子供だ。

でも、いい。


これは二度と得られない物だと知っているから。



(このまま……もう一度人生をやり直していくのも悪くないかな……)



26歳の僕は、常に人生やり直したいと思っていた。

特に不幸な人生を歩んでいた訳でもない。

ある程度大きな会社に勤め特に問題も起こさず過ごし、他人の評価も悪くない。

他人からみれば、順風満帆な人生にみえるだろう。


だけど実際には、幸せだと感じた事はなかった。


今だから分かる。

僕は小さい頃、贅沢にも親から毎日おなか一杯食べる事と決められた時間内ではあるが、好きな事をして過ごす時間を与えられていた。


それは、決して簡単に手に入る物ではない。

それどころか、それはとてつもなく贅沢な物だったのだ。

でも、その贅沢を小さいころから与えられている内に、いつのまにかそれが当たり前になってしまっていた。


しかし、自分の力だけでそれを得ようとした時に、莫大な努力と我慢を強いられてしまう。

そして、その膨大な努力と我慢の結果、今まであたりまえの様に享受してきた物……いや、それ以下の物しか得られない。


毎日続く残業で休みの日以外は自分の時間なんてなく。

せっかくの休みも、トラブルがあればそれを返上し仕事を優先する。


それに毎日の生活も自炊なんてする暇があれば睡眠時間に充ててしまい、外食につぐ外食。


会社から近いという理由で選んだ家の家賃は決して安い金額では無く、そういった生活費を除けば自由に使えるお金なんて収入の4分の1も無い。

これじゃあ、子どもの頃の方が良かった。って思うのも当然だ。


自由な時間もおいしい料理も子供の頃の方が溢れているのだから。

それでも、ある種脅迫的な義務感から我慢に我慢を重ねていく内に、ただ時間を浪費していくと感じてしまった。


今日を我慢し仕事と家の往復する毎日を繰り返す。

少ない休みを指折り数えて心待ちにしていざ休みの日になれば、ただ心を誤魔化すために無駄な消費をする。

そう考え……感じてしまった。

26歳の僕には、今日の延長に明日、そしてその先には望まない未来があるだけだった。



でも、今は違う。

子供の僕は毎日満足感に溢れ、今日を精一杯謳歌し明日に希望を持ち、早く大人になりたいと願っているのだ。


大人になる事で得られる変化を希望に満ちて待ち望んでいる。

そして、きっと将来の僕は幸せなはずだと信じて疑わないのだ。



(いつから僕は、今日を謳歌することを諦め、明日への希望を捨てたんだろう?)



自問せずにはいられなかった。

答えは分からない。


でも、焦る必要はない。ゆっくりと探していけば良い。

目の前にあるこの世界は、優しい光に満ちていて、未来への希望や期待そういった物が溢れているのだから。

たから……今は、懐かしくて幸せな一日を噛みしめて過ごしていこうと心に決めた。


子供の頃に戻る。


そんな全人類がどんなに望んでも得られない幸運を、一つの時計がもたらしてくれたのだ。だから、僕はその突然降ってきた幸運に深く深く感謝した。

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