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遠くから聞こえる楽しそうな声。

ただ、その声は私には響かない。


ここは誰もいない校舎裏。

濡れた土。

苔の生えた石道。

窓のない校舎の壁。


それだけが、私の周りにある全て。



「ひっ……ぐ……ひっ……ぐっ」



私はそこで膝を抱えて泣いていた。



「お父……さん……お父さん……」



そうだ……これは、小さい頃の私。


小学校に入って一年が過ぎた頃、大好きだった父は突然の病気で亡くなった。

そして、片親になった事を学校でからかわれ、その度にこうやって校舎裏で膝を抱えて泣いていた。


どうしてだろう。

あんなに辛かったのに、苦しかったのに……

その気持ちをすっかり忘れてしまっていた。


夢……なんだと思う。


過去を再体験するなんて現実じゃあり得ない。


でも、ただのなんてことない夢。

楽しくも無い夢。


ただそれだけなのに……当時の辛かった気持や苦しかった思いが鮮明に胸に溢れてきてしまう。

こんな辛い気持ち思い出したくもないのに……。



「これあげる!」



突然、底抜けに明るい声が響いた。


その声の主は、子供だった。


擦り剝けた膝がむき出しになる程の短いズボン。

土埃でよごれた半袖のシャツ。

見るからにやんちゃな少年。


その少年は右手には真っ赤なチューリップが握られている。



「へへ、僕の新しいハサミは切れ味が凄いんだぞ!」



そう言って差し出された真っ赤なチューリップ。

その少年の左手には、当時流行していたキャラクター物のハサミが握られていた。



「ふふん!カッコいいだろ!だからこれをあげるよ!」



そういって少年はニカッと笑い、真っ赤なチューリップを差し出したのだ。

乳歯の抜けた隙間のある歯をを見せつけながら。


理屈もなんにもない。

なんでチューリップなのかも分からない。

でも、その底抜けの明るさと屈託のない笑顔に、不思議と辛い気持ちが和らいでいく。



「あ、ありがとう……」



そう言って私は、そのチューリップを受け取った。



「あっ……よ、弱い物を助けるのは、ヒーローの宿命だからね」



少年の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

そんなに恥ずかしいのならヒーローの真似なんてしなければいいのに。



「直樹君!!出てきなさい!花壇を荒らしたのあなたでしょ!!!」



担任の先生の怒気を孕んだ声が遠くから聞こえてくる。



「やばっ!」



その一言を残し、その少年は風の様に走り去っていってしまった。



「ふふっ」



つい堪えきれない笑いが漏れてしまう。

花壇を荒らすヒーローなんて聞いたことがない。



「ありがと」



私は姿の見えなくなった少年にお礼を言う。

彼なりに不器用ながら私を気遣ってくれた。

その事が嬉しかったから。


それに、さっきまで感じていた辛くて冷たい気持ちはすっかりと姿を消していた。


今は優しくて暖かい物が胸の中に溢れている。

何気ない善意がこんなにも人の気持ちを暖かくするなんて思いもしなかった。



「ああ……そうだった……あの人は昔から」



ゆっくりと涙が頬を伝う。

やっと思い出した。


これが、私の初恋のきっかけだった……と。



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 「暑い……」



ビルに反射した無数の太陽やジリジリと空と地面とビルから発せられる肌を焼くような熱気。

ゴウン、ゴウンと鳴り響く室外機から発せられる不快な轟音。

ねっとりと纏わりつくような温い風。


今までコンビニで涼んでいたせいか余計にその思いに拍車がかかる。



 「絶対10年前より、暑くなっている」



僕が子どもの頃は、絶対にこんな暑くなかったはずだ。

昔は30℃位で”夏だ!暑い!”とか喚いていたはずなのに。


今は30℃だと、”あれ?今日涼しくない?”と思ってしまう有様だ。


最近の子供たちは、夏休みのプールで気温が低すぎるあまり唇を紫色に変色させ震えながら入った経験などほとんど無いに違いない。

まぁ、だから何?と言われてしまえば、それまでだけど……。


ただ、こんなに暑いと”だれがこんな環境にした!”と、やり場のない文句の一つも言いたくなってしまう。


で、そんな人を苛立たせる真夏の日に、何故僕はわざわざ外へ出ているのかといえば


“何もしていない”


目的もなくただ時間を潰している。

それだけだ。

でも、それは今日に限った事じゃない。


毎日、毎日少しづつ貴重な時間を消費し現在進行形で年老いている最中だ。


言っておくが、別に人生が不幸な訳じゃない。

仕事がないわけでもない。


超が付くほどではないが、ある程度大規模な会社に入り給与も全国の平均以上は貰っている。

企業名だけを言えばほとんど人が聞いた事ある。

そんな会社だ。


就職難の学生達から見れば、それだけで羨ましい状況だろう。

ただ、そんな事はどうでもよかった。


就職難の学生から羨ましがられる僕の仕事は決して楽ではない。

企業名や安定性だけで選んだ会社の仕事は、どれも責任が重く簡単にはこなせない。


毎日夜遅くまで働き終電で家に帰ってはコンビニで買った食事を作業の様に口に運び、風呂に入って眠る。

そして、朝起きれば昨日と同じ事を繰りかえすためにスーツを着用し会社へ行く。


その繰り返しを週末までただひたすら実行し、耐え忍び指折り数えて待った休日は浪費していく心を誤魔化すために時間やお金をただただ目的も無く浪費する。


それが、学生達から羨ましがられる僕の日常だ。

そんな代わり映えのしない今の生活が明日も明後日も……永遠と続いていくのだろう。


このままの人生を歩めば将来不幸になる事はない。

他人からの評価も高いだろう。


それを“幸せ”だといえるのなら僕は紛れもなく幸せだ。


だけど、時折心の底から湧きあがる “これでいいのか?”という思いは何なんだろうか。

年々その思いは強くなり、僕の胸を容赦なく締め付けていく。


一般的な中の上の幸せを享受しているのにもかかわらず、時折胸の中に湧き上がる渇きにも、餓えにも似た強烈な感情。


退屈な毎日を変えたくて、もっと幸せな未来を築きたい。

でもその為に、具体的にどうすればいいのか?

何をすればいいのか?


その手掛かりさえ掴めないまま湧き上がる脅迫的で強烈な思い。

そんな心を誤魔化すように、僕は今熱気で揺れるコンクリートの上をただ目的も無くブラブラと歩いている。



「チャリティーフリーマーケット?」



ふと、大きな看板が掲げてあるのが目に入った。

そのネーミングから察するに、恵まれない地域の子供達を助ける為各個人が私物を持ち寄って援助資金にする。

そんなイベントなんだろう。

特に珍しい物じゃない。


ただこの暑さの中、人混みの中へ飛び込んでいく物好きな人間も少ないのだろう。

お世辞にも繁盛している。とは言えない有様だ。



 「どうせ目的もないしなぁ」



でも、人混みも少ないし時間を潰すには最適の場所かもしれない。

そんな軽い気持で、僕はその会場に向けて歩き出した。



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