幼女誘拐×2だけど、大目に見てね
……さて、優たちは。
「っ……!」
入り口の扉を一刀両断した優は、他三人を引き連れて廃ビルに突入していた。……簡単に切れるほど薄くはなかったのだが、切れ味がいいのか、それとも優の腕前か。
「なっ……!」
「……」
「うわ……」
内部に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。建築基準法の限界まで広く作られた廃ビル。その一階は当然テナントがなく、コンクリートの壁や床、天井、そして柱のみが続いているはずだ。しかしながら、今は一つだけ違う。中に、沢山の影が存在しているのだ。
「薄々予想はしてたけど……これは悪趣味だね」
「ええ。この上ないくらいに。……あの人がやりそうな手です」
中央部に集まっている影は、人間のものではなかった。黒い体毛が全身を覆い、口は尖って、頭部には三角の耳。四肢や胴体の筋肉は厚く、手足の爪は鋭く伸びている。そして、尻のほうからは尻尾が生えていた。―――その姿は、まるで狼のようだった。
「「WOLF SERIES」の量産体……出来たんですね」
「前に来たときに、データを持ってかれたんだろうね。……でも、どうしよう? 今にも襲い掛かってきそうだし」
狼の数は、ざっと数十体。その全てが、優たちに視線を向けている。それも、決して好意的ではなく、寧ろ敵意を込めて、だ。
「どうするも何も、ここで食い止めるしかないでしょう。一般人に被害が出てはいけませんから」
「それはそうだけど……いいの? あんなんだけど」
「どんな姿でも、なすべきことは同じです」
そんな異形の群れに、優は刀の切っ先を向けた。その表情は苦悶に満ちていて、けれど言葉通り、迷うつもりはないようだ。
「瞳君も、天ちゃんも、行けますね?」
「ああ」
「は、はい……!」
名前を呼ばれて、一片兄妹も覚悟を固めた。それぞれの得物を握り締め、獣の群れに向き直る。
「舞奈ちゃんも」
「合点承知」
舞奈も、当然だと言わんばかりにエアガンを構える。
「さあ、行きますよ」
そんな仲間たちと共に、優は異形の集団へと飛び込んでいった。
……その頃、狼は。
「さて、次はどうするか」
「そうだねー」
ゲーセンで遊び尽くした狼たち。次の目的地を決めながら、町を適当に歩いていた。
「……」
前方を歩く狼と唄羽。その後ろをついて行くのは、心。彼女は今、未知の思いに囚われていた。―――彼女は今まで、自身のことを無感情な人間だと思っていた。実際、感情らしいものを抱いたことさえなかった。今までは。
「心は何か希望あるか?」
「……」
振り返った狼に問われて、心は無言で首を横に振る。……今は、違うのだ。こんな風に、何気なく自分の存在を認めてくれる。意思を確認してくれる。ただそれだけのことなのに、彼女の中に何かが芽生えてくる。それは、恐らくは感情なのだろう。それも、嬉しさという。
「そうか。何かあったら遠慮なく言えよ」
その感情は、本当に嬉しさだろうか。……少なくとも、無心で本を読むよりは、ずっと心地よかった。出来ることなら、ずっとそうして欲しい。そう思うくらいには。それこそが、喜びであり、嬉しいという感情なのだろうか。
「……?」
そう考えた途端、彼女の体に異変が起こった。それは最初、ただの違和感だった。けれど、それは徐々に大きくなり、まともに歩いていられなくなっていた。
「……っ」
「ん? 心、どうかしたか?」
心の変化に気づいたのか、狼が立ち止まって振り返った。しかし、彼女はそれに答えるほどの余裕がない。動悸が激しくなり、胸が苦しくて、呼吸が乱れる。
「おい! どうした!?」
「心ちゃん?」
さすがにおかしいと思ったのか、狼と唄羽が駆け寄ろうとしてきた。その刹那。
「……っ!?」
狼の眼前を、刃が通り過ぎた。……心の腕から刃が生えて、それが狼を切り裂こうとしたのだ。
「がっ……! ぐっ……!」
苦痛に表情を歪め、呻く心。それに連れて、腕の刃も二本、三本と増えていく。
「唄羽……!」
「う、うん……!」
狼の叫び声。それだけで、唄羽は彼が言いたいことを理解した。……唄羽は幻術が使える。その力を応用すれば、心の姿を通行人から隠せる。騒ぎを起こさないようにするための配慮だろう。
「アレグロッ……!」
唄羽の幻術が発動すると同時、狼は服の袖から、ロープのようなものを放った。その先端は心の周囲を回り、彼女の体を縛り上げる。
「サイズッ……!」
「わわっ……!」
更にもう一本のロープが飛び出し、今度は唄羽を拘束した。
「ったく……!」
そして狼は、近くの建物に飛び乗った。屋根の上を高速移動していた彼なら、それくらい容易いだろう。
「面倒なことになりやがったぜ……!」
そして、二人の女児を拘束したまま、屋根の上を疾走する。屋根から屋根へと飛び移り、人気のない場所を目指した。
……狼が選んだのは、公園だった。そこは偶然にも美也たちがいるのだが、場所が正反対だったため、顔を合わせることはなかった。
「お、お兄さん、お、下ろして……!」
ロープで縛られ、何故かプカプカ浮いていた唄羽。移動が終わったからだろう、狼に対して、拘束解除を要求している。いや、単純に、揺られまくって気持ち悪くなったのか。
「この辺に人が来ないように出来るか?」
「で、出来るけど、早く下ろして……!」
涙ながらに懇願して、ようやく下ろしてもらった唄羽。すぐに人払いの幻術を使うが、そこは既に人払いの結界が展開している。尤も、彼らがそれを知る由はなかったが。
「そ、それで、これはどういうこと……?」
「知らん。俺が聞きたい」
そして心はというと。彼女は狼たちの前方に佇んでいた。ロープの拘束は解けており―――というか、強引に解かれて―――彼女の能力を象徴している刃は、腕だけでなく全身から生えていた。普段から無感情な表情は、瞳が虚ろになっていて、少なくとも正常でないことだけは伝わってきた。
「よく知らんが、突然暴れだしたんだよな」
「心ちゃんが刃を出すのはいつものことだけど、こんなのって、初めてだよ……」
「となると、何かの原因でこうなったのか。……くそっ、こんなことしてる場合じゃないんだがな」
「ラボ」が襲ってくるかもしれないと知っている狼は、この状況に焦っていた。今不意を突かれたら、一発でアウトだ。
「……仕方ない。全力で止めるか」
狼が溜息混じりにそう呟くと、彼の体にも変化が生じた。―――四肢が太くなり、黒い体毛が一斉に生える。上着の袖やズボンの裾は衣が吹き飛び、靴もバラバラに。そして両手足の爪は、長く太く、そして鋭くなっていた。
「お兄さん、その姿……」
「獣人化。これが俺の、本来の姿だ。―――あいつは、不意打ちとはいえ、優を刺した。それに、さっきだって、咄嗟に避けてなかったら即死だった。……出し惜しみしたら、無傷で止めるどころか、こっちが死ぬ」
まるで獣―――優たちが戦っている異形のようになった腕を、心に向ける狼。別にそれを望んでいるわけではいないが、そうする他ないのであった。




