二人目の殺人
7
車はどこに行くともなく夜のニューヨークを走っていた。闇に包まれたニューヨークはこれからどうなるかわからないという危険性をはらんでいた。
「キャンベル一家のボスに話をしに行こう」
河野が考え出した一番の名案はそれだった。マーティン一家のボディーガードの脅威に対するパニックからやっとのことで立ち直った時のことだった。
「ボスにですか?」スコットは驚いたように言った。
「ええ」
「先生、それも危険が伴う可能性があります」
「どうしてです?」
「簡単なことですよ、マーティン一家のお尋ね者になっている」
「だからこそ、キャンベル一家にかくまってもらうのです」
「だめですよ。もうこれ以上争いを起こしたくないキャンベル一家はマーティン一家に俺たちを戦犯として引き渡すでしょう」
「それでも、ボスに会う必要はあるんじゃないんですか?もしかしたら、まだ、マーティン一家は彼らのボスが死んだことを公表していないかもしれない。
だとしたら、まだ抗争は始まっていない。キャンベル一家もまだ、マーティン一家のボスの死を知らないかもしれない。だったら、会う価値はあるじゃないですか」河野は説得した。
「しかしそれは推測でしかない」スコットは言った。
「しかし、私がマーティン一家の幹部だったら、組織全体の方針が固まるまで、ボスの死を公表したりはしませんがね」
「まったく、先生の言うとおりにするべきかもしれねえな」
スミスは言った。
「どうしてだ?」
「だってそうだろ?俺たちはどうせ行く当てもないうえに、このままキャンベル一家とも接触しなければどっちにしてもニューヨークにいる限りマーティン一家に追い詰められて殺されちまうよ。だったらなるべく早く、まだマーティン一家のボスが殺されたことが公表されていない可能性を信じて、キャンベル一家に接触するっていうのが賢明な判断じゃないのかい?」
「そうですよ。スミスさん」河野は言った。
「仕方ねえな。確かにスミスの言う通りかもしれねえ。このまま何もしなければ、死にに行くだけだからな」
「そうだろ?」
河野たちはまた、キャンベル一家のボスであるウィリアム・キャンベルに会うことにした。
スコットはウィリアム・キャンベルと連絡を取り合った。ウィリアム・キャンベルは河野たちと会う場所にニューヨークの背の高いホテルのとある一室を指示してきた。
「どうやらボスはまだ、マーティン一家のボスが死んだことには気づいていないらしい」スコットは電話を切ると言った。
「しかしそれも罠かもしれない」河野は言った。
「そうだ。確かに罠かもしれねえ。マーティン一家のボスが死んだことを素知らぬふりをして、先生やスコットをおびき出し、生け捕りしようという作戦なのかもしれねえ」
スミスは言った。
「十分に用心してかかる必要がありますね」
「先生、俺の銃を一つ貸しておいてやるよ。もしもの時は使うがいいよ」スコットは言った。
「でも、あなたの銃は?」
「俺は最初から念のために二丁持ってるんだよ」
「なるほど」
河野たちは車を飛ばして、約束のホテルの前までやってきた。ホテルは本当に背が高いビルで、そのあたりでは一番だった。夜の暗い空に煌々とその高い塔のようなビルはそびえたっていた。
夜になったばかりのニューヨークは車の通りが激しかったが、そこも例にたがわなかった。
「さあ、出発だ」
ほぼ無人の駐車場に車を置いて、河野たちは一斉に車を飛び出した。そして、早歩きでホテルの中に入った。歩くたびにさっきスコットに貸してもらった拳銃がずっしり重かった。それは拳銃を持つ者の責任がそうさせているように感じた。
ホテルの中は当然、明るかった。見事にまで証明が降り注ぎ、ロビーで待つ客を照らしていた。大きなホテルだったから、そこにいる人間もさまざまであった。夜になっても働いている人間はたくさんいた。
その人々の働いている姿を見て、日常の大切さを再認識させられた。こんなところで、何をやっているんだ。河野は窮地に立たされている自分を恥じた。
スコットが先頭に立ち、ロビーの受付に向かった。
受付の女は金髪のきれいな女だった。
「すみません」スコットは言った。
「何でしょう?」
「2015室のキャンベルという人と約束があるんですが」
「少々、お待ちください」
受付の女はそう言うと電話を掛けた。おそらく2015室に掛けているに違いない。ウィリアム・キャンベルと会うのだ。河野はそう思った。
確かに受付でウィリアム・キャンベルに電話を掛けさせることは非常にリスクがあった。ウィリアム・キャンベルが罠を仕掛けていた場合、スコットたちが来たことが簡単にわかってしまうからだ。
しかし、スコットの中にはウィリアム・キャンベルに会う前に電話で予告をしなければボスに会う部下として礼儀を損なう、と考えたのだった。
つまり、スコットの考えにおいて、マフィアとしての礼儀の方が、危険を回避することに勝っていたということが言える。
これから始まるのは、死につながる戦いなのか、それとも、生へつながる戦いなのか、河野には見当もつかなかった。ただその過程が危険に満ちていることだけは河野にもはっきりとわかった。
「部屋で待っている、とのことです」
受付の女はしばらくの電話をした後、言った。
河野たちはそのホテルの2015室に向かうこととなった。
エレベーターを使いそのホテルの2015室を目指した。エレベーターはぐんぐんと地上から離れ、すぐに20階に到着した。
エレベーターを降りて、しばらく歩くと、河野たちは2015と書かれたドアの前に立っていた。
「いよいよだな」スミスは言った。
「みんな気を引き締めるんだ。俺たちはもしかしたら罠の中に入り込んでいるのかもしれねえからな」
「いいか、スミスは部外者だから、あまりしゃべるなよ。もしお前がマーティン一家のものだとわかったらややこしいことになるからな」
「わかってるって」
「じゃあ、呼び鈴を鳴らすとしよう」
スコットはそう言うと、呼び鈴を鳴らした。しばらくすると、中から一人の男が扉を開けた。
「待ってたぞ」
ダニエル・ジャクソンだった。最初キャンベル一家のボスにあった時に体格のいいボディーガードがいた、それのアフリカ系の方だった。
「おい、先生はいいとしてそいつは誰だい?見慣れない顔だな」
ジャクソンはスミスを指差して言った。
「ああ、河野先生の友人だとよ。そいつがいないとうまく捜査できないらしくてよ」スコットは言った。
「ジョシュア・スミスと言います」
スミスは言った。これまでもスミスは偽名を使った方がいいのではないか、と言ったのだが、キャンベル一家のボスの側近が、マーティン一家の末端の人間のことなんて知るはずもない、ということで、名前はそのままでいい、という判断をしたのだった。
これにはいくらか利点があった。もし偽名を使っていた場合、スミスは偽名を呼ばれるたびに返事しなければならないが、たまに、自分の名前と違う名前だと思って返事をしない場合だってある、と考えられたからだった。
しかしこの策が本当にうまく行くかどうかはこの後の状況を見てみなければわからなかった。
「そうかい、普段なら、部外者を入れる気はさらさらないと言いたいところだが、今は状況が少し違う」
「何かあったのか?」
「ああ」
「何があったんだ?」
「口で説明するのは簡単だが、見ることの方が大事だっていうこともある、とにかく中に入って今の状況を確かめてくれ」
「わかった」
スコットはそう言うと、部屋の中に入っていった。河野とスミスも後に続いた。何が起こったというのだ?それとも、これはやはり罠で、スコットの興味を引いたのは河野たちをおびき寄せるためだけに用意されたものだったのか?
さすがはキャンベル一家が借りる部屋とあって、広い部屋だった。手前の部屋には大きな机があり、しゃれた椅子がその近くに設置されてあった。奥の大きなガラス張りの窓は全面にわたっていた、そしてその向こうにはきれいなまでに夜景で装飾された夜のニューヨークがあった。部屋はまだ続いており、右手はベッドルームらしく、左手はシャワールームらしかった。
床にはきれいに装飾された唐草模様のじゅうたんが敷かれてあった。
窓際に置かれたソファに座っているのが、ウィリアム・キャンベルのようだ。赤いワンピースを着た一人の若い女が大きな声で泣いていた。そのわきにもう一人こわもての男がうつむいており、左手にはジャクソンとは別のアフリカ系の背の低い男がハンカチを持っていた。それ以外にも2、3人の人間がそこにいた。
要するに、そのホテルのスイートルームには河野が思っていた以上に組織の人間がたくさんいた、ということだ。
「ボス」
スコットは言った。若い女はウィリアム・キャンベルにすがりついて泣いていた。とうのウィリアム・キャンベルは、というと、どうやら息絶えて死んでいるようだった。
「いったい、どうしたって言うんだ?」
ウィリアム・キャンベルが息絶えていたことを確認したスコットは、近くにいた、もう一人のイタリア系のボディーガードの大男、アイデン・ムーアに言った。
「わからねえんだ」アイデン・ムーアは放心状態にあるようだった。
「ムーアはどうやらボスの死で動揺しちまってるみたいでな」
河野たちを迎え入れて部屋に戻ってきたダニエル・ジャクソンは言った。
「何があったんだ」
「どうやらボスは殺されたらしい」
「それは見りゃあわかる。俺が聞きたいのは誰がやったのかっていうことだ」
「それはおれもわからねえ。知らぬうちに、だ」
「わからねえって、ボスの警護役はお前らのはずだろ?」
「一つ言えることはおれたちが目を離したすきにやられたってことだ。犯人は誰だかわからねえ」
「まったく、仕方のない奴らだな」
スコットは吐き捨てるように言った。
「すまねえ。みんなに今、謝っていたところだ」
ジャクソンは言った。
「ボディーガードだけのせいじゃねえ、俺たちみんなが悪いんだ。ボスから目を離していた俺たちが……」
ハンカチを持っていたアフリカ系の背の低い男が言った。その男は背が低いうえに、少し太っていて、スーツを着用していた。
「ジョン・ウィルソン」
スコットは言った。どうやらこの背の低い男はジョン・ウィルソン、というらしい。
「そうよ、無能なボディーガードだけに任せていたのが悪いのよ」
赤いワンピースを着、ウィリアム・キャンベルにすがりつき、泣いていた女は言った。
「父親を殺されたからって、それは言いすぎじゃないですか?ソフィアお嬢さん」
どうやらこの女はソフィア、と言う名らしい。それから、スコットの話の内容から、どうやら、この女はウィリアム・キャンベルの娘らしい。
「確かに、ソフィアお嬢さんは父親を殺されたんだから、そういう気持ちになるのもわかりますが、ここはボスが殺された時の状況について考えるのが最も賢明なんじゃないですか?」
うつむいていたこわもての男が言った。
「そうだな、ベンジャミン・クック。それで警察は呼んだのか?」スコットは言った。
「この状況では呼ばないわけにはいかないだろう」
「確かにそうだな。呼ばなければ後で何を言われるかわからねえからな」
「だから、もう通報しておいた」
「そうか」
「もう少しで来るはずなんだがな……」
その時、部屋の電話がけたたましくなった。その電話は警察がホテルに到着した、という電話であることをあらわしていた。