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追われる身



 眉間を拳銃でやられていた。眉間からは血が噴き出し、マーティン一家のボスは黒色の高級そうなソファにもたれて、座っていた状態だった。もちろん、ソファーにはおびただしい量の血がついてい る。

 マーティン一家のボスはまだ50代半ばの男で、白いシャツに黒いズボンをはいていた。サスペンダーをしたその男のシャツにはべっとりと血がついているせいで、河野にもすぐに死んでいることが分かった。

部屋は散らかっていなかった。机の上の本棚にはきれいに本が並べられていたし、引き出しはきちんとしまっていた。開いている引き出しなんて一つとしてなかった。

 ただ天井に据え付けられたシーリングファンだけが鈍い音を立てて、ひとりでにぐるぐると回転していた。

誰も話すものはいなくなり部屋はしんとした。

「これからどうします?」

 いくらかの言い出しにくさを覚えながら、河野は言った。

「簡単なことですよ、一刻も早くここから脱出することです」

「ええ?外のボディーガードにマーティン一家のボスが死んでいることを告げないんですか?」

「先生、それじゃだめだ」スコットは言った。

「どうして?」

「そんなことしたら俺たちが一番疑われてしまうじゃないですか?」

 わかってない、という風にスミスは顔を横に振った。

「確かに第一発見者は疑われやすいでしょうけれど……」

「この状況では特にそうです。マーティン一家のボスがほかに誰もいない部屋で殺害された。ボスに最後に会ったのはおれたちだ。そのうえ、われらがジョシュア・スミスは明らかな部外者を連れてボスに会いに来た。これじゃあ、どうひっくり返ったって無実を主張することはできませんよ」スコットは言った。

「そうです。無実を主張すれば即拳銃で頭を打ち抜かれるだけです。ボスと同じようにね」

 ジョシュア・スミスは言った。

「なるほど。マフィアの内情に関しては良くわかりました」

 河野はたじろぎながら言った。

「さあ、どうするかです」

「道は一つしかない。まるでボスが生きているかのように素知らぬ顔でこの場を後にするしかないでしょう。幸い、まだ誰もボスの死については気づいていないようですし」

「犯人以外はね」河野は言った。

「じゃあ、まずは全員この部屋を出る。それから、うまくボディーガードをやり過ごし、ある程度ボディーガードの目が届かないところまでは歩いて逃げる。それからは車まで一目散に逃げるというのがベストでしょう」

 部屋の中はやけに静まり返っていて不気味だった。何よりもソファの上にある、あのボスの死体がその不気味さの原因となっていることが簡単に分かった。

「なるほど、私たちは二つのマフィアに抗争を誘発しておいて、マーティン一家のお尋ね者になれ、というわけですね?」

 河野は挑戦するように言った。

「まあ、そういうことです」スコットは言った。

「何とでも言ってください。今のところ、俺たちが生きる道はそれしかないんですから」

「わかりましたよ。皮肉なんて言っている暇はなかったですね」

「そうですよ。すぐに逃げましょう」

 河野たちはゆっくりとドアを開け、一階へ通じる階段へと向かった。その廊下は一本道で、ほかに部屋はない。廊下は不気味なほど長く続いていた。事実廊下は酒場全体もそうであるように薄暗かった。酒場が開店すればそれも違ってくるのだろうが、その時の状態はそうであった。赤いカーペットが敷かれていて、それがボスの死体についていた血と重なって河野は吐きそうになった。廊下を抜けて、河野たちは一階へ通じる階段へとたどり着いた。

「どうでした?」

 ボディーガードのうちの一人のマイケル・ハワードは言った。

「まあ、どうってことないよ」

 さすがのスミスも動じているようだった。こういった状況を潜り抜けるのは並大抵のことではないだろう。事実、河野は足ががくがくふるえていた。スコットがうまくボディーガードの視線に入ってそれを隠してくれた。

「それで?ボスとどういう話をしたんです?」マイケル・ハワードは言った。

「それは言えないな。秘密の話さ」

「なるほど。スミスさん、あんた、なにか顔色が悪いですよ?具合でも悪いんですか?」

「まあ、そんなところさ。とにかく俺は早く帰らせてもらうよ」

「そうかい、おい、クリストファー・コリンズ」

 マイケル・ハワードはもう一人のボディーガードの名前を読んだ。

「何だ?」

「ボスはそろそろ夕飯の時間だ、何がいいか聞いてきてくれないか?」

「わかった」

 コリンズはそう言うと階段を上がって行った。まずい、階段を上がってボスが死んでいることに気付かれると本当にまずい。一刻の猶予もない状態だ。河野はそう思った。そして今すぐにでも、一目散に走って逃げたい気持ちだった。同時にがくがくの足で走って逃げられるかどうかを心配に思った。

「じゃあ、俺たちはこれで帰ることにするよ」

「わかりました、では、また」マイケル・ハワードは言った。

「前を見て、ゆっくり歩け」

 ある程度マイケル・ハワードから離れるとスミスは言った。

「気づかれるまで、ゆっくり歩くんだ」

 スコットも、もう一目散に逃げだしたい河野に対して言った。

「おい、あの三人を捕まえろ」

 背中越しにでも、階段から、クリストファー・コリンズが下りてくるところが容易に想像できた。

「どうしたんだ?」マイケル・ハワードは言った。

「やつら、ボスを、ボスを殺しやがった」

「何?」マイケル・ハワードは言った。

「いまだ、走れ」

 この掛け声とともに、三人は猛烈な勢いで駆け出した。河野は一番出遅れたが、それでも十分に、ボディーガードからは間があった。そのことで河野は少し安心していた。河野はあの足ががくがくの状態でも走ろうと思えば走れるものだな、と自分の足に感心した。

 安心するのもつかの間だった。激しい音が鳴った。ボディーガードは河野たちに発砲してきたのだった。1発、2発、3発。ボディーガードは立て続けに発砲した。弾は河野たちをかすめ一つは壁に当たり、一つはガラスで作られた扉にあたった。壁に当たった弾は鈍い音を立て、ガラスで作られた扉には生々しいほどの弾痕ができた。そしてもう一つは酒瓶にあたったのだった。酒便からはどくどくと血が流れるように酒が漏れ出した。河野たちに弾が当たらなかったのは部屋が薄暗いおかげであったからかもしれない。

 それでも、河野たちは立ち止まることなく走り続けた。店を出て横に曲がり、車に向かって走りに走った。もうすぐ夜のニューヨークがやってこようとしていた。車は相変わらずたくさん行き来していたし、人の通りも多かった。そのなかで、無事、3人とも車に乗ることができた。

 しかしそこでも問題は起こった。車に乗ったスコットがキーをなかなか差し込めないでいた。

「スコット。早く」

「わかってる。こん畜生め」

 スコットは震える手を鍵穴にやっとのことで差し込み、エンジンをかけた。

「待てー」

 エンジンをかけたころにはだいぶん時間がたっていたのか、ボディーガードたちは酒場から出て、こちらに向かって走ってきていた。

「スコット、早く出すんだ」

「わかってらあ」

 スコットは車を発進させた。間一髪、ボディーガードには追い付かれずに済んだ。

 また、激しい音が鳴った。拳銃の音は今度は6発鳴った。幸い、スコットの蛇行運転のおかげで、車への被弾は後ろの方のガラスへの一発で済んだ。

 ガラスには鮮やかに銃弾の跡が残っていた。その向こうには、ボディーガードが悔しがっている姿が目に入った。



「危なかったな」

 しばらく車を走らせるともう追ってはこないと思ったのか、スコットは安心した様子で言った。

「ああ」

「まさか、スコットが車のキーを入れるのに手こずるとはな」

 冷やかし交じりで、スミスは言った。

「仕方なかったんだよ。俺だって怖いときは怖いさ。あせるときは焦る」

「あれは怖がっていたのか?それともあせっていたのか?どっちなんだ?」

「焦っていたんだよ」スコットは言った。

「しかし、これからどうするよ。ボスはやられちまった。俺が連れてきた男がキャンベル一家の人間だと知れたら、じき、マフィア同士の抗争が起きるだろうよ。俺にはもう生きた心地がしねえよ。まさか、この俺があんなにも怖がっていた抗争を引き起こしてしまうんだからよ」

「仕方ないですよ。これからどうにでもなります」

 河野はスミスを励ますように言った。これから、行く当てはないかのように思われた夕方のことであった。



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