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スミスとの出会い、そして、一人目の殺人



 目隠しを外してもいいと言ってもらえたのは、もう、河野が見慣れている街並みの真っただ中でのことだった。

「これから先生に会ってもらいたい人物がいるんです」

 スコットは人通りの多い、さっきまでとは全く違う街の中で、車を走らせながら言った。車はスコットが運転していた。最初に来た時に車を運転していた運転手はウィリアム・キャンベルのアジトを出発したときにはもういなかった。そのせいで、河野は助手席に乗ることになった。

「それは一体誰なんです?」

「マーティン一家の末端の人間です」

「マーティン一家?」

 これも聞いたことのある名前だった。キャンベル一家と同じくらいの規模のマフィアの組織で、その名は良く知られたものだった。

「ええ、知っていますよね」

「知ってますが、八百長事件と何か関係あるんですか?」

「実は広く野球賭博をやっていたのはキャンベル一家だけではないんです」

「なるほど、マーティン一家もそれにかかわっていたっていうことですね?」

「ええ。マーティン一家はキャンベル一家と共同で、野球賭博の胴元をやっていました」

「そうですか」

「そしてこれから話を聞きに行く人間はマーティン一家の内情をよく知る人物なんです」

「なるほど」

「それで、先生にはその男の話を聞いて、何か参考にしてもらってはどうか、と考えているんです」

 車はニューヨークの街の中を走り、ブルックリンのあたりを通り過ぎて、ずっと東へと向かった。

「ここです」

 到着したのは人通りの多い道路の一角に構えていた喫茶店のような場所の前だった。黒塗りで見た感じ高そうな車を降りると、二人は喫茶店に向かった。

 日向ぼっこするにはちょうどいい季節で、喫茶店に据え付けられたオープンカフェにはたくさんの客がいた。

 スコットはいやらしいまでにその客たちの顔を眺めた。視線を向けられた客は嫌そうな顔をした者もいたが、そんなこと、スコットにはお構いなしだった。

 しばらく、スコットは喫茶店の客の顔を見続けたのち、一人の男の前で立ち止まった。その男は白い円形のテーブルに座って煙草をふかし、サングラスをしていた。髭はきれいにそられていたし、何か感じのいい男に見えたが、しかし、それは彼がマーティン一家の人間でないならば、という条件付きでの話だった。

「ジョシュア・スミス。調子はどうだ?」

スコットはその男の前で立ち止まると言った。

「良くも悪くもないってところだな」

 ジョシュア・スミスは言った。スコットとスミスはそこで握手を交わした。

「こちらは河野卓一先生だ」

「よろしくな、先生」

 スミスが握手をする手を差し伸べてきたので、河野はそれにこたえるよりほかはなかった。

「ああ、よろしく」

「ところで、こんな真昼間に呼び出しやがって……。俺たちマフィアは夜の方が性に合ってるんだ」

スミスはスコットに向き直って言った。

「まあ、そう言うなよ。呼び出した以上は重要なことを聞きに来たんだ」

「まったく、仕方ねえな」

「キャンベル一家と、マーティン一家の野球賭博の話をこの河野先生にしてやってくれねえか?」

「そうか、そのことで来たのか。ならば話すよりほかねえな。キャンベル一家とマーティン一家はとても仲がいい間柄だったんだ……。あの事件が起こる前まではな……。

 去年も同じように俺たちは共同で野球賭博をしていた。野球賭博って言っても、もちろん内輪だけでやるやつじゃないぜ。ニューヨークじゅうの人間が賭けに参加できるような仕組みのやつだ。

 野球賭博っていうのは法律では禁止されているが、街中のあちらこちらで行われているんだ。小さな規模のものはね……。小さな野球賭博をさせるくらいなら、大きな規模の野球賭博でその住人達を賭けに参加させたら儲かると考えたのが始まりさ。

 それはもう慣例にくらいなっていたし、俺たちの大きな収入源でもあった。去年の野球の世界一決定戦も大儲けさせてもらったよ。

 しかしだ、俺たちは公平に公平を期していた。最もリスクがあるのは世界一決定戦でその野球賭博ができなくなることだからな……。八百長をすることはタブーとされていたんだ。しかし、去年の世界一決定戦で誰かが八百長を仕掛けたんだ。

 誰だかはわからねえ。しかし、そのせいでみんなお互いを疑うようになった。キャンベル一家と、マーティン一家の間柄もそうさ。前までとは全く違うようになった。

 今年は去年と同じように野球賭博ができるかどうかはわからねえ。俺にも全くわからねえんだ、ちくしょう」

 ジョシュア・スミスは言った。サングラスのせいで表情は半分しかわからなかったが、本当に悔しがっているのは事実のようであった。

「キャンベル一家と、マーティン一家が仲が悪くなったのはおれたちも憂慮しているよ。今にも抗争が起きようとしているくらいだからな」スコットは言った。

「抗争?そこまで状態はひどくなっているんですか?」

「ええ、先生。もしこのまま放置すれば今年の世界一決定戦をどちらが胴元をやるかや、八百長の罪をなすりつけ合おうとしているので、抗争だって起きかねませんよ。抗争が起きれば大変なことになる。おそらく一般市民だって巻き添えになるでしょう」

「そんな……」

 河野は不安に思った。その喫茶店には客がたくさんいた。その中のほとんどはもちろん一般市民だった。もしここでキャンベル一家の人間であるスコットと、マーティン一家の人間であるスミスが抗争を起こしたとして、お互いの拳銃を使ったとする。

 そうすれば流れ弾は確実に一般市民にあたるだろう、死者が出ることも避けられないかもしれない。

 スミスとスコットは仲がいいが、もし抗争となれば、たもとを分かち戦うことになるだろう。そうなればこの喫茶店でのことを想像するように確実に一般市民の間でも被害者が出てくる。

 河野はその現状を想像して恐れおののいた。

「そんな弱腰では困りますね、先生。あなたがその市民の危機とやらを救うために雇われたんじゃないですか」

スコットは言った。

「確かに私はこの事件を引き受けました。しかし、そんな重大なこととは夢にも思ってませんでしたよ」

「とにかく、まあ、キャンベル一家とマーティン一家は仲が悪いんだ。だから、今、スコットと会っていることも、仲間には内緒にしてある」

「キャンベル一家とマーティン一家が仲が悪いのに末端であるあなたたちは仲がいいなんておかしいですね」

「まあ、俺たちは昔から仲がいいから、その付き合いをやめられなくてよ」ジョシュア・スミスは照れながら言った。

「スミス、じゃあ、行こうか」

「行こうってどこに行くんです?」

 奈良は不思議がって行った。

「簡単なことさ、マーティン一家のボスに会いに行くんだ」

「どういうことです?さっきは内緒にしてあるって言ったじゃないですか」

「仲間には内緒にしてあるがボスだけは別もんだよ。俺はあの人だけには隠し事ができねえんだ」

「なるほど。有事の時のためにホットラインは常に持っておけ、ということですか」河野は納得したようにうなずいた。

「そういうことさ」

「じゃあ、行こうか」

 そういうとスミスは勘定を払い、その喫茶店を後にした。スミスが後部座席に乗り、河野は助手席、運転は相変わらずスコットだった。しばらく車を走らせると、大きな酒場にたどり着いた。このあたりは普通に一般市民がいるところだ。そんな場所にマフィアが経営する酒場があり、その裏にボスがいると考えると不自然でもあった。

 夕方になったニューヨークはエンパイア・ステート・ビルがまぶしかった。太陽がちょうどエンパイア・ステート・ビルに重なって、指にはめられた宝石のように見えた。

 そのことは一瞬、心を和ませたが、この、もうすぐ抗争が始まるかもしれないというどうしようもない現実を考えると、すぐに穏やかな気持ちは吹き飛んだ。正義のためにも必ず抗争は阻止しなければならない。河野はそう思った。

「ここだ」

 酒場の前で車を降りたスミスは言った。河野たちは酒場の中に入った。

 夕方とあって酒場の中には人は集まっていなかった。ほとんど無人といった状態で、開店前の準備をしている店員が何人かいた。

 店内は薄暗かった。開店しているときもそうなのかどうかはわからなかったが、人が仕事をするのにやっと見えるというくらいの明かりしかなかった。

 他に明かりはと言うと、隣の建物によって遮られた窓から、うす裏と太陽の明かりが漏れ出ていたくらいだ。

 それは店内の雰囲気を作っているのかどうかはわからなかったが、そうだとしたら考えられた上になされたことなのだろうと河野は思った。

 向かって右側にカウンターがあり、そこでバーテンダーは開店前の仕事をしていた。

 棚には酒瓶がたくさん並べられ、酒瓶はすぐに客に提供できるようになっていた。仕事の後の一杯は格別だろうな、と河野は思った。

「ここはうちが経営している酒場なんだ」

 スミスは歩きながら言った。ほぼ無人の酒場は何か不気味にさえ思えた。

「よお、スミスじゃないか」

 一人の男が一番奥の二階へと通じる階段から降りてきて言った。あたりが薄暗い中でかろうじて見える距離だった。白いスーツを身にまとった金髪のその男は、いかにもずるがしこそうで、それほど背も高くなく、一見ひ弱に見えたが、腕っぷしも強そうだった。

 ずかずかと歩いてきたその態度の悪さは、河野にもすぐに分かった。

「ジャクソン・ウィリアムズ。久しぶりだな」

スミスはうれしそうに言った。

「まだ酒場は開いてないぜ?どうしたんだ?こんな時間に。お連れさんと一緒に。ボスに用か?」

「そうだ」

「まあ、ゆっくりしていけや。俺は時間がないんだ。じゃあな」

 ジャクソン・ウィリアムズはそういうとすぐに河野たちとすれ違い、出口の方へ向かって行った。

「いやな奴だぜ。しかし、ボスには気に入られている」

 スミスは言った。ジャクソン・ウィリアムズはどうやら評判が悪いらしい。

 とすると河野の見立ては当たっていた、ということになる。

「さあ、ボスに会いに行こう。あの階段を上がればすぐだ」

 スミスは言った。階段のすぐそこにはボディーガードらしき男が二人立っていた。どうやら、その二人はマーティン一家のボスの警護をしているらしかった。

「スミスさん。ボスに用ですか?」

 二人の男のうち一人は言った。それはとても野太い声の男だった。スミスのことを信頼していないらしく、怪訝そうな目つきで、河野たちを見た。

 スミスが信頼されていないのだから、河野やスコットはなおさらだ。ここでスコットがキャンベル一家の人間だということが知れたらどうなるだろうか?

 河野は考えるだけで空恐ろしくなった。

「そうだ。マイケル・ハワード」

「ボスは今、機嫌が悪いんです。手短にお願いしますよ」

「わかったよ」

 スミスはそう言うと階段を上がった。河野たちはマーティン一家のボスの部屋に入る前に武器を持っていないか入念にボディーチェックを受けたわけだが、スミスだけは信頼されているのか、ボディーチェックはされなかった。スコットはこうなることを予測して銃は車の中に置いてきていた。

 そのことからも考えて、スミスは、マイケル・ハワード個人には信頼されていなかったかもしれないが、組織全体においてはある程度は信頼されているようだった。

 スミスはマーティン一家のボスがいる部屋の前でノックをした。

「ボス、俺です、スミスです、入りますよ」

 そういうとスミスをはじめ、河野たちは全員、マーティン一家のボスの部屋に入った。

 血の匂いがした。

「様子がおかしいぞ」

 部屋の扉を閉めるなりなんなり、スミスは異変に気付いた。おそらく、スコットもそうであったが、彼は何も言わない。

「ボス?ボス?」マーティン一家のボスは死んでいた。

「死んでるな」スコットは口を開いた。

「これはまずいことになったな」

「確かに。マフィア同士の抗争は避けられませんね」

 河野は震える声をやっとのことで押し殺しながら言った。

「そうじゃないんですよ。河野先生」

「え?」

「まずいことになったのはおれたちです。先生」


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