スミスとの別れ
18
今度は目隠しをされなかったから、そこに来るまでの道を簡単に知ることができた。目隠しをされていた時は長く感じられた道のりも、なんてことはない、すぐについた。
当たり前だけど、その場所はニューヨーク市内にあった。そこはなんてことはない、河野の知っている行きつけの店がすぐそこにある、裏通りだった。
しかし、あの時、その場所に来るまでに、河野はそこに一度として訪れたことはなかった。ニューヨークで河野が訪れたことのない場所なんてたくさんあったけれど、そこもその場所のうちの一つだっただけだ。
しかし、その場所の殺風景さと言えば、どこの街にもないほどのさびれた場所だった。
天気がそんなによくなく、曇り空が広がっていたから、あの時、来た時と同じように日当たりが良い場所にはなっていなかったけれど、そこは紛れもないあの場所だった。
河野が100万ドルというお金と自らの安全に目をくらまされて、危険なマフィアの世界に足を踏み入れたその場所に違いなかった。
河野はその時になると十分、後悔していた。たかが100万ドルとマフィアからの安全のために、こんなにひどい目に会うなんて、割に合わない、と思っていた。
もちろん、当初は、八百長を仕掛けた犯人を見つけるだけの簡単な仕事だったのだけれど、簡単に変わりゆくマフィアの世界のせいで、それが殺人事件へと発展し、その上、自分は警察にもマフィアにも追われる身となっている。
河野の失態は何よりも、マフィアの世界がすぐに変わりゆく世界だ、ということを把握できていなかったことだった。
そのせいで、簡単な仕事で、100万ドルと安全を手に入れるはずが、警察にもマフィアにも追われる身分となったのだから。
車は前と同じ場所に停車した。あの最初に日当たりのよい暖かな場所だったところだ。今となっては雨が降りそうなほどにどんよりとした雲が広がった空のせいで、陽だまりも何もなかった。
「さあ、行くぞ」車を停めると、スコットは言った。
「ついにスリル満点の交渉の始まりだっていうことだな?」スミスは茶化して言った。
「残念だけどそのようね」
「まさか、こんなことになるなんて」
「先生、そんなこと言っている場合じゃないじゃない」
ソフィアは励ましてくれた。
「そうだ、今はただ、自分たちが助かることだけを考えてればいいんだ。先だけを見つめていればいいんだよ」スミスは言った。
「そうですね。じゃあ、行きましょうか」
スコットを先頭に河野たちはゆっくりとあの廃墟の中に入った。廃墟の中は前と変わらない状態だった。
すなわち、がれきがそこかしこに転がっていた。歩くのが困難なほどではないが、それでも、がれきはたまに足にぶつかった。
「で?この廃墟が待ち合わせなことはわかったが、この廃墟のどこで待ち合わせをすることになってるんだ?」スミスは言った。
「先生、覚えてますか?ちょうど、ボスがあなたとあった場所ですよ」
「そんなこと言われても、俺はそのときいなかったからわからねえんだが」スミスは言った。
前と同じように階段に差し掛かる。スコットはゆっくりと階段を上り始めた。それにソフィア、スミスも続いた。みんな緊張が顔に出ていて、それが河野には恐ろしかった。
階段を一段一段上がっていくうちに、あの場所へとたどり着くのだ。あの場所へ近づくたびに、体がこわばって、緊張しているのがひしひしと伝わってくる。
3階まで登り終えると、前と同じようにスコットはしばらく歩いた。そして、一つの部屋の前で止まった。
「ボスがお気に入りだった場所だ」スコットは独り言を言うように言った。部屋の前にはやはりドアはなく、前のように門番もいなかった。
しかし、明らかに人の気配はした。部屋の中に誰かいるのだ。
「じゃあ、行くとするか」
スコットは懐に手を入れていた。きっと拳銃を握っていたに違いない。
扉を潜り抜けると、やはり、キャンベル一家の人間がいた。
「よお、スコットにお嬢さん、ほかの方たち、よくいらっしゃった」
アイデン・ムーアに、ダニエル・ジャクソンがいて、その真ん中にあのアフリカ系の背の低い男のジョン・ウィルソンがいて、そのすぐそばにあのこわもてのベンジャミン・クックがいた。
「それで?俺たちはあんたたちが呼びつけたとおりにここにやってきたわけだけれど、あんたたちはどういう理由があって、俺たちをここに呼びつけたんだ?」スコットは珍しく大声で言った。おそらく、彼は少なからずキャンベル一家におびえていたに違いない。
「まあ、そう、怒るなよ。何も俺たちはあんたたちと戦おうって考えているわけじゃないんだ」ジョン・ウィルソンは言った。
「それを聞いて安心したぜ」スミスは胸をなでおろす。
「それで?どういう要件で、俺たちをここに呼びつけたんだ」
「状況は最悪だ。どうやら、うちの構成員の一人が、マーティン一家のもんに大けがをさせられたらしい」
「それは聞いたよ」
「どうやら抗争は避けられないようだ」
「ということはおれたちをあいつらに引き渡して、ことがなかったようにしようって考えてるんじゃないのか?」
「確かにそういう話も出た。しかし、俺たちだってプライドっていうもんがある」
「どういうことだ?」
「末端とはいえ、うちの構成員をひどい目にあわせられて黙っていられるほどじゃねえってことだ」ジョン・ウィルソンは怒りに満ちた声で言った。
「なるほど」
「ということで俺たちはお前らをかくまうことにした」
「それはありがたいね」スミスは言った。
「そうだろ?」
その時だった。急に後ろから銃声がした。その銃は誰にもあたることはなかったが、一同を心の底からびっくりさせるには十分すぎるくらいだった。
「いったいどうしたっていうんだ?」
驚いたようにジョン・ウィルソンは言った。
その時、一人の男が、河野たちのいる部屋に入ってきた。
「ウィルソンさん、マーティン一家のもんがやってきやがった」
その男はどうやらキャンベル一家の見張り役のような下っ端の男だった。
「そんなバカな、この場所は誰にも悟られないような秘密の場所なはずだぞ?」
「スコット、つけられたな?」
ベンジャミン・クックが言った。
どうやら、河野たちは知らず知らずのうちに、マーティン一家の者に後をつけられていたらしい。
しかし、いつつけられたのか河野には皆目見当がつかなかった。
「いつ、つけられたんです?」河野はスコットに聞いた。
「おそらくあの時だ。ジャクソン・ウィリアムズを追って、港の波止場へ行った時があっただろ?」
「ああ、あの時か」
「あんな時からつけてたなんて、私たちがキャンベル一家の上層部と会う機会を今まで待ってたのね」ソフィアは舌打ちして行った。
「なるほど、それで、マーティン一家はボスを殺された恨みを晴らそうって考えてたんですね?」
「今なんて言った?おまえたち、マーティン一家はボスを殺されたって言ったのか?」ジョン・ウィルソンは言った。
しまった。河野は思った。そういえば、キャンベル一家の連中はマーティン一家のボスが殺されたことを知らないのだった。抗争が起こったことも、キャンベル一家は野球賭博の八百長の件で起こったと思っていることをすっかり忘れていたのだ。
「いや、その……」
「まあ、いい、今はそんなことを言っている場合じゃねえな。逃げ道を確保しなければ」
「そうだ。奴らはすぐにこの場所にやって来るだろうよ」スコットは言った。
「逃げ道を確保したら奴らを迎え撃つんだ」
「逃げるだけじゃだめなのか?」スミスは不安そうに言う。
「馬鹿言え。この場所はキャンベル一家のもんだぞ?奴らよりもずっとこの場所はおれたちの方が詳しいんだよ」ジョン・ウィルソンは言った。
「なるほど、つまり地の利はこちらにある、ということですね?」
「ああ、そうさ」
「さあ、みんな、こっちだ」
ジョン・ウィルソンは、仲間たちを誘導した。がれきがところどころに落ちている廃墟はとても、歩きにくかった。だからって、そんなこと言ってられない。すぐにでもマーティン一家の者が河野たちに追いついて、銃を向けてくるかもしれない。
何よりもその場所は入って来るときに使った扉しかなかったから、追い詰められれば危険極まりなかった。つまり、通り抜けできない部屋だったので、逃げ道がなくなることは非常に危険だった。
だから、ジョン・ウィルソンはいったんは逃げることに決め、逃げ道を確保した後に、反撃に出よう、と考えたのだ。
ドアのない扉の敷居をくぐって、河野たちは必死で早歩きに徹した。というのも、走ると、がれきにつまずいて転ぶ可能性があったし、何よりも音を立てるのが危険だった。
扉を超えて廊下に出た。それでも一列に一同は歩き続け、逃げ道が近く、やつらを迎え撃つことができるような適当な場所に向かった。
緊張が体の中に湧き上がってくる。それはキャンベル一家の人間と交渉をする前の緊張感とはまた別のものだった。
いつどこから、マーティン一家の者が出てきて奇襲してくるかわからない。そんな状況下で、みんな、緊張の糸が張り詰めているようだった。
はたまた奴らは河野たちの行く先に待ちかまえて、大きな口を開けているかもしれない。
誰かが地面に落ちていたがれきにあたって大きな音が響くたびに緊張感が走った。
それは恐ろしいまでの緊張感であり、その緊張感から逃げることはすなわち、死を意味していた。やっとのことで一階に下り、細心の注意を払って、道を歩いた。
「ここだ。ここにしよう」
ジョン・ウィルソンは立ち止まると言った。そこがすなわち逃げ道を確保したうえで、マーティン一家を迎え撃つことができる場所なのだろう。
「ここでやつらを待ち伏せするんだな?」スミスは言った。
「そうだ」
「じゃあ、みんな、銃を取り出すんだ」
そこにいたキャンベル一家はスミスや河野たちも併せて、ざっと8人くらいだった。
相手は何人なのだろう?やつらが何人かによって当然作戦も変わって来るだろう。例えば大人数だと逃げなければならないだろうし、少人数だと相手をやっつけることができるかもしれない。
とにかく、攻めるか引くかは相手の人数次第なようだ。
河野も震える手を抑えて、銃を手に持った。もちろん、それはスコットから貸してもらった銃だけれど、それで河野には十分だった。下手に大きな銃を貸してもらったりしたら、逆に何か大きな失敗をしそうな気がしそうだったからだ。
「さあ、かかってきやがれ」
本来なら、敵と味方をどちらにすればいいかわからないはずのマーティン一家の末端であったスミスは、そんなことを忘れてキャンベル一家に命をささげる気でいるらしい。
とにかくまあ、この状況なら、逃げるも何も、戦うしかないだろう。別にキャンベル一家に命をささげるつもりがない河野も、十分に銃を撃つ準備だけはしていた。
安全装置を外すことを忘れてはいけないことは何かの映画で見た気がした。
河野は映画で見たとおり、安全装置を外して、銃を来た方向へ構えた。
行く方向は完全に逃げ道で、来た方向しかやつらはやってこないことは明白だった。
それでいて、銃弾から身を隠すことができる、恰好の場所だった。河野も後からそのことに気付いたのだが、その時は、さすがはジョン・ウィルソンだ、と思った。
そこでしばらくの沈黙が続いた。敵を待ち構えていたのだ。そこで何か音を立てようなら、たちまち敵に感づかれ、死を迎えることになるだろう。
だから、みんな、沈黙を守った。こうしている間にも、一歩、また一歩と、やつらは近づいてくる、河野にはそれが歯がゆくてならなかった。
どうせなら、一目散に逃げればいいものを……。相手を迎え撃とうなんて、そんなことする必要もないじゃないか、と河野は考えていた。
しかし、ジョン・ウィルソンの考えは違うらしい。彼は小柄な半面、勇敢な戦士であるようで、逃げることを好まないような男だった。
彼は正直、リーダーに適していた。キャンベル一家の跡取りはもちろんソフィアだが、彼女は女だ、普通の会社ならそれでも何とかなりそうだが、キャンベル一家というマフィアの大きな組織を束ねるのには荷が重いかもしれない。
そうするとナンバー2に躍り出てくるこの男こそが、キャンベル一家の跡取りなのかもしれない。
しかし、河野は今、そんなことを考えている暇はないと、頭を横に振った。
やつらが近づいてくる。自分たちを抹殺しようというマーティン一家の殺し屋たちが、近づいてくるのだ。そんなやつらを迎え撃つなんて無謀にもほどがある。
河野はそう考え始めていた。そう考えると、銃を持つ手も次第に震えはじめ、逃げ腰になり始めていた。
河野の唯一の支えは相手は殺し屋と言えども人間だ、ということだけで、人間ならばなんとかなるかもしれない、という考えだけだった。
時間は過ぎた。その時間は本当に長く、体で感じる時間は実際の時間よりもずっと長かっただろう。
その間、物音一つしないのだ。それでも息を殺して、やつらが来るのを待ち続けるしかない。
もうやつらはこないんではないか?廃墟を探していないものだから、帰ってしまったんじゃないか?そういった甘い考えが出始めたころだった。
河野たちが来た方向に、急にがれきが崩れる物音がした。敵だ。
河野は確信した。それと同時に河野は恐怖に陥ることになった。しかし、今、逃げれば、今までのことが台無しになってしまう。勇気を振り絞ってやつらを迎え撃つんだ。河野は決心した。奴らはもうすぐそこだ。戦いはもうすぐそこにやってきている。
一人の男が、河野たちが来た方向からやってきた。その男は慎重にがれきを崩さないようにゆっくりと歩いてきた。片手には銃を持ち、完全に武装しているようだった。
しかし、いるはずの他の連中はなかなか姿を現さない。どうやら、その男は最初に来た、かませ犬のような存在らしい。
男は慎重にこちらにやって来る。敵はその男だけで、なかなか、後の者がやってこない。滑稽なほどにその男は河野たちが身を隠していることに気が付かず、こちら側にやって来る。
しかし、やはり、ほかの連中はその男が、異常がないと合図を送るまで、前に進んでこないのだろう。
その男は河野のすぐそばまでやってきた。ジョン・ウィルソンはもちろん、ほかの連中が出てくるまで待っていたけれど、マーティン一家の殺し屋たちはその手にはどうやら乗ってこないらしい。
息を殺して河野たちはジョン・ウィルソンの合図を待った。男が河野たちの数メートルすぐそばまでやってきたとき、ジョン・ウィルソンはあきらめたのか、合図を送った。
それと同時に、キャンベル一家の連中は急に顔を上げ、銃を撃った。
「敵だ。敵がいるぞ」
近づいてきていた男は一気に後ろに振り返り、逃げようとした。しかし、誰かの放った銃弾が足に命中し数メートル走ったところで突っ伏した。
それと同時に向こう側、つまりマーティン一家の連中からも発砲があった。一発、二発、三発と銃弾は放たれ、それが何十発にもなった。
スコットが相手に向かって弾を撃ち込んでいるのがわかる。スミスも手慣れた様子で銃弾を相手に打ち込んでいる。ソフィアでさえ、小型の銃から球を何発も発射させていた。
ジョン・ウィルソンが持っていたのはマシンガンで、それはもう効果絶大だった。そのマシンガンがあるおかげで、ジョン・ウィルソンは敵を迎え撃つことにしたのかもしれない、と思うほど、役に立っていた。
河野も震える体に好奇心が勝った状態で、敵の方へ目を向けた。敵は何人いるかわからなかったが、物陰に隠れていた。おそらく、こちら側と同じくらいの人数ではなかろうか。
みんな大型の銃でこちらに発砲してきていた。さすがにマシンガンを持っている人間はいないようだったけれど、それでも効果はすごいものだった。
現に河野はそのせいで、頭を何度かかえたことか。
敵は銃弾をこちら側にたくさん打ち込んだ。こちら側だって負けていなかった。銃弾を撃ち込めるだけ打ち込んだ。
河野も恐る恐るスコットから借りた銃を構えて発砲することにした。ほかの連中の足を引っ張るようなことだけは避けたかったからだ。
銃を持った手は震えていた、それでも構えをやめることなく、その銃口はまっすぐ相手に向かっていた。
驚くほど軽い破裂音とともに弾は発射された。
「うぎゃー」
弾は相手に命中した。おそらく、片腕に命中したと思われる。それは本当にほんの偶然だったが、相手を後退させるのには十分だった。
「先生、やったな」
スミスはうれしそうな顔をして言った。
度重なる銃弾の応酬と、河野の相手への一発で、敵はひるんだのか、一気に形勢は河野たちに傾いた。次第に相手から撃ち込まれる弾の数も減って行った。
銃弾の数も散発的になり。事態はだんだんと収束して行った。
気が遠くなるほどの時間が過ぎた。いや、時間はあまり過ぎていなかったが、それくらい時間が過ぎたように河野には感じられた。
銃を撃つ回数はこちら側も向こう側もほとんどなくなっていた。たまに向こうが銃を撃ち返してくることもあったが、それももうほとんどなかった。
ついに、まったく銃声が聞こえなくなった時、河野たちは勝利を確信した。
「やったぞ。ついに奴らを追っ払った」
ジョン・ウィルソンは興奮した気持ちで大声で叫んだ。
「そうだ。俺たちはついにやったんだ」
スコットもどうやら興奮しているらしかった。
「う、うう、う」
その叫び声の中でひときわ目立つ、うめき声が聞こえた。
「誰だ?こんなにうれしいときにうめき声をあげるやつは?」
スミスはうめき声のする方へ歩いて行った。ちょうど、マーティン一家の殺し屋たちがいた方向へ数メートル歩いたところあたりだった。
「ジャクソン・ウィリアムズ」
スミスは勝ち誇ったように言った。河野たちがずっと探し求めていた男が目の前にいたのだ。そう、マーティン一家のボスを殺し、河野たちに罪をなすりつけたであろう人物が、だ。
そうだ、マーティン一家の殺し屋たちの先頭に立って、敵がいないかどうか確認する、かませ犬のような役割を担っていた男こそが、ジャクソン・ウィリアムズだったのだ。
奴はマーティン一家の末端の人間で、卑怯なことで名が知られていたから、殺し屋たちのかませ犬にされていたとしても不思議はなかった。
「やったぞ。これで事件も解決だ」
スミスは言った。その時だった。ふいに高らかと大きな破裂音がする。それは銃声だと気づくのには少し時間がかかった。
それと同時に先ほどまでに勝ち誇っていた様子のスミスが崩れ落ちる。
「どうしたんだ?」
よく見るとマーティン一家の殺し屋の一人が、まだ残っていたようだった。
「ちくしょう、まだ、一人残っていやがった」
ジョン・ウィルソンは吐き捨てるように言った。その殺し屋は銃を撃った後、即座に踵を返し逃げに転じていた。
それを追ってジョン・ウィルソンをはじめ、キャンベル一家の連中たちは弾を放つ。しかし、敵には一発たりとも当たらずに、逃がしてしまった。
「ちくしょう」
ジョン・ウィルソンはもう一度言って、スミスの方へ駆け寄った。
「スミス。大丈夫か?」
「ああ」スミスは笑顔を作っていたが、どうも大丈夫そうではなかった。
「スミスさん」
「救急車だ。早く」スコットは言った。
「わかった」キャンベル一家の一人がそういうと、電話をかけ始めた。
「大丈夫か?スミス」
「ああ、しかし、俺はもうだめなのかもしれない」
見るからに状況は悪かった。命中した心臓のあたりからは血が噴き出し、それはおびただしい量になっていた。
「もうすぐ救急車がやって来るから、それまでの辛抱だ」ソフィアは言った。
「ああ」スミスは見る見るうちに顔色が悪くなっていく。「俺はどうやらここで終わりらしい。すまないが、先生、後のことはよろしく頼んだぞ」
「そんなこと言わないでくださいよ」河野は祈るように言った。
「聞いてくれ。みんな。俺はどうやらここで終わりらしい。でも、気持ちはみんなと一緒だから、きっと事件を解決してくれるよな?」
スミスは痛みをこらえながら笑顔を無理やり作って言った。
「そんなこと言わないで。スミス」ソフィアは今にも泣きだしそうに言った。
「お嬢さん。そんな悲しい顔しなさんなって。人間はいつか死ぬものだよ」スミスはこんな時だというのにしゃれた文句を言った。しかし、誰も笑うものはいなかった。
「しゃべるな、血が噴き出すぞ?救急車はもう来る」
「心配するな。俺を置いて早く逃げるんだ」
「何を言ってるんだ。スミス」
「大丈夫だ。救急車に場所は伝えてあるんだろ?だったら、お前たちは速く逃げろ」
「そんなことできるわけないだろ?」
「救急車が来るってことは警察が来るってことだ。そうすれば、おのずとあのCIAのベイカーもやって来る。おまえらを捕まえるためにな」
「確かに」
「わかったよ。スミスのことはおれたちに任せておけ。なんとかうまいこと言っておくから」小柄なジョン・ウィルソンは言った。
「そんなわけにはいかない。あんたたちだって、銃撃をしたんだから。捕まるはずだ」スコットは首を振り言う。
「そんなことはない。俺たちはマーティン一家の殺し屋たちに襲われたんだ。自分たちの身を守るために発砲した、ということになれば、無実の道も見えてくれさ」
「なるほど、正当防衛ってやつですか」河野は納得して言った。
「そういうことだ」
「さあ、早く行け。救急車のサイレンが鳴らないうちに早くいくんだ」
「その前に少しだけ、いいですか?」河野は言った。
「何だ?」
「その事件の真相を知っているジャクソン・ウィリアムズをこちらに引き渡してほしいんですが?」
「ああ、わかった。好きにするがいい」
「このままだと、逃げる可能性がありますからね」
「なるほど」
「ちくしょう。俺は片足をけがしてるんだぞ?もう病院に行かせてくれ」ジャクソン・ウィリアムズは言った。
「そうはいかないよ。あなたには聞きたいことが山ほどあるんですから」
「逃げないように後ろ手に縛っておいたほうがよさそうだな」
「そうですね」
「ちくしょう。俺はけが人だぞ?もっと丁重に扱え」
「そう怒らないでくださいよ。あなたのけがは私が見る限りは命に別状はないでしょうからね」
「ちくしょう」
ジャクソン・ウィリアムズはもう一度悪態をついてから、おとなしく、後ろ手に縛られた。
「じゃあ、早く行け。警察がやってくるぞ」
「わかった。すまないな」スコットは言った。
「早く行け。俺たちにはかまうな。そして、事件の真相を必ずつかむんだ」スミスは言った。
「わかった。任せときなさい。あんたの分もきっちり借りを返してやるわ」ソフィアは言った。
「早くいくぞ。ベイカーが来る前に」スコットは言った。
「そうですね。早く逃げなければ」
風が強く吹きつけた。不吉な前兆がそこにはあった。しかし、雨はとうとう降ることはなかった。
それだけを見れば、まだ、河野たちにつきはあるとみてもいいだろう。




