俊足のジャクソン・ウィリアムズ
14
車はすぐにハーレムのウェスト3000ストリートのカーペンター・マンションの前に到着した。そこは治安があまり良いところではなさそうで、まだ、時間は早いというのに、見た感じ怖そうな人たちが街中を闊歩していた。
「確か、302号室だったな」
「ええ、あいつから、脅して聞き出したんだから間違いはないはずよ」
ソフィアは言った。ソフィアの素晴らしい機転によってあの恐ろしい、波止場の倉庫を切り抜けることができたのだった。ソフィアがいなければ、今頃、河野たちはマーティン一家に引き渡されてひどい目に合っているか、あの場でハチの巣にされているかのどちらかだったろう。
「行くぞ」
四人は一斉に車を降りた。それから一斉にドアを閉めて、カーペンター・マンションに向かった。アスファルトの道路の向こうに植込みがあり、その奥がカーペンター・マンションだった。
植込みがきれいにアスファルトと、マンションを区切っていて、とてもきれいだった。
事実、そのあたりは、治安が悪いというのに、街並み自体はきれいなものだった。植込みには背の低い木が、隙間がないほど植えられていた。
植込みを過ぎるといよいよカーペンター・マンションだ。そのマンションはオレンジ色のペンキで塗られていてとてもおしゃれな感じに見えた。
窓がたくさんあってベランダはない。ペンキも塗りなおされた直後のようで落書き一つなかった。
河野たちはマンションに一直線に向かった。マンションの階段はさっき、スミスと仲の良いジョン・ムーアに会った雑居ビルとは対照的だった。
つまり、きれいに掃除してあり、管理人もいるようだった。おそらく、この町は治安が悪いので、汚くしているとそこに、物騒な人間が集まってくると思っている役人の機転の利いた考えなのかもしれない。
とにかく、階段を上がった。3階まで上がっても人とすれ違うことはなかった。エレベーターを使う手もあるが、もしもの時に逃げ道を確認しておくべきだろうから、階段を使ったのだ。
人とすれ違うことがなかったのは、その時間帯がみんな外出していてマンションに人がいる気配がなかったからだった。
302号室は階段を上るとすぐに見つかった。
「ここか」スコットは一つ息を吐いて言った。
「じゃあ、呼び鈴を鳴らすぞ。もう覚悟はいいな」
「ああ」スコットは返事した。
河野はまた、あの、危険が迫るときにおぼえる何か独特の緊張感のようなものを感じた。この扉の先には何が待っているのだろう。銃声か?はたまた殺人鬼か?それともほかの何か別の者か?
おそらくそこにはジャクソン・ウィリアムズがいることに違いはなかったが、彼が殺人鬼に変貌するのか、それとも、発砲してくるのか、また、暴力に訴えるのか、何が起こるかわからない、と言う不安感があった。
その緊張感はほかのみんなも感じているらしく、みんな口数が少なかった。
おそらく、マーティン一家のボスを殺したであろう男とこれから対面するのだ。
それは緊張するのも当然である。
ブザーの音が鳴り響く。スミスが呼び鈴を鳴らしたのだ。
部屋の中からこだましてその音が、室外へと漏れ出てきていた。
しかし部屋の中から返事はなかった。
スミスは何度も呼び鈴を鳴らした。これでもかと言うくらいに。しかし返事はない。
「留守か?」
「そうかもしれねえ」
「それとも、危険を察知してここにはもういない、とか」
「ちくしょう。そうかもしれねえ」スミスは言った。
それからスミスは部屋の扉を激しくノックする行為に出ることにした。
「ジャクソン・ウィリアムズさん、郵便ですよ。至急の用事です。早く出てきてください」
しかし返事はなかった。そこで十分かそれくらいは粘ったが、部屋の中から返事はない。
「もう帰りましょうよ」
河野は殺人鬼に会わなくて良い方法を取ることに一票を投じたのだった。
「確かに、最初に呼び鈴を鳴らした時に返事がなかった、ってことは、留守だっていうことに違いないわ」ソフィアは言った。
「ちくしょう、逃げられたか」スミスは舌打ちした。
その時だった、ちょうど階段を上ったところに、一人の男が立っていた。片手には買い物袋を提げていた。その男は今しがた階段を上ってきたところらしく、少し、息が荒かった。
河野たちは一斉にその男の方を見た。その人相の悪さには見覚えがあった。
「ジャクソン・ウィリアムズ」河野はつぶやいた。
「ちくしょう」
買い物袋を投げ捨て、そういうとジャクソン・ウィリアムズは全速力で階段を降りて行った。
「追うんだ、みんな」
スミスは言った。河野たちはちょうどジャクソン・ウィリアムズがあの部屋へ帰ってくるところに鉢合わせたのだ。
全員が反射的にジャクソン・ウィリアムズを追っていた。階段を、音を立てて下りていくジャクソン・ウィリアムズ。
それに追いつこうと、みんな必死に走り出す河野たち一行。
きれいでおしゃれな塗装が施された階段を全速力で降りて行った。すぐ前にはジャクソン・ウィリアムズの息遣いが聞こえる。
上るときに比べると、階段を下りるのにはそう手間はかからなかった。急いで階段を降り、ジャクソン・ウィリアムズの後を追った。階段を下りるのに手間はかからなかったというのは、逆に言えば、ジャクソン・ウィリアムズにとってもそうであっただろうから、結局は奴との距離を縮めたことにはならなかった。
「待てー」
スミスが大きな声を張り上げた。ジャクソン・ウィリアムズは黙って、全速力で走り続けた。
やつは足が速かった。背が高く、歩幅も大きいからに違いない。スミスとスコットは同じくらいのスピードだったが、ジャクソン・ウィリアムズにはかなわなかった。
河野とソフィアは明らかに遅かった。河野は元来、頭脳労働は得意としていても、運動となれば何もできないたちだった。ソフィアは、スコットやスミスよりも遅かった。
それでもソフィアは速い方だった。河野よりも先を行っていたのだから、それは運動神経のない男よりも断然足は速いということになるだろう。
このころになると、追いかけている側の方にも、ばらつきが出始めていたのは言うまでもない。スコットは足が速かった。その数メートル後にスミスがいて、ずっと離された後にソフィア、そのずっと離された後に河野がいた。もちろん、ジャクソン・ウィリアムズは足が速かったからどんどんとスコットとの距離を離しつづけた。
走っているうちに河野には少しの打算があった。それはジャクソン・ウィリアムズは足が速いがそれは瞬発的なもので、持久的なものではないのではないか、と言う考えだった。
つまり、ジャクソン・ウィリアムズは走っている間に疲れが出て、スピードを落とし始めるのではないか、という考えである。河野はその考えが的中することを願った。というのも、河野とジャクソン・ウィリアムズとの距離はもう見えなくなるくらいまで離されていたから、その希望にすがるしかなかったのだった。
しかし、予想は的中しなかった。ジャクソン・ウィリアムズの足の速さは距離を重ねるごとにスピードを増し、スコットでさえもつかれ始めているのに、やつだけが速さを増すばかりだった。
河野は追うことをあきらめた。ほかの仲間が捕まえてくれることを願って、元の場所に戻ることにした。
ソフィアも同様だった。ジャクソン・ウィリアムズの行方が見えなくなった途端、追う気力を失い始め。やがては失速し、あきらめることとなった。ソフィアもスコットやスミスが捕まえてくれるのを願って追うのをやめにした。
しかし、その願いは無駄に終わった。一番足の速かったスコットがあきらめたのだった。ぜえぜえ言ってスコットは膝に手をつきスミスが追い付くのを待った。結局のところ瞬発力だけを持ち合わせていたのはスコットだったと言えることになる。
スミスも失速していたから、結局はジャクソン・ウィリアムズを取り逃がしたということになった。
「だめだったか」
肩を落として帰ってきたスミスとスコットを見て河野は言った。
「ちくしょう。もう一息だったのに」ソフィアは言った。
「そうだ、やつをつかまえて、自白させてマーティン一家に引き渡せばすべて解決して、俺たちの逃亡生活も終わっていたはずなのに……」
「仕方ねえ、やつは速すぎた」
「どうしようか、これから」
「どうしようもないさ、また、逃亡生活を続けるだけさ」
「残念だ」スミスは言った。
四人は一層疲れた肩を落とし、車に乗り込んだ。
どうなるかわからない旅路。それがまた続こうとしていた。ソフィアが言うようにもう一息で、この不安定な逃亡生活に終止符を打てるはずだったのに。
河野は落胆した。河野だけではなく、ほかの3人も落胆していることは明白だった。
しかし、落胆している暇はない。次の手を考えなければ、一生逃亡生活になってしまうだろう。
河野は窮地に立たされていた。八百長を仕掛けた人間を捕まえて、100万ドルを受け取ればよいだけのことだったのに、ここまでになるなんて、想像もできなかったことだった。
大いに計画はくるっていた。それでも、この苦しい境地を脱出しなければ100万ドルも何も見えてはこないことは確かだった。




