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2 霧と少女

 志摩は凝視することになる。正当な理由をもって、年は同じぐらいの少女の裸体を。

「いつでも撃てるように、構えておいて」

 叫び気味の高野は、手を震わせて土の上の少女に向けている。浮き出した黒霧は白のからだを立たせ、制動する。慌てて掌を向ける志摩の目には、全てが丸見えだった。

 自衛隊員が周囲を取り囲む。中年が高野と言葉を交わし、青年が通信機に向かう。

「高野理沙の拘束の上、東京に持ち帰れとのこと……」

 その場の全員が顔を顰めた。高野の流した汗が、薄手のTシャツを湿らせた。

「シマ、近づいて」

「え」

「そいつを殴って。意識があるまま連れてくなんて無理」

 志摩は手を向けた状態で恐る恐る前進した。ぶちまけられた土の斜面を踏みしめて、夜山の暗黒にそこだけの白へと歩み寄る。

 近づくにつれて、詳細がわかる。太腿の付近の土汚れ。腹までのまっさらな肌。胸の先を染めた薄桃色。

 虚ろな青目が志摩を見ている。

 左手でそれを遮り、右拳を握った。みぞおちに狙いを定める。位置、タイミングは平時の訓練で心得ている。問題は殴打の瞬間に何らかの反撃がある可能性だ。左手で頭を撃ち抜く準備はできている。

(……ヘソがある)

 人だということだ。胸はともかく、下腹部の造形は……志摩は見たこともなかったが、恐らく普通の少女と同じだろう。言いようのない感覚に囚われながら、呼吸に合わせて拳を引く。

 左掌を、湿り気とざらつきが走った。

 指のあいだから見た。少女は小さな舌を出していた。

「あーー、ぁぅま」

 後方で高野が叫ぶ。「早く!」

 咄嗟に突いた拳に、柔らかい感触を覚えた。閉じる少女の瞳。微かに動いた唇は、高く幼い響きを残した。

 ——あるま。

 志摩は踵を返し、駆け出そうとして土山から転げ落ちた。掌の湿りをどうするか迷って、土に擦り付けた。

 高野が汗だくで、悲鳴じみた声を上げる。すぐに自衛隊員が走った。縄で裸の少女を拘束し、二人掛かりで運び出した。

 志摩はワゴンの助手席に座った。後部座席で中年が少女を抱え、高野がそれに対面した。他の自衛隊員がバタバタと機材を積み込み、青年が車を発進させる。

「汗を」

 中年がタオルを渡した。高野は礼を言う余裕もなく、額を拭った。タオルを座席に置いた手が、少女の白い胸に触れる。これで制動のイメージがしやすくなるが、所詮気休めだった。

「仲本佳恵、平田光明……」

 高野は投薬被験者の名前を挙げ始めた。念動力を持つ者たちだ。「センターに伝えて下さい。特に強力な十人です。念の為二人一組で、ローテーションを組んで……」

「わかりました」

 志摩は慌てて声をかけた。「無理なら言えよ。そのときは」

「そのときは逃げて。吾妻さん、最初に言った二人をこっちに向かわせるようにお願いします。他の被験者も付けて」

 青年が頷く。無線会話がなされる中、血走った高野の目が助手席に向く。

「殺したら駄目。連れて来いっていうのは、生きたままに決まってる。それくらいわかって」

「だっておまえ、死ぬかも……」

「いつか死ぬために生きてるんでしょ!」

 息を荒げた高野の言葉を、中年が継いだ。「我々もです。志摩さんだけは逃げてください。応援の人員と合流できたら、加勢を」

 志摩は何も言えなくなった。

 山道を抜けた。ワゴンは国道に入り、東京を目指す。

 機材の揺れる音が聞こえないほどに、高野の呼吸が大きい。

「もう……」

 虚ろな視線を受けて、中年の手が肩に置かれた。

「休まれてください。もし起きそうなら私にもわかります」

 裸の少女の顔は、彼の間近にある。

「ごめんなさい」

「あなたは頑張りすぎですよ」

 笑う中年の手に促されるまま、高野はシートに横になった。薄れていた霧が消失した。瞬間、中年は息をのんだが、腕の中の少女は変わらず寝息を立てている。

 二つの微かな息が車内に満ちた。志摩は時折後ろを振り返って、寝顔と裸体を目にするたび慌てて視線を前に戻し、はっと気づいて身を乗り出して、毛布を高野にかけた。

 深夜の国道を行き交うヘッドライトの輝き。ワゴンは埼玉に入った。

 無線をとった吾妻が静かに言う。

「新木さん、応援の六名とサービスエリアで合流です」

 中年新木は声に出さず頷いた。

 上里サービスエリアにて、即席で作られた自衛隊と被験者のチームが志摩たちを迎えた。仲本佳恵は高野の友人で、直に会話がされた。

「死ぬことは覚悟して」

 憔悴した高野の言葉に仲本は息をのみ、少女の引き渡しが完了した。同行していた平田光明は高野の様子を見るだけで全てを察し、何も訊かなかった。

 仲本たちのワゴンが去った後、高野の調子を見ながら、一同はサービスエリアで休憩を取ることになった。志摩と吾妻が飲料と、テイクアウトの食べ物を買いに行く。最後部席に寝かされた高野と、新木が残った。

 常備してあった水で、高野は服薬する。一日の規定量を超えてしまったが、能力もそれだけ使っている。飲まないわけにはいかない。

「トイレは大丈夫ですか」

 中年の声に、高野の無言の視線が返った。

「失礼。時間はいくらでもとれるので、出発前に声をかけてください」

「……はい」

 エンジンの振動が心地よい。薬が効いてきたようだ。高野はサンルーフから星空を眺める。空気が澄み渡っていて、雲の輪郭までよくわかる。

「……苦労が、とりあえず報われました」

「ええ」

「まだ、これからですけど」

 一体を倒したという実績は、相応の評価を受けるだろう。他県の災害にも率先して駆り出されると想定される。

「次もよろしくお願いします」

「ええ」

 新木は快く頷いた。

 土人形の頭と少女について、二人が考察に入ろうとした時、ワゴンのドアが開いた。志摩と吾妻が大量の買い物とともに戻ってきた。咄嗟に会話をやめてしまう二人がいた。

「大丈夫か……? ほら、高野がたまに食べてる菓子。たくさん買ってきたから」

 センター内でそれが一番マシだから食べていた子供用ビスケットを、大量に広げられた。高野は吐き気がした。吾妻が他にも色々と買っていたので、救われた。

 かつトーストを二切れ食べて冷たい緑茶を飲んだ後で、煙草を買いに行くという新木と一緒に高野は車を出た。二人でトイレと軽い買い物を済ませて戻った。



 翌朝、高野理沙と志摩隼人は脳科学研究所の研究施設前にいる。前日は、関越道を一旦降りて埼玉のホテルに宿泊した。万一のことを新木が危惧した結果だったが、研究所も療養センターも無事朝を迎えていた。

 分厚い白の扉が開かれる。その先の何重ものゲートを通って、対爆処理のされた部屋へと入る。

 少女はいた。汚れた裸のまま、検査台に拘束されていた。

 能力による拘束は被験者への負担が大きかった為、最初の数時間で解かれた。あらゆる検査測定を施し、しかし安全が見込めるかと言えばそうではない段階での選択だった。

 白衣の男性研究員が先導して、二人は少女に近づく。ぐったりとうな垂れていた白髪頭が、ぴくりと反応した。目隠しをつけた顔が探るように振られた。鼻を動かして、空気に舌を伸ばした。

「活発です。それでも拘束を解く力はない」

 慎重に研究員は目隠しを外した。青い目が数度まばたきをして、志摩を見た。次いで高野も見た。

「何か、話していいんですか」

「お願いします」

 二人のやりとりの間、志摩は少女と見つめあっていた。向こうから視線が向けられたのだ。首から下は見づらい為、必然と目を合わせる形となった。

「あーー、あぅ……。あううー」

「離れて」研究員が言った。「自発的に喋ろうとしたのは初めてです」

 高野が距離をとる。志摩は動かない。

「あうーあ」

「……あるま」

 ぴくんと少女が反応した。目を見開いて、口をぎこちなく動かす。「あるま」

 研究員が紙にペンを走らせた。

「あるま……、こいつの名前かも。……アルマ」

「名前なんてあるの……。土人形の、中身に……」

「あるま、あるぅーあ」

「意思疎通が可能かもしれない。志摩くん、凄いですよ」

 志摩は得意になった。にやにやしていると、アルマはその表情を真似た。

「けっこう可愛いかもな」

「結構どころか、可愛いわよ。変な感情起こさないでよ」

 少しつくりが違うが、日本人と似た容姿。大きな目と小さい鼻、ぷっくりとした頬は感触を想像するに易しい。

「れ、れー」

 口を開いて、小さな舌を出してきた。志摩は迷ったが、掌を前にやって舐めさせた。

「大丈夫なの……?」

「多分」

「運ばれてから一通りの検査はしましたが、遺伝子配列から何から人と変わりません」

 理論上は大丈夫、と研究員は言った。

 なら何故それが土人形の中に入っていたのか。あの怪物の中で唯一の有機部位となっていたのか。高野の疑問は湧くばかりだったが、全てを前進的に捉えるしかない。軍は土人形の力を取り入れる。その為に少女のあらゆる可能性を利用する。

 志摩はアルマの頬に触れた。マシュマロのようだった。そういえば、女の子の肌に触れたのは初めてだ。当然、舐められたのも初めてだが。髪を触ってみると、柔らかい。アルマはくすぐったそうな顔をした。

「あえ、あー」

「僕はシマだ。言ってみろ」

「あるま」

「こいつはタカノ、言ってみろ」

「うーう」

 アルマは口をすぼめた。顔をしかめて、体を振りだした。突然のことに一歩引く高野だったが、研究員は平然としていた。

 アルマの股のあいだから、水が漏れ出した。白い腿をつたって、床面に薄黄色の波が広がった。

「ちょっ、ちょっと!」

「大きい方はまだないんです。直に検査したいので待ってはいるんですが」

 高野は思い切り後ろに飛びのいた。

「シマ、何見てんの!」

 志摩は呆然と、少女の股から液体が湧き出すのを見ていた。高野にひっ掴まれて、波が靴につく前に後ろに放られた。

「ごめん」

「デリカシーっていうのを覚えてね!」

 荒々しく背中を押され、志摩は退室する。「アルマ、ごめんなー」と声を飛ばした。

 扉の閉まり際に、「あうーう」と返事がされた。



 翌日、研究所の防爆室にはトイレが設置されていた。水洗機構付きの洋式便器がそのまま床から生える形だ。アルマがはりつけにされた検査台とそれの並んだ光景に、高野と志摩はしばし絶句した。

「まだ使わせてはいないんです。高野さんが来てからとのことで」

「私に、トイレのおもりをしろと……」

 とりあえずシマは出ていって、と高野は言った。研究員もガラス越しの観測室に退避した後で、能力の制動をかけつつ手足胴体の拘束を外した。

「あうあ」

 まるで抵抗がないので、三メートル下がって霧を解いた。アルマはおぼつかない足取りで検査台から離れた。

「あぅあー」

「アルマ、そこに座って」

「あるま」

 そこ、というのが、アルマはわからない。床をぺたぺたと歩いてくる。距離、二メートル。

「そこだってば。トイレ」

 退きつつ指を差す。アルマは駆け出す。距離一メートル。

「この……」

 空気中に霧が滲み出した。床を蹴る足を無視して、高野はアルマを便器まで動かした。

「おしっこ、してね。……大きい方でもいいよ」

 躾はまず排便を覚えさせることから始まると聞いたことがある。アルマが再び土人形となれるならだが、戦力とするには制御が必要だ。……それも途方もない話に思えてきたが。

 座ったまま首を傾げるアルマを、高野はしゃがんで見上げた。

「あなた、何の為に地上に現れたの……?」

「う。い」

「仲間は?」

「……」

 わからないことを言いすぎた。遂に反応がなくなった。研究員が見守るガラス窓をアルマは見ている。排尿の気配もない。仕方ない。高野は再びアルマを台に拘束して、志摩を呼んだ。

「トイレを、教えてあげて」

「は?」

 流石の志摩もその反応だった。高野は、自分はおかしくない、と言い聞かせながら再度言った。

「シマの言うことなら聞くかもしれない。とにかくやって」

「え、でも、女」

「一回見てるでしょ、おしっこするところ! 裸だってずっと見てる! 今更なの!」

 昨日と違う言い分に志摩はわけがわからなくなったが、これが女子なのだと悟って頷いた。

「アルマ」

 予想通り、志摩の声にはいい反応がされた。と言っても舌を出しただけだが。

 掌を舐めさせてから、拘束を解き、細い手を引っ張って便座に座らせる。

「おしっこをしろ」

「……?」

 やはり首を傾げられる。志摩は身振り手振りで排尿を表現して伝達を図った。その様子に、命じた本人の高野がうんざりした。

「頭を撫でてやれば、もしかして」と志摩。

「あう」

 当たりだった。アルマの座る下で、水の跳ねる音が続いた。高野の視線を感じて、志摩は耳を塞いだ。音が終わってすぐアルマが立ち上がろうとしたので、志摩に後ろを向かせて、高野が拭くことを教えた。

「二人は、今日はアルマとの交流を続けるように、とのことです」

 昨日今日の成果は上層に伝わっているのか。研究員からの通達に、高野は肩が重くなった。……しかもアルマの呼称が受け入れられている。

「服を着せてもいいですか」と高野は訊いた。観測室からマイク越しに、「試してください」と返された。

 下着の締め付けは慣れないだろうと考え、高野は薄い検査着上下だけをアルマに着せた。アルマは服の生地を面白がって、何度も手で撫でつけている。小さな舌を出して、遂には生地を舐め始めた。

 志摩と高野がじっとそれを見ていると、アルマはぱっと顔を向ける。服を着ていれば尚更、普通の少女にしか見えない。

「あるま、あー」

 ぺたぺたと歩み寄ってきた。警戒しつつも高野は動かずにいた。アルマは並んだ二人の前に立ち、志摩の方に体を向けると、手を伸ばした。

 細い指に掴まれた志摩の手が、少女の口の中で音を立てはじめた。

「噛まれても、私は防げないからね……」

 高野が距離をとる。志摩は指に小さい歯が当たるのを感じていた。

「もしかして、お腹空いてるんじゃ」

 皮膚をなぞる舌の動きで志摩は思った。観測室の研究員に訊くと、何も与えていないことが伝えられた。腸を探る為とのこと。

「それに、人の食べ物が身体に合うかどうかもわかりません。一応、歯に残っていた成分から食物の内容はわかっていますが」

「なんですか」

「土です」

 高野の心が一瞬の警笛を鳴らした。

 アルマと接する間、土というものを危険な物質として常に頭に置いていた。研究所もそれはわかっていたはず。アルマを土に近づけるのは、いずれ避けては通れないが、万全の体制をもって慎重に行うべきだと。

「便成分は最初に調べましたが、完全に消化されていました。胃ももう空です」

 推し量った表情で、研究員は補足した。だが運ばれた当初は体内に土が存在していたという事実に、否応にも肝が冷えた。

 ……いや、流石に敏感になりすぎか。少量の土では、あの巨人の指一本にも満たない。そもそもアルマはもうただの少女かもしれないのだ。高野は依然志摩の指を咥える彼女に目をやった。

「土を持ち込んでの実験は徐々に行うとのことです。最終的に、高野さんと志摩くんの同行の上で山に連れて行きます。それでも成果なしとなれば、次は投薬——」

 研究員の声を、高野は聞き流した。順当だと思った。高度な意思疎通ができないことは既にわかっている。半ば奴隷のような形になるのは止むを得ない。

 一方志摩は、着衣一枚の少女に指を舐められて、捉えどころのない感情を持て余していた。裸には慣れかかっていただけに、この新しいスキンシップの形態には戸惑いが大きい。爪の間にまで舌を入れてくる。研究員の話を朧げに聞いていたため、土を探しているのか? と思った。

 ふいに舐める行為が終わった。口が離されると、雫が垂れるほどの唾液が指に残った。

 アルマは同じく濡れた手で、自分の服を掴んだ。持ち上げて脱ごうとし出した。しかし上手くいかず、手を止めた。上も下も大事なところが見えたまま、踵を返してばたばたと走り出した。

 きゅっ、と音がして、それが何もない床面に少女が足を取られた瞬間だった。アルマは勢いよく顔面転倒した。

 ズボンから出た半分の尻が無残だった。

「うぇぁ……。あぁあああ」

 一面白の防爆壁に響く声を聞きながら、高野は戦力としての彼女に不安を覚えた。

「……泣くんだ、あいつも」

 志摩は呆然と見ていた。



 後日、アルマには東京の土、東京の山の土、群馬赤城山の土が、それぞれ百グラムずつ与えられた。赤城山の土は特に慎重に、一番最後に目の前に出されたが、アルマは三種とも腹を満たすのに用いた。胃腸内検査の後とあって、非常に美味しそうに食べた。

 まさか体内で処理した土を、土人形に変えるのか。志摩は彼なりの頭で一生懸命に考察した。だとすれば、土人形はアルマのうん……、

「これから戦うのも、地底人のうん……」

 揺れる後部座席、真剣に呟く志摩の隣で高野が軽蔑の顔をした。

 サンルーフから夜空は見えず、ただ過ぎ去っていく木々の茂りだけ。都内近郊の山だ。センターから一時間内の距離。アルマの捕獲から、五日が経っていた。

「日数に何かがありますよね」運転する吾妻が言った。「ここまで綺麗に五日おきだと」

 助手席の新木が無言の視線を送った。喋りすぎの部下を咎めるものだったが、暗い中、運転中ということもあり、吾妻には伝わらない。

「五日……というのは」

 高野が控え気味の声で言った。

「一応、何なのかはわかっています。アルマに今朝、経血があって……」

 隣の志摩がそわそわし始めた。

「彼女、やっぱり人と違って、生理周期が短くて。……ただ、それがアルマ一人ではなく災害全体のタイミングと一致しているのは変ですけど」

 あー……と言葉を濁し、助手席を見た吾妻は今更ながらに新木の視線に気づいた。彼は今後数分、完全に口を噤むことになる。

 経血の件から研究所は災害の発生を予期し、志摩と高野と自衛隊員二人に出動待機をさせていた。二十三時五分、当該の山付近で異音が観測され、自衛隊ヘリによって土人形の存在が確認された。前二回同様、地形の都合で、志摩たちは山道を通っての現場移動となった。

 排卵と土人形発生の関係から、アルマの様子にも変化が生じると思われたが、彼女は前日までと変わらず、そこらじゅうに放尿をした。夕方に志摩たちと別れたときには、下半身裸で自分の名を呼んでいた。

「また今日、裸女が増えるのか」志摩がぼやいた。「男かもな」

 高野は俯いた。アルマの男版……しかも場所を選ばず排尿、排便をする。「無理……無理」

 だが当然、二人目の捕獲は研究所から期待されていた。二人いれば、片方に無茶なことをしても替えが効く。被験者による厳重な監視の上でアルマを山に連れて行く予定は、既に先行して立てられている。

 同時に、赤城山では地中探査が予定されている。これも被験者と自衛隊立会いのもとである。準備が整い次第、国内の山地で同じことが順次行われる。高周波によるレーダー探査だ。これにより全国の土人形の存在を先回りで把握することができる。

「捕獲、共闘が無理なら駆除も可能。……私は全部駆除でもいい」

「高野、過激だな……」

 心がないのかな、と志摩は思う。

「でも、それだと国が発展しない。嫌だけど、男も女も沢山捕まえて、戦力にしないと」

 助手席の新木が無言で視線をやった。高野は組んだ手を真っ直ぐに見つめていた。

「真面目だな……。僕、国とかどうでもいいっていうか」

「シマはいいよ、何も考えなくて」

 言外に、使われていればいい、という意味だ。役に立たないのに出しゃばるのが一番厄介だから。

「何で、何かの為にやれるんだ?」

 ふと放たれた言葉。

 高野は予期していなかった。

「やっぱ、その方が青春っぽい?……違うか。でも熱くなった方が楽しいんだろ? 流れに乗った方がさ。僕は乗ろうと思っても乗れないし、諦めてるんだけど……」

 高野は、遠慮がちに話す志摩をじっと見ていた。諸々の軋轢の結果、彼は高野への態度を若干改めた。アルマの世話を経過したことも大きい。少し落ち着いた口調で、内面に触れる類の話がされた。

「僕は、なんていうか、心がさぁ……。心、を、もう少しまともにしたいんだよな。その為に生きてるっていうか。時々暴走して変な気持ちになるけど……。だから高野の前向きで、まともなところが、凄いっていうか……」

 ——何故。

 高野は考えた。何故行動するのか。それは、生来の性格故だ。それが当然と思ってきた。明確な目的を持たない者は心で見下してきたし、志摩に対しては言葉で表した。

 あまりに当然に思いすぎて、考えもしなかった。それが培われた過程はどこにあるのか。

 高野には、親がいない。

 志摩隼人には、いる。……入所一年目で母親が面会に来なくなり、いないも同然だが、いる。

 高野には、本当の意味で、いない。

 それは、投薬事故と呼ばれている。初期の投薬は副作用による記憶障害が頻発していた。七歳で入所した高野理沙は、両親、親族の記憶だけが綺麗に消えた。

 面会に来る知らない男女が悲痛な顔で自分の名を呼ぶのを、高野は不思議に思った。彼らが親であると理屈で理解しても、高野は既に親や子という感覚を失っていた。

「もう、来ない方がいいと思います」

 その言葉は、事実を総合的に判断した上でのものだった。

「ここに、あなたたちの娘はいません」

 七歳の少女はガラス窓に背を向けた。以降、彼女に面会はなくなった。

 親という概念のあった部分に、療養センターの存在がすっぽりと収まった。投薬の時間は守り、学習、訓練も怠らない。センター職員に言われることが全てだった。背けば叱られ、完璧にこなせば褒められる。単純な理屈だった。

 他の子供の不出来が理解できなかった。甘えが理解できなかった。世界はもっと単純に二分されているのに。やるか、やらないかだ。高野は全ての場面で、やった。

 それだけだ。優等生高野理沙のルーツは。

「褒めてほしいから……。感謝されたいから」

 木根を踏んだワゴンの振動。高野は言葉を切って続ける。

「私たちには、それしかできないでしょ。誰かの役に立つことしか。……あんたと一緒にいるのも、アルマが汚した床を拭くのも本当は嫌だけど、それをやめたら、もう私じゃない。期待を裏切って、平気でいるような人はもう自分じゃないの」

 志摩は感嘆していた。

「おまえ、もう、物凄く偉いやつになれよ……。それが合ってるよ」

 ますます好きになった……、志摩は心の中で言った。

 高野は、過去を振り返り自身の在り方を確かめたことで意欲が高まるのを感じていた。不本意だが、志摩のお陰だ。両手を握りしめる。

「着きます。林の中なので注意を」

 降車、四人木々の中を山頂方面へ走り出す。地鳴りと同時に言いようのない破壊音がした。土人形は、樹木を踏みつけながら移動をしていた。高野の目が、一瞬だけ見えた空にのっぺらぼうの土頭を捉える。

「シマ、光は一回しか使わないで」

「なんで?」

「滅茶苦茶になる。木が倒れた中で逃げ回れるの?」

 言って高野は先行した。土人形が黒霧に捕らわれた。

 ——私が、人の二倍やる。

 土の左腕が暗黒に覆われる。音もなく腕はねじ切れ、落下した。

 ——それで、全てうまくいく。

 巨人の右腕に霧が集中する。一瞬の後に、砕かれた土が舞った。霧は嵐のように上昇する。

「……ごめん、シマ。出番なかったね」

 土人形の頭部が爆ぜた。

 黒霧が散った空から、結力を失った土が降り注ぐ。

 志摩は見上げる表情に疑問を呈した。高野は静かに、その事実を受け取った。

 から——、頭部には土しか詰まっていなかった。


「静岡県富士山中に現れた最初の土人形には、頭部の模様があった。青森に出た二体目は、今回同様ない。だが、のっぺらぼう二種は体型の違いから別個体と思われる」

 研究所内会議室、スクリーンに投影された四体の土人形の写真は、画質の悪さから、四体目が長い腕を有していたことしからわからない。

 明けて翌朝、研究所、政府、自衛隊の上層部が集まり、更に志摩隼人、高野理沙を加えた新型災害対策会議が行われていた。

「単純に考えられるのは」黒服、オールバックの男、久川がスクリーン前で言う。「のっぺらぼうが無人を意味するということ。模様があれば有人。では、頭から爪先までが全て土であったのっぺらぼうは如何にして動いていたのか」

 物事には全て順序がある。と久川は言う。あらゆる現象には発生源がある。

「志摩隼人、投薬被験者の能力は、投薬被験者がいなければ発生しないな」

 志摩は急に名指しされて慌てた。意味もよくわからず頷いた。

 元は政府の人間である久川は、十年前の人潜在能力開発立ち上げから、責任者として研究所、自衛隊の三者間を纏めてきた、実質今の日本の戦略的方向性を決定する人物である。志摩の横に座る高野にとっては、所属組織の最高位の者。彼の前に今いるということ自体が、自身のしてきたことの結果そのものである。だが高野は怯まぬよう努めた。まだ先を見据えなければいけない。強くあらなければ。

「光が発生したのなら、必ず光源があるはずだ。それは志摩隼人かもしれないし、豆球という可能性もあるが、何もないところから光は生まれない。——無人の土人形には、操り手がいる」

 高野が指された。「それはどこだ」

「わかりません」

 はっきりと答えた。

「PKの高能力者がそう言うということは、我々の知り得る技術では不可能ということか。君は離れた場所から土人形を破壊したらしいが」

「私には無理だと感じます」

 久川は一瞥して背を向けた。スクリーンに新たな画像が投影される。レーダー探査による地下断面図である。

「赤城山頂上付近のものだ。見ての通り、垂直穴が空いている。これは出現時のものだろう。一度逃がした時の穴も残っている」

 二つは地下百メートル地点の横穴で繋がっている。

「五日間、土人形はここにいた。といっても土に埋まっていただけだが、失われた体を修復し、地上に出てきた。それはいい」

 離れた位置にある影を指した。

「別質の土の塊がここにある。人の、うずくまる形をしている。土人形だ」

 志摩がぐっと身を引き締めた。

「別方式のレーダー探査の結果は、全透過。これは完全に空洞や埋没物を探る為のものだ。この場所には土しかないと出ている。よって、これは無人体ということになる」

 次にスクリーンに投影されたのは、白髪の少女の全身写真、体温グラフである。

「仮称であるが、〝地底人〟、研究所内で浸透している、〝アルマ〟と呼ぼう。この少女の排卵周期は五日。土人形の発生と一致する。研究所の出した仮説の一つが、富士の一体目がオスだというものだ。つまり、地底人のメスはアルマ一人しかいない。無茶な仮説だ。全身の地中探査が進めば覆るだろう。だが現時点では最有力とされている」

 研究所所長である肥えた白衣の中年が、黙って頷いた。久川は言った。

「操り手はアルマだ。少女の生理と災害周期の一致を重視する場合、結果はそれしかない。彼女はPKに類する能力で、土を操った。今後それを検証する方向で、調査は進めていく」



「そんな素振りはなかったんですけどね」

 防爆室の男性研究員は、アルマの頭を撫でて言った。会議直後、志摩と高野は再びアルマとの交流を命じられた。同席していた男性研究員も一緒に戻り、三人、検査台にはりつけのアルマを囲んでいる。

「無意識でやっているって、久川さんは」と高野。

「ええ。可能性としてはあります」

 志摩はアルマの土人形の動きを思い返した。巨体の宙返り。あれをやれるのならば、遠く離れた土人形を操ることも容易く思える。

「何より、無意識って言葉がアルマっぽい」

「それはありますね」

 志摩の呟きに、研究員は苦笑した。アルマは相変わらず舌を出している。

 翌日は、彼女を赤城山に連れて行くことが予定されている。志摩と高野、数日前に突発で編成された、仲本佳恵、平田光明を含むチームも同行となる。

(何かが起きる想定はされているし、期待もされている)

 高野は下半身裸の少女を見つめた。

(でも、同じだけ何も起こらないことも考えられている)

 青の目と、黒の真っ直ぐな瞳がぶつかる。

 室内には、志摩と研究員の会話が響いている。志摩たちがいない間にあった、アルマの面白い行動。トイレットペーパーを持って走り回ったり、変な歌を歌ったり。拘束してないんですか、と志摩が訊くと、可哀想だし、つい、と研究員。でも万一のとき、僕一人の命で済むようにはしていますよ、と笑う。

 霧はアルマの体内に起こった。

「あぅふ……ぃぁ」

 あくまで優しくだった。高野の意識は、壊れ物を扱うように少女の皮膚の裏をなぞった。

(PKに類する能力……、なら抵抗してみろ)

 検査台の傍にはスチロール容器入りの土がある。土を動かす能力なら、変化があるはずだ。

 少し奥を攻めた。骨と肉の間だ。アルマは悲鳴を上げて、顔を顰めた。志摩と研究員が気づく。高野はやめない。

(五日に一度しか使えないなんて、言い訳。危険が迫れば、やるんでしょ)

 アルマはぼろぼろと泣き出した。研究員が慌てて瞳孔、口内を確認した。志摩は真相に気づいた。強い視線を送る高野を唖然として見た。

(卵巣……)

 高野の意識は、アルマの下腹部内に触れた。

 壊せばどうなるかと考えた。答えは二択だ。排卵が終わることで、アルマの力自体が失われる。又はその逆、排卵に縛られていた力が解放される。高野は前者を考慮しなかった。二つの卵巣に、霧が集まる。

 高野はその瞬間、吹き飛んだ。両手で突き飛ばした志摩がいた。

「やめようよ」

 床に倒れた高野は、呆然と志摩を見た。意識の隅にあった高い音は、泣き叫ぶ少女の声に変わった。

 ついた手に、温かい波が触れた。

 高野は一言も発せないまま、濡れていく床に腰を浸していた。


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