プリンスはベルガモットの香り
「きたああぁぁ・・・!」
数日後の放課後のことです。
私は机の上の片付けもそっちのけで、帰宅するまでの栄養補給としてチョコを口に放り込んだところでした。
私の耳には大きな声ではなかったのですけど、やたらと気合の入った声が届きました。
友人めぐめぐの声です。
その他にも「きゃぁきゃぁ」と騒ぐクラスメイトの声も聞こえます。
何が「きた」のかと申しますと、私の席のお隣さん・久瀬律の親友がうちのクラスに来訪したのです。
それに対する歓喜の声でした。
たまに久瀬律に会いに来る彼、プリンスと陰で呼ばれている香坂涼介君です。
そのあだ名は伊達ではありません。
過大評価でもありません。
なぜなら、アッシュブロンド、灰色の金髪をそういうらしいですが、光を反射してキラキラ輝く美しい髪の持ち主なのです。
そのさらさらな髪は、初見では思わず二度見してしまうほどの美しさです。
確かお祖父さんが北欧系の方だとか。
クォーターですね。
さらにご尊顔は眉はキリリとして、目元はほんの少したれ目なのが表情を優しく見せ、鼻筋はスッと通っており、唇は厚くもなく薄くもなく整っており、その口元に柔和な笑みを浮かべています。
卵形の輪郭で左右対称の美しい顔なのです。
さらには久瀬律よりほんの少し身長が高くて、バスケ部部長で成績トップクラスなのです。
誰がプリンスとか言い出したんだ、恥ずかしいあだ名だなぁ・・・などと中学の時に顔を見る前には思っていたのですが、速攻認識を改めました。
プリンス、大正解。
世の中にはこういう神による芸術作品的な人間が存在するのだなぁと感心してしまいます。
そんな男と久世律はどうやって親友になれるんだ・・・と思ったりもしましたが、そういや彼も結構な男前でした。
類は友を呼ぶという言葉がありましたね。
まさにその通りかもしれません。
教室の後ろの扉から入った香坂君は、ポケットに片手を突っ込みながら迷うことなく、久瀬律の席に向かいました。
何をしてても様になる人です。さすがバイトでモデルやってるだけのことはある。
近くで見ても、相変わらずの美しい髪とお顔は健在です。
「律、顧問に申請書類出したか?」
「あ~・・・忘れてた。悪い、昨日揉めてて・・・なんとか終わらせたけど・・・・・・今日出しとく」
「さっさと別れないからだ。ホントに女運悪いな。今度は俺が見立ててやろうか?」
「・・・・・・・・・・マジ、女は当分いいわ」
香坂君はうんざりした様子で机に肘を付く久瀬律を笑いながら見下ろしています。
私は盗み聞きしているわけではありません。
久瀬律の彼女と別れたらしい話やら、モテない男が聞いたら睨んでくるどころか呪いそうな発言を聞きたくて聞いたわけではありません。
そんな趣味もありません。
隣の席ゆえに聞こえてくるんです。
仕方がないですよね。
聞かないようにしたいのですが、生憎と他に気を取られるような現象が起こっていないので耳に入ってしまいます。
さっさと荷物をまとめて帰ろうと思います。
「部活より自分とデートしろとかマジふざけんな・・・俺が部活集中するできるようサポートするとか何とか付き合う前は言ってた癖に」
「まぁ、彼女あまり評判よくなかったしな。律も、そこそこ見た目良いってだけですぐ付き合うからこうなるんだろ?お前を自分の物って見世物にしたい女が簡単に付き合えると思って寄ってくるんだよ。自業自得」
横目で見ていると余裕綽綽な態度にイラついたのか、久瀬律はプリンス香坂をジロリと睨み付けている様子。
喧嘩はしないでくださいね。
せめて、私が教室出るまで。
しかし、『慌てる乞食はもらいが少ない』、つまり慌てるとろくな結果にならないということわざがありますが、その通りでした。
筆箱に消しゴムをしまおうとしたのですが、コロコロリン。
久瀬律の机の方角、なんとプリンスの足元に消しゴムが転がったのです。
やばいと思うも後の祭り。
とりあえず拾わせて頂きますと、自分の席から立とうとしたところ、素早く香坂君がかがんで拾い上げてくれました。
かがんだ時、プリンスから柑橘系の爽やかな香りがただよってきました。
香水だと思います。うん、良い香りです。
その香りは今日帰ってから自室で食べようと思っていたベルガモット入りのチョコを連想させます。
ベルガモット美味しいよ。
ナイスチョイスさすがですプリンス。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。プリンス」
あ、しまった。
脳内でプリンスと連呼していたのもあって、口からポロリと『プリンス』と出てしまいました。
だってあまりに洗練された動作と爽やかな香り柔和な微笑みに、思わずスカートを指でつまんで持ち上げて優雅にお礼を言いたい気分だったのですよ。
他意はありません。
案の定、びっくりしてプリンス・・・いえ香坂君は笑顔から一転目を見開いています。
「・・・クックククッ・・・宮野ってホント面白いな。面と向かって言うか普通・・・クククッ」
ぬ・・・さっきまで不機嫌マックスだった久瀬律が口元を手で押さえながら笑っています。
よほど私のプリンス発言がツボったのか楽しげです。
別に久瀬律を楽しませる為に言ったわけではないのですが。
プリンスと言われた当事者の香坂君はすぐに立ち直って同じように笑い出しました。
プリンスというあだ名は有名なのですが、どうやら本人に対して直接は使わないようですね。
今後は気をつけます。
「君面白いね。名前何ていうの?」
「・・・宮野奈穂と申します」
「なほちゃんね。OK。覚えた」
香坂君に名前を聞かれて、素直に答えました。
通常名を聞かれたら、人の名を聞く前に名乗れ!と言いたくなる性分なのですが、いかんせん相手は有名人。
知っていて当然です。
私貴方のこと知りませんなどと発言するような無礼千万な真似は致しません。
プリンス香坂君に名乗らせるとかどれだけ偉そうなのかと言う話です。
ちなみに「なほちゃん」と呼ばれたことに対しては動揺はありません。
プリンスは女の子はみんな下の名前で呼ぶからです。
これも結構有名な話なのです。
「ああ、そっか。なほちゃんがチョコ好きの子だね?」
「そそ。こいつのチョコ好きは半端じゃないぜ。気が付いたら食ってるし」
チョコ好きなのは否定しません。
というか愛しているのです。
ですが、なぜ私に対する問いかけの返事を久瀬律がするのか。
しかも、何だか少し人を小馬鹿にした口調に聞こえます。
「私がチョコ好きで悪いですか・・・というか、友達との話で私のこと話題にしないでもらえますか」
「別に涼介とか数人にしか言ってないけど」
しれっと言いやがりましたよこの人!反省の色なし。
ムッとして睨みつけても効果なしです。
抗議のための上手い言葉が出てこなくて、脳内でうぐぐ・・・と呻くしかありません。
ふと、私の視線を受けていた久瀬律が何かに気づいたように目を細めました。
「宮野、ほっぺにチョコついてるぞ」
「え、どこ?どっちですか?」
さきほど食べていたチョコでしょう。
両手でほっぺたを触ってみますが、手にチョコはつきません。
こ、これは恥ずかしいです。そうだ、鏡がありました。
慌てて鞄の中をあさろうとしていると、横から腕が伸びてきました。
一瞬呆気に取られたところにでっかい手が視界に迫ったかと思うと、硬い指先が唇のすぐ横あたりをなぞりました。
思わず背中の産毛がぞわっと逆立つのを感じました。
「ほら」
ほら、じゃありませんよっ!
確かに、久瀬律の指先にチョコがついていますが、許可なく人の顔に触るもんじゃないです。
いや、触りますよとか言われても拒否しますけど。
顔が赤くなるのを必死で平常心、平常心、平常心と心の中で唱えておさえようとしました。
効果があったかどうかはわかりません。顔が熱いですし。
でもやはりチョコを取ってもらったわけですし、この場合でもお礼を言うべきなのでしょうね。
自分の律儀な性格は、礼を言わずに済ませることを許しませんでした。
「・・・どうも、ありがとうございます」
「いや・・・」
渋々お礼を言った私の目の前で、久瀬律は表情を変えずチョコのついた指をペロッと舐めました。
ぎょっとしました。
ちょっと、それ、私のほっぺから取ったチョコでしょうが・・・久瀬律に羞恥心はないのですか・・・。
まぁ唇に付いたチョコじゃないだけましか。いやましとかそういう問題じゃないですよね・・・。
直接ほっぺ舐められたわけじゃないのに、なんとなく落ち着かない気持ちになります。
怒るべきかどうかすごく脳内で葛藤しましたが、久瀬律に面白がっている様子がないのです。
からかっているならまだしも、素でやったようで、絶対この人悪気がない。怒っても損だと思います。
一連の私と彼のやり取りを眺めていたらしいプリンスは優美にクスクスと笑っています。
初対面のプリンス香坂の前でこのような恥をかかすとは、許すまじ久瀬律。
「俺もチョコ好きなんだよ。美味しいよね」
「お・・・ですよね!!美味しいですよね!!オススメのチョコ紹介しますよ!いつでも言ってください!!」
ニッコリ微笑むプリンスがチョコ好き仲間。
こんな美しい人が同じ嗜好をしているのが嬉しくて、荒んでいた心も一気にテンションが上がりました。
女性の扱いが上手いプリンスのことですから、社交辞令かもしれませんが、プリンスは素敵な人物です。
「・・・宮野、これやるよ」
プリンスとニコニコ笑いあっているのが気に入らなかったのか、久瀬律は若干仏頂面で私に手を差し出しました。
手のひらの物体は見慣れた銀紙に包まれた愛しのチョコに見間違いはありません。
もらえるチョコはもらっておけ。
宮野家、家訓です。
いや、それは嘘ですけど、知らない人からは受け取りませんがクラスメイトなら受け取りますよ。
相手が久瀬律であろうとも、チョコくれるなら喜んで。
さっきまではちょっと、いやだいぶ久瀬律にイラっとしていましたが、単純なもので笑顔で受け取らせて頂きました。
私のご機嫌取りの方法としては、正しいです。
すると、なぜか満足したようにニッと笑った久瀬律は追加でもう2個銀紙に包まれたチョコをくれました。
これは家に帰ってから頂こうと思います。