ママ
冬は風邪やノロ、夏はプール熱などで年中混んでいるものだが、五月の終わりの小児科は意外と人が少なかった。
頭の中にまでできてしまった湿疹に薬を塗るために、髪の毛は短く刈ってしまった今の穂香は男の子みたいだ。
小さくてガリガリの男の子がピンクのフリルのスカートを履いていると思って、変な顔で見ていく子どもが多い。指をさして「オカマだ!」なんて失礼なことを言う小さな子もいる。
だから穂香は小児科が嫌いだった。大人が多い他の科なら、知らないおばあさんが「小さいのに大変ね」と頭をなでてくれたりもするのに。
本当はもう十歳でそんなに小さいわけでもないのだけれど、ママの美登里が隣で笑っているときは黙っているほうがいい。
「今村さん。今村穂香さぁん」
初めて来た病院ではそんな風に呼ばれる。
何度も原因不明のひどい状態で駆け込めば、そのうち名前なんか呼ばずに向こうから見つけてくれるようになる。同情と職業的愛情を込めた心配そうな瞳で。
「行きましょう」
背筋をぴんと伸ばして隣に座っていたママが穂香の背を押す。
春ものの若草色のコートを腕に立ちあがった美登里の姿を、通りがかりの男性職員や子どもを連れてきた父親が目で追う。時には母親たちも賞賛の、あるいは嫉妬の混じった眼差しを向ける。美しい母親の後をついていく、みっともない子どものことなど誰も見ない。
診察室に入っても医師と話すのはもっぱら母親の役目で、穂香は頷いたり首を横に振ったりくらいで、本当のことは何も言えない。
穂香が何かを言おうとする気配を察したとたん、今まで子どもを気遣う親らしく小さな背中に当てられていた美登里の手の平は裏返されて押しつけられる。真珠の指輪が服を破って皮膚に食い込みそうだ。その時、ママの顔を見上げるとニコニコと笑っていて、息が詰まりそうだ。
そして穂香は今度も諦める。
本当は、ママにもらった薬を飲んだあとに頭が痛くなったり吐いたりすることも。
本当は、階段から落ちたんじゃなくて、ベッドの上で痛みに目が覚めたら手の骨が折れていたことも。
本当は、自分は病気じゃないかもしれないということも。