アレルギー
「あの、円香ちゃん……今村円香ちゃんのお母さまですよね?」
昼前のデパートの婦人服売り場で声をかけられたのは六月のこと。
振り向くと、高校の制服を着た少女とその母親らしい二人づれが立っていた。
「ご無沙汰してます。江崎です」
二人は揃って頭を下げた。
「江崎さん……」
美登里は驚いて言葉を詰まらせ、少し涙目になったあと、お久しぶりですと丁寧に頭を下げた。穂香も真似をして頭を下げると、なかなか伸びない髪を押し込んだベレー帽が落ちそうになってあわてて押さえる。
「じゃああなた、まりんちゃん? 大きくなったわねえ」
懐かしそうにママが微笑みかけた。半袖のセーラー服の少女は照れたような表情で「はい」と答える。
「こちらは下の娘さん? 円香ちゃんに似てたからもしかしてと思ったんですけど、奥さん、全然変わらないからやっぱりそうだって声をかけたんですよ」
江崎と名乗った母親のほうが、にこやかに穂香を見やって名前と学年を尋ねた。
「今村穂香です。小学四年生です」
「あら、声まで似てるわ」
懐かしそうに目を細めた母親は、「ね? 似てるわよね」と娘に相づちを求めた。娘のほうも「ほんとね」とじっと見つめるので、穂香はどうも落ちつかない。もじもじしていると、
「ちょうどお昼だし、よかったら食事でもご一緒しませんか? いろいろお話もしてみたいですし」
明るい声で江崎が誘ってきた。
「おじゃまでなければ」
ブレスレット型の腕時計を確認した美登里が笑顔で同意した。
近場がよいということで、結局デパートの中のカフェに行くことになった。
「あ、ここです。最近できたんですって」
江崎は友人に勧められ、今日来てみるつもりだったそうだ。
店の外にはハーブの鉢植えが並んでいるカフェは、客の入りはこれからというところで、席にはすぐに通された。
メニューを手に取った美登里が感心したように言う。
「アレルギー対応メニューもあるんですね。この子アレルギーがあるから助かります」
そして「どうぞ」と穂香にメニューを手渡した。
「ほんとにね。うちの子もアトピーあるもんだから、やっぱりちょっとでも良さそうなののほうがいいかと思って」
目の前の母娘は一つのメニューを左右からひっぱりあうようにして選んでいる。あれもこれも美味しそうと、なかなか決まりそうもない。
「これがいい」
穂香が選んだのはやはりハンバーグで、美登里も笑顔でOKを出した。
ちょうど江崎親子も決まったらしく、手を挙げてすみませんとウェイトレスを呼んだ。メニューを見せながらそれぞれ注文をしていく。
「それでは、ご注文繰り返します。フィッシュランチ一つ、チキングリルランチ一つ、サンドイッチセット一つ、ハンバーグセット一つ。以上でございますね」
まとめたメニューをウェイトレスに手渡しながら、はいと美登里が返事をした。
ウェイトレスが立ち去ってから、江崎が美登里に話しかける。
「ほのかちゃんのアレルギーって酷いほう?」
「酷いときは酷いですね。食べられないものが多いからかわいそうなんですけど……」
美登里は痛々しげな微笑みを浮かべた。江崎はちらりと穂香を見て切り出した。
「ハンバーグは大丈夫なの?」
「え?」
「だってつなぎに卵使ってるでしょう? メニューにも卵のところに○印ついてたし。卵はアレルギー反応ないの?」
「ああ、卵は大丈夫なんです。お蕎麦とか小麦粉とかピーナツがだめなんです。それからお魚も。そうよね?」
同意を促されて、穂香はこくりと頷いた。
「でも、ハンバーグのつなぎにパン粉使ってあるんじゃない?」
美登里の横顔がほんの少しだけこわばった。
「少しだけなら大丈夫なんですよ。薬も持ってきてますし」
「あら、よかったわね。ほのかちゃん。卵が食べられるだけでも大分楽でしょう? 小麦粉なんかは代用品もあるしね」
気楽そうな笑い声をたてる母親の横で、高校生の娘は曖昧な微笑みを浮かべたまま、じっと穂香を見つめ続けていた。
他に買い物があるからと、江崎母娘とは店を出てすぐに別れた。
地下の食品売り場へと下るエスカレーターの上で、美登里は言った。
「ハンバーグにもこれからは気をつけなきゃね」