記憶
それが嫌だったら好きなようにしてもいいのよ、といつも美登里は言う。
しかし穂香に分かっているのは、他の選択肢はないということだけだ。
食事に限らず、着るもの、髪型、本やおもちゃ、学校に行くことでさえも、少しでも欲しがったり好きなそぶりを見せようものなら「でもねえ」とママは続ける。
「穂香には似合わないわ」
「穂香には子どもっぽいわ」
「まだ無理よ」
そう言われてしまえば、他のものを選ぶしかない。
長い髪をツインテールにしてリボンで飾った翌日、体中に湿疹ができて熱も出た。病院でもはっきりとした原因はわからなかった。
「でもねえ、病気だから」
と美登里は言って、せっかく伸ばしていた穂香の髪を、薬を塗るためにハサミで短く切ってしまった。
湿疹が治ってかさぶたになり熱が引いても、こんなみっともない姿ではとても学校へは行けない。もともと病弱なために学校は休みがちだったとはいえ、もう一か月も行っていなかった。
本当は行きたくなくても、時間割どおりに教科書を詰め、
「明日は学校に行けるんだよね?」
と夕食の席で嬉しそうに言えば、翌朝は熱が出ている。関節も痛んでいる。本当にどこかが悪いのだろう。でも、食後にママに渡されて飲んだあの薬はなんだったんだろうとも思う。
望んだことをうっかり口に出しても、どういうわけかそのとおりにしてくれるときもある。そんなときの美登里は、魔法つかいのように穂香のどんなわがままも聞いてくれる。
フルーツがたくさんのった甘いケーキを食べて、お姫さまの出てくるアニメのDVDを夜中まで見て、ママのベッドで一緒に眠る。滅多にそんなことはないから、穂香は美登里の体温と香水の匂いが気になってなかなか眠れない。
そんなときに眠れないまま真夜中の寝室で寝返りをうつと、暗い鏡の中に姉の姿を見かけたようでどきりとする。それは自分自身で、気がつくと穂香はどんどんあの時の円香に似てきている。
写真や服や大事にしていた人形や本は残っているけれど、不思議なほど姉のことは思い出せないし、いないことに寂しさや悲しさも感じられない。穂香にとって円香は最初からいなかった人のようだ。
それなのに、写し絵をなぞるように輪郭や目や唇のかたちが円香に似てくるのは不思議で仕方ない。
大人たちは円香は事故でベランダから落ちてしまったのだと言うけれど、穂香の記憶は違う。円香はあのまま歩いて行ったのだ、月へ。
円香についてはっきり思い出せるのはもう、あの晩のこと――月に光っていた金色の瞳だけだ。