パパ
「今度の病院はいい感じじゃない? 先生も若くてハンサムで親切だし」
車の中の美登里は上機嫌だった。
「たまには外でご飯食べて帰ろうか。何がいい?」
そんなことまで言い出すくらい。
とはいえ、せっかくの機会を台無しにすることはない。
「じゃあ、ハンバーグがいいな」
穂香も楽しそうに調子を合わせる。食べられそうな料理はそれしか知らない。
レストランの写真つきのメニューにはいろんな料理が載っているし、隣のテーブルからは美味しそうな匂いがしてくるけれど、アレルギーがあるから大抵のものは食べられない。メニューを見て「これがいい」と指をさしても、ママは首を横に振るのだ。そして時には泣きさえする。
穂香は昔とても元気だったらしいのだが、姉の円香がいなくなって、気がついたらしょっちゅう熱を出して寝込む子どもになっていた。
「ママがもっと丈夫な身体に産んであげられたらよかったのに。そしたら円香だって……」
そう言って涙をこぼすママは美しく、店中の人の同情に満ちた視線が集まる。
パパがママの背中を優しくなでてあげるとすぐに落ち着くけれど、今日はパパはいない。パパがいないときしかママは泣かないのだ。
仕事で外国にいるパパは、年に一回お正月の頃に帰ってきて、「大きくなったな」と穂香を抱き上げてくれる。その顔はいつも少し疲れて緊張している。その視線の先に、いつもママがいるのを穂香は知っていた。
パパのおみやげはセンザンコウだのオカピだのと変わった動物のぬいぐるみばかりで、穂香の部屋のホットカーペットの上でそのぬいぐるみの動物について説明をしてくれる。どんなところに住んでいるのか、どんなものを食べているのか。一生懸命説明をしているうちに、パパの大きな体はだんだん斜めになってきて、そのうち寝そべってしまう。そうなると眠ってしまうまであとわずか。とぎれがちになってきたお話を静かに聞いている穂香は、寝息が聞こえてきたらパパに毛布をかけてあげようと待ちかまえている。
パパのことを思い出しているうちに、いつの間にか港の近くに来ていた。開け放した窓から、風と一緒に甘いような潮の香りが流れ込む。
「やっぱりハンバーグより、お寿司にしましょうよ」
ハンドルを握ったまま、素敵なことを思いついたような笑顔でママがこちらを向いた。穂香は一瞬ひやりとして前を見る。前方に他の車はいなかった。
お刺身は食べられないけど、それでも家の冷蔵庫に入っている宅配の健康食よりはましだ。
「そっちのほうがいい」
穂香のぎこちない笑顔に、美登里は満足そうにハンドルを切った。