悪夢
そこはいつも夕暮れの教室で。
さっきまで聞こえていた野球部の気持ちよい打球の音や、ランニングのかけ声はいつしか聞こえなくなっている。
廊下はまだ床の木目が見えるほど明るいけれど、落ちかけの太陽が赤くあかく、閉ざされた教室の入り口の窓ガラスに反射している。
行かなければ。
行きたくない。
西日の禍々しいまでの眩しさに目を細めながら、私は教室に踏み込んだ。
とたんに窓越しの太陽に眼を灼かれめまいを起こし、しゃがみこむ。閉じた瞼の内側が悪夢に似た色に彩られる。
ゆっくりと目を開くと、うずくまった足元には意外なほど影が濃い。
もうすぐ夜がやってくるのだ。
そのまま薄暗い机の脚を見つめて、少し目を慣らすと私は立ち上がった。
教室は赤く染まり、柱と窓の作る黒い十字模様の影で、まるで墓地のように見えた。
実際、ここは墓地なのかもしれない。毎日、心の中の何かが殺されて埋められていくのだ。
気が付くと、窓辺に誰かが立っていた。
それは一人の女の子だった。
制服を着ている。この学校の。薄手の長袖のブラウスにベスト。中間服というやつだ。
そうすると今は秋? もしかしたら初夏なのかもしれない。
窓に背を向けて、窓枠にもたれかかるように腰をかけ、こちらを見ている。逆光で顔は見えない。
「来てくれたんだ。うれしい」
微笑んだ気配がした。
声は聞き覚えがある。なのに、私には彼女が誰なのか思い出せない。
背の高さは高くもなく低くもなく、髪は肩くらいで、そんな女の子、この学校には何百人いることか。
知り合いなら、今のクラスメイト? 去年の? それとも部活?
顔さえはっきり見えたら思い出せるはずなのに。
私は曖昧な笑みを浮かべ、黙ったまま彼女に近づいていった。
三メートルほどの距離になったとき、彼女はそっと左手を胸の前に延ばし、手のひらを立てた。
止まれということだろうか。近づくなということだろうか。その二つは似ているが、異なる。
私は怪訝に思い、彼女をじっと見た。やはり彼女の肩ごしに差し込む斜陽のせいで顔はわからない。髪が軽く風に揺れていた。
「では、はじめましょうか」
再び微笑んだ気配がした。
そのとき、私は何のためにここに来たのかを思い出した。
「………!」
声にならない叫びをあげ、手を伸ばし、机を押しのけながら私は彼女に飛びつこうとした。飛びついて止めようとした。
その私の目の前を彼女はゆっくりと後ろ向きに落ちていった。
私の手は、彼女に触れることさえ出来なかった。
私は救うことができなかったのだ。
彼女を。
そして私を。
次は、私の番なのだ。
〈了〉