アンチAIエッセイの正体 ~ 実はAIに頼ることをしない底辺作家を間接的に貶めている? ~
最近よくAIを否定するエッセイを見かけるのですが──。
どの作品を読んでも凄く苛つく!
いきなり喧嘩腰な物言いですがこれには理由があるんですよね。
というのも、大抵の作品はAI生成の作品を単調で劣悪でありつまらないと切って捨てているんですよね。
確かにそれを生成するAIは幾つかの種類が主であり、流行りのテンプレートに倣ったプロンプトを組めば似通った作品となることでしょう。ですがAIとはこれまで人間が築き上げた知識に学び、それを手本にテキストを生成するわけですからそんなに悪い作品ができるわけがないと私は思うのですが。
とはいえ、こんなことを言えば今度はこんな言葉が返ってくるのでしょう。それは読む者がその程度の学識しか持たぬ馬鹿だから。そしてそんな物を崇めAIに頼る時点で作者の知能も知れており、どれだけ人生を無駄に費やしてきたかが判ると嘯かれることとなるのでしょう。
そして天才を自負する彼らは言うでしょう。そんな面倒なプロンプトなど組むくらいならば自分で書く方が手っ取り早い。そもそも日本人ならば日本語くらい普通に使いこなして当然であり、それができない無能は作品で恥を晒すよりも筆を折る方が賢明であると。
事実文章の書き方は小学校低学年で学ぶことですし、それさえできればあとは本人の感性というセンスのみ。
というわけで作品における優劣は、天才作家 > 有能なAI編集者 > AI依存の底辺作家 > AIも使えない無能な超底辺作家と、こんな感じになるのでしょう。
つまり文学とは識者にのみ許された知的娯楽なのでしょうね。
──などと認めるとでも?
冗談ではない。人間である以上馬鹿でも考えればそれを表現だってする。沈黙は金なんて糞喰らえ!
人間の個性とは絶対的完璧さではなく歪さである。これは日本人ならではの美学。
そんなわけで私はAIに頼りながらも、それでいて自身の手による執筆を続けます。
というか、素人の投稿サイトにおいてプロ並の作品に拘る者たちに一言。
「お前らこそ場の空気を読めっ!」
例によってメタ的な意見となってしまいました。(笑)
実際のところは効率化という面もあるのでしょうね。一度基本となるプロンプトを組めばあとは思うがままに大量生成が可能でしょうから。それこそ1日当り10万文字を毎日投稿なんてことも。
完璧な一作を求めずに次善の作品の安定供給をと考えるならば、AI生成に敵うものなどありませんしね。
まあ、私は趣味でやってるわけですしそこまで書くことに向きになることはありませんが。(笑)




