『ダノンマス』
「ダノンマス、って知ってる?」
放課後の図書室、風でめくれる古い地図帳を押さえながら、アヤがそう聞いてきた。
その名前は、まるで呪文みたいだった。
「なにそれ? 食べ物?」
「違うよ。これはね、失くした願いが辿り着く場所。…らしいよ」
僕は曖昧に笑った。けど、アヤは真剣な目をしていた。
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アヤと僕は「放課後の図書委員」で繋がっている。
そんなの、他人に話すほどの関係じゃない。
でも僕にとってアヤは、誰よりも…言葉にできない存在だった。
静かで、ちょっと不思議で、でも時々すごく大人っぽいことを言う。
そのくせ、急に屋上で「空ってたまに泣きたくなるよね」とか言って笑う。
まるで、アヤという存在そのものが「物語」みたいだった。
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ある日、アヤは僕に一枚の紙をくれた。
鉛筆で手描きされた、ぼんやりとした地図。
そこには確かに、小さな文字でこう書かれていた。
「ダノンマス」
「ねえ、カナト。行ってみない? ダノンマス。願い…叶うかもしれないから」
僕は断れなかった。
それが“願いが叶う場所”じゃなくて、“アヤに会える時間”だったから。
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地図をたどって辿り着いたのは、町外れの廃駅だった。
もう電車なんて通ってない。誰もいない。
だけど、アヤは嬉しそうに笑った。
「ここ、時間が止まってるみたいで好き」
僕は訊いた。「アヤの願いって、なに?」
アヤは空を見上げてから、こう言った。
「…私はもうすぐ、いなくなるから」
「だから、ちゃんと“消える理由”が欲しいの」
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次の週、アヤは学校に来なかった。
先生は「転校」とだけ言った。誰もそれ以上を知らない。
連絡もなかった。置き手紙もなかった。
だけど、僕の机の中に1冊の本だけが残されていた。
『失われた願いの地図』
カバーには、アヤの手書きでこう書いてあった。
「願いは、そこにあるよ。カナトが見つけたなら」
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季節が変わって、僕は一人でまたあの場所に行った。
夕暮れの廃駅、柵の外で風が鳴いていた。
あの日のアヤの言葉が、風の中に紛れて響いた気がした。
「カナト。あなたの願いは、なに?」
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僕の願いは、ただ一つだった。
アヤに、もう一度会いたい。
あの笑顔のままで。
――それだけだった。
でも願いは、失くした時にしかわからない。
そしてきっと、「ダノンマス」とは――
願いを“失くして”しまった人間だけが、辿り着ける場所だったのかもしれない。
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Fin.
「ダノンマス」という言葉自体は造語です。
意味はないけれど、「意味がなさそうなものが、実は誰かにとって大切な何かだった」――
そんなテーマで書きました。