54,大学受験勉強追い込みのとある日
大晦日、世間はそれをにぎやかに祝うためにお出かけしたり、家族団らんで食事をしたりしている日。
しかしそれを許されない、正確にはそんなことをしている場合じゃない人もいる。
樋口灯里は黙々と苦手であろう勉強机にいた。
そんな様子をじっと見る光先。
(大変そうだ)
灯里は高校3年生、ということは大学入試に向けて絶賛猛受験勉強中なのだ。
灯里がどんな心境で今勉強しているか、光先は実際に受験勉強したことがないので知ることはできないのだが、勉強机の様子を見ると教科書が散らかりながらも参考書とにらめっこしている。
メイからもらった事前情報、彼女は勉強が苦手、というより単純にしてこなかったようだ。その代わりスポーツに一生懸命取り組んできたようで、高校受験の時はスポーツ推薦で進んだ。
大学もそのようにできたら良かったのだが、大学のスポーツ推薦は厳しいらしく灯里はその枠から落ちてしまい一般入試に励んでいる。
灯里は参考書のページをめくる。その参考書が何の勉強のものなのか光先には分からない。
ただ光先はその時が来るまで、じっくりと観察している。
(あー、あー……)
灯里は勉強しながら途方に暮れていた。
やってもやってもキリの無い勉強、そしてそれが頭に上手く入らない自分の脳みそ。
嫌気というわけはない、途方に暮れているのだ。どうすれば志望している大学に合格できるのか。
灯里が受験する大学は市立大学、そこそこにレベルが高い、と思っている。
そんなに苦労するならもう少しレベルを下げた大学にすればいいかもしれないが、それでは将来がままならないことも分かっているので致し方なくという形。
せめて得意なスポーツが入試試験だったらと嘆くが、世の中そうはいかない。そもそもそちらの推薦は落ちてしまったのだから。
いくらスポーツが得意といっても世の中たくさんの人がいる。当然灯里よりも優れた人がおり、そしてその人がスポーツ推薦で合格した。
灯里は悔しいと思わなかった。本当はそのように思った方が向上心がありますます能力をあげる糧になるのだが、見せつけられた自分よりも優れた動きにはどうしようもないと感じた。
高校で運よく推薦でいってしまったツケがここにきている。あの時は嬉しいと思ったが今なら後悔に思う。
灯里はスポーツ全般なんでもこなせる。長所は苦手なスポーツの分野、ポジションがないこと。なんでもそつなくこなせる。そして逆を言うならば吐出した能力は持っていない、得意分野がないということ。それが原因でスポーツ推薦に落選した。
中学はハンドボール部、主にキーパーをやっていた。理由は他に任せられる選手がいなかったから。
高校は心機一転、ラクロス部に入った。中学から続けてハンドボール部でも良かったが、別に推薦で入ったとはいえ同じ部活に入らなければいけない決まりはなかったし、なによりラクロス部の先輩たちから熱烈なお誘いがあったからだ。
といってもその理由は単純にラクロス部のキーパー不足解消のためだったのだが、そのお誘いは嬉しかったし、違うスポーツに打ち込めることは楽しかったので結果的には良かったと思っている。
そんなキーパーしてきた人生だったが、勉強はさほど、いやさっぱりといっていいほどやってこなかった。宿題も最低限、テストは赤点にならないギリギリ。それでクラスメイトからいつもからかい話のネタにされていたがそのことは事実だし、自分でも分かってやっていることだったので許せていたが、大学受験はそうもいかない。
(あー、しんどい……)
そう思いながらも参考書のページをめくる。今は特に苦手な数学を解いている、頭に入っているかは分からない。
大晦日、灯里を除いた祖母、父、母、弟の家族は下のリビングでテレビの特番を観ながら楽しく過ごしているのだろう。そこに混ざりたい。
親には為せば成ると期待されている。というより志望大学が市立大学になったのも親の希望あってのことが大きい。灯里自身はとりあえず大学にければいいと考えているタイプだったが、しっかり勉強してきた両親はそうではないらしく、ある程度しっかりした拍があるところという意味で家族会議で決まった。
やっぱりもう少しランクを下げても良かったと灯里は後悔しているが、そうすれば私立大学になりさらにお金がかかることになるだろう。ただでさえスポーツをやり続けるのに今までにたくさんの援助をしてもらってきた。スポーツをするのに揃えなければいけない道具、それを合わせればかなりの金額になる。それだけじゃない、大会や遠征の時も送迎してもらっている。早朝に起きなければならないのに親は文句ひとつ言わずに楽しそうに運転してくれた。
だからこれ以上、というより早く恩返しがしたいと思っている灯里としては親の期待に応えられるように努力したいとそう行動している、その一環が受験勉強なのだ。
大晦日の家族団らんに自分が混ざっても怒られることはないし、親は笑顔で向かい入れてくれるだろう。休憩という形で甘えることもできるだろう。
だけど一度それを許してしまうとどんどんそちらにのめり込んで、受験勉強がおろそかになってしまうことは性格的なことで灯里はよく分かっている、そんなオンオフの切り替えが出来たのならすでに成績は良かったはずだから。
(お腹減ってきた……)
といっても流石に長時間集中しているせいか小腹がすく。
灯里は勉強机の引き出しを開ける。いつもここにこっそりとお菓子を忍ばせている。別に忍ばせる必要はどこにもない、家族にはお菓子を食べていることは言っているのでやましいこともない。ただ引き出しに入れることによってこれは特別なことなんだぞと罪悪感をアップさせることに灯里自身ハマっているだけだ。
最近は受験勉強のせいで運動もろくにしていないので体重は露骨に増えているだろうが、これも必要経費として体重計には乗っていない。
そんな引き出しお菓子は今日は無かった、無くなってしまったことを忘れていた。
(しまった……)
このまま疲れ切っている頭、それに空腹感の中勉強は出来ないので、灯里は最低限の外に出られる格好に着替える。
灯里は出かけるついでに英語の単語帳を持っていくことにする、少しでも勉強するためだ。
階を降りて、リビングに入れば予想通りの団らんが広がっていた。
「灯里、どうしたの?休憩?」
バラエティ番組で可笑しそうに笑っている母が灯里に気づき声をかける。
「ううん。お菓子なかったから近くのコンビニに行こうと思って」
「え?なら俺の分も買ってきてよ」
バラエティ番組に夢中になっているのか顔はテレビの方を向きながら、弟は応える。
父は落ち着いた雰囲気で、
「気を付けていってらっしゃい」
「行ってきます」
灯里は答えて家を出た。
(さすがにさむっ)
外は雪が降る地域ではないが大晦日ゆえの寒さが灯里を襲う。もう少し寒ければきっと息が白くなりそうだ。
灯里は少しでも体を暖めたいと思い、ランニングをしようとおもったがそれでは英語の単語帳を手に落ち着いて勉強できないと思い出し、しぶしぶ歩く。
英語の単語帳、作る時は楽しかったが今は無の感情でそれをめくっていく。
灯里はふと思い出し、立ち止まりスマホを覗く。マナーモードで通知を切っていたスマホにはたくさんのメッセージが溜まっていた。
友達、クラスメイト、部活の先輩後輩、大晦日楽しそうに過ごしていることが灯里に伝えられている。
(帰ったら返信しよ)
自分もその中に加わりたかったが、受験は待ってくれないので今年は我慢、その代わり来年は思い切りはしゃごうと思っている。
大学に入ったらどうしようか、そもそも将来はどうしたいのか。
だいだいは決まっている、スポーツに関連すること。体を動かせること。
もっともっと体を動かして、スポーツではキーパー以外のポジションもたくさん経験してそして、
(とりあえずダイエットだな)
今はこの肥えつつある体をダイエットさせたいと灯里は思っている。
受験なんてなければ、座って勉強なんてなければ、もっと体を自由に動かせることができたら。
そう考えても仕方がない、灯里は再び英語単語帳と格闘する。
コンビニ前の交差点にさしかかる。青信号なのを確認して渡りながら単語帳に視線を落とす。
これがいけなかったのか、そもそも運が悪かったのか。
大晦日、都心の交通はガラガラでいつも以上に自由に運転出来てしまったからなのか。
灯里は気づいた瞬間、世界が逆さまになっていた、否自身の体が逆さまに宙に浮いていた。
(えっ……?)
灯里は宙に浮きながら、車に轢かれたことに気づく。その車はいわゆるスポーツカーだろうか、どんな人が乗っているかまでは当然分からない。
同時に灯里は地面に強く頭から打ち付けれれる。
(い……た……)
コンビニが随分遠くにワープしたような、そこまで飛ばされてしまったようで、車は相当なスピードで灯里をはねたことを理解する。
だがそんな頭は割れるようにいたみがし始め、すぐに思考は停止した。
(かわいそう……)
光先は空薬莢をいつも通り嚙みながら、後片付けを始める。
灯里はひき逃げ事故に遭ってしまった。文字通りこの後車は逃走を図る。この時しっかり灯里のことを手当てしていたらあるいは。いや、どのみち即死は避けられないだろう。
車は150キロを超える速度で、しかも信号無視で灯里をはねた。いくら交通量がめっきり少ない大晦日とはいえ法定速度をゆうに超える速度でしかも信号無視は到底許されるべきではない。
逃走した車はその後すぐに捕まるのだが、
(しっかり地獄で反省して欲しい)
きっと犯人は輪廻転生すれば地獄方面になるだろう、人を殺めてしまったのだから。
逆に灯里は転生後楽しく過ごして欲しいと願う。あちらの世界では勉強よりも冒険がメインだろうから、体を動かすことが大好きな灯里にとってはとっておきになるだろう。もっと詳しくいえば、キーパー歴があるのでそれにまつわるスキルを取得しながら探検してくのだとか。
ともかくこのような惨劇な交通事故は起こらないで欲しいと光先は願う。その後のことを想像すると心が痛い。灯里の家族はきっとひどく悲しむことだろう。友達もクラスメイトも、部活の先輩後輩も、同様だ。
(自分が死んだ時、悲しんでくれる人っていたのかな?)
光先は素朴に疑問に思う。光先は転生前の記憶がない、どうやって生まれてどのように生活し死んだのか分からない。
いつかそのようなことも思い出せる日がくるのか、そう思うながらこの場を後にした。




