30,しにがみと一人の少年
眠かけしながら山を下っている光先。
もちろん足場は気にしている、というよりほとんど下しか見ていない。下りは楽そうに思ったがそんなことはなかった、むしろバランスよく降りないと簡単に転んでしまいそうだ。
景色にも集中できないほどの眠気、休みたいと思うがおそらく今の状態では爆睡してしまう、そんな微睡寸前な光先。
(あれ?こんなところ、あったっけ?)
そして気づけばまだ山の中腹くらいに戻ったはずなのに平坦な場所にきていた。しかし周りの景色の様子は変わらず山の中。
(もしかして道間違えちゃった?)
確かに光先は周りの景色をあまり見ずに黙々と下っていた。そして眠い頭でそれなりに道っぽいところをただ進んでいた。流石に今の状況で目は覚めたが。
いつの間にか下りきってしまったか、そうではない。それにしては人が少ない、それにここまで生い茂った麓ではなかった。
光先はとりあえずキョロキョロしながら進む。霧が立ち込める、山は天候が変わりやすいといっていたが、いつから霧が発生したのだろう。
「おねえちゃん、なにしてるの?」
光先は話しかけられていることに気づき、声の主を確認する。
するとそこには小学生になったばかりだろうか、小さな男の子が竹で出来た虫かごを首からかけ、身長より大きな虫網を持っており、タンクトップ麦わら帽子が似合って可愛らしい男の子がいた。
とりあえず何か話さなければ、小さな子供にも分かりやすいように、
「えっと……山を進んでいたのだけど、迷っちゃって……」
「おねえちゃん、まいご?」
首をかしげる男の子。
「そうみたい……」
「おうち、とおいの?」
「うん」
男の子は純粋無垢に聞いてくる。それが異様にむずむずする感覚を覚えるのはなんでだろう。かつて自分がそうであったことが懐かしいような、違うような。
「あ!いけない!カブトムシつかまえないと!」
男の子は思い出したかのように駆け出す。
(どうしよう……このまま彷徨っても埒が明かないし、とりあえずついていこうかな)
光先は後から男の子を追いかけた。
いったい何が起きているのだろう、この男の子は地元の子なのか格好がかなりラフで色々と心配になる。タンクトップと半ズボンは涼しそうだが肌が植物に触れたりして荒れたりしないだろうか。水筒を持っていないけど、この暑さの中大丈夫だろうか。
(暑さ?)
そういえばと光先は思い出す、暑さを感じていないと。山とはいえ真夏、この辺りでも風が強くふかない限り湿度もあって汗がじんわり出てくるはずだ。しかし今はカラッと爽やか、明らかにおかしい。
(霧は?)
霧はとっくに消えていた。空を見上げれば雲の無い青空がこれでもかと広がっている。
どうなっている、光先は頭を混乱させながらも男の子を追う。
すると男の子はひとつの大木の前に止まり、何かをじっと見つめていた。
「おねえちゃん、しずかにね」
「う、うん」
そういえばカブトムシと男の子は言っていた、光先も大木を見る。すると樹液が垂れているところからたくさんの虫が確認できる、そこにカブトムシもいた。
しかしその樹液が垂れているところは少し高いところにあり、男の子は身長でも光先の背丈でもまったく届かない。
どうするのだろうか、光先は男の子に視線を戻すと、男の子は大木をガシッと掴んで登りはじめていた。
男の子はそれに慣れているのか、危なげなくスイスイと上にあがる。自身よりも大きな大きな木を小さな男の子が一生懸命に登っている。足も上手く使いながら体を固定し虫を一匹捕まえかごに入れた。男の子は満足気に戻ってくる。
男の子は確認するように虫かごを開け、それがカブトムシだと光先に見せびらかすように、
「みてみて!おおきなのとれた!」
「凄い」
「つのがおおきい!やった!」
「良かったね」
小さな子がこうやって喜んでいるとき、どれぐらいのリアクションを取ればいいのか、人間関係皆無の光先には分かるはずもなく、ただ淡々と感想を述べてしまった。
しかし男の子は嬉しそうにカブトムシを眺めているので特に問題はないだろう。
「おねえちゃんはカブトムシすき?」
「初めて見るから……」
「そうなんだ!ここには、いっぱいいーっぱいのカブトムシとかこんちゅうがいるんだよ!おねえちゃんもとってみたら!?」
「自分が?」
「うんうん!のぼらないといけないけど、さっきのところにまだたくさんいるよ!ね!」
「わ、分かった」
話の流れで木登りすることになってしまった。光先は木登りなんてしたことがない、そもそも記憶喪失なのでしっかり登ることが出来るのだろうか。
男の子にカブトムシの入った虫かごを渡される。どうやらこれに追加でいれてこいとのお達しだ。
光先は荷物をその場に置き、かごを首にかけ大木の前に進む。
「がんばってー!」
可愛らしい声援が聞こえる。それが光先にはやっぱり妙にうずうずしてしまう。生前自分もあの男の子みたいな無垢な時代があったのだろうか。
気を取り直して、かごを背中側に移動させ、腕はガシッと大木を掴む。やはり運動神経があるのでスイスイといけた。
もうひとつの要因は、
(胸がないから進みやすいですよね、けっ!)
今度あのメイに木登りさせてやりたいと光先は思った。きっとさぞかし大変なことになってお茶の間と男共の視線を釘付けにすることだろう。けっ!
光先が変なことを考えている間に目的の樹液近くまで登ってきた。
(凄い、たくさんの虫……)
カブトムシだけじゃない、色々な種類の虫たちが一心不乱に樹液をなめている。虫の中には確か人間を襲う害虫扱いを受けている危険生物もいたが、こちらには気づいておらず大丈夫そうだ。
光先はその中からせっかくなので男の子がとったカブトムシと同じくらいの大きさのを取ろうと思った。しかし、お目当ての角の大きなカブトムシはおらず困った、というより今はカブトムシがそのものいなかった。
(ならせめて……)
虫かごをあけ、比較的安全そうでだけどこの中で大きな虫を光先は捕まえ入れた。
そして降りる。
「おねえちゃん、カブトムシとれた!?みせてみせて!」
光先が答えるよりも早く男の子は虫かごの中身をチェックする。
お目当てのものが入っていないため、当然びっくりする。
「ごめんね、カブトムシいなかったから別の……」
「すごいよ!こんなおおきいメスはじめてみた!おねえちゃんすごいよ!」
しょんぼりさせてしまうかと思ったら男の子は興奮していた。
「メス?」
「そう!カブトムシのメス!これでこの2ひきふうふだよ!すごいよ!」
何気なくとった虫はどうやらカブトムシの雌だったらしい。光先は虫についてはさっぱり詳しくないので、とりあえず大きくてカブトムシに似ているけど角がないこの子を、と思って捕まえたが当たりだったようだ。
「ありがとうおねえちゃん!」
純粋な笑顔、男の子の前歯はちょうど乳歯が入れ替わる時期だったのか無かった事に光先は気づく。
(なんか恥ずかしいな……)
ただ男の子は感謝している、他意はなく真っ直ぐに。それがどうしてここまで嬉しく感じ、同時に再びそわそわしたくなるのだろう。
なんだかんだ道に迷ってしまっていたが、この寄り道は悪くないと光先は思った。