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28,介護職の最後

 どうしてそうなってしまっただろうか。

 チエ子婆さんはあの後、その場で亡くなった。

 原因は心臓の血管が破裂、即死だった。元々体がボロボロだったので血管も裂けやすい状態だったらしい、後から聞いた。

 自分がいなくなった後に、それが起きてしまった。あの時もっと話を真面目に聞いていれば気付くことができ救えたのではないか。

 周りは気にしなくてもいい、この職業柄よくあることだ言ってくれたが、飲み込むのは躊躇われる。遺族も寿命だったんだと割り切っている、それが逆に自分にとって苦痛になった。

 やりきれない、この仕事をしている以上、死を目の当たりにすることは覚悟していた。自分は運が良かった方だったのかもしれない、今までそうして亡くなる人に立ち会ったことがなかった。チエ子婆さんが初めてだ。

 妻の時もそうだ、もっとちゃんと寄り添っていたら。

 自分は妻の旦那なのに最期を看取ることが出来なかった、仕事を理由に現実から逃げたんだ。


 どうしていつもこうなってしまう?


 ならどうしてこの仕事を続けている?


 どうして?どうして?



 今日はテツオ爺さんという方の寄り添いをしている、まだ心情的に引きずっているが仕事は待ってくれない。

 テツオ爺さんは気が難しくあまり話さない、そのため気晴らしになればと思い部屋のベランダにいる。むしろ自分のためかもしれない。

 テツオ爺さんは外が好きらしく、中で基本的に活動しているこの施設よりもお出かけがしたいようだった。流石にお出かけすることは叶わないがせめてと思い、こうしてベランダにあがっている。

 足腰も丈夫だったらしく、今は老化でやせ細っているが歩くことは出来る。ただ瘦せている何よりの原因はテツオ爺さんもアルツハイマーを患っている、それも相まって普段滅多に声を聞くことがない。もう孫を孫と認識することも困難、最近こうして会っている自分の顔すらまともに覚えることができないでいるのだ。

 ボーっとテツオ爺さんは外を眺めている。今はどこを、何を見ているのだろうか。横目では分からない。

 昔は写真をよく撮っていたという、だからこそ外が好きで色々な観光スポットや庭に出向き、美しく写していたのだとか。親族に見せてもらったことがあるが被写体をピンポイントで、しかも昔の一眼レフで。昔の一眼レフは自動で補正してくれないので全部手作業、だからこそ綺麗に見えるかもしれない。

 ボーっと、今度は空を眺めているのだろうか、視線が上方向にある。

 忙しい自分にとっては退屈な時間だ、立ち止まっていることが億劫に感じてしまうあたり仕事に毒されている。

 テツオ爺さんと話すわけでもない、無言の時間。

 ただベランダから外の景色を眺めるだけの虚無。

 だからこの前の出来事を思い出してしまう、亡き妻と重なり、胸が苦しくなる。


 どうして介護をしている?


 答えはもう自分でもなんとなく分かっている、それを認めるのが何故か怖いだけ。

 誰かを介護して見返りが欲しかった、自分がいると証明したかった。誰かの役に立つことで自我を保とうとした。

 たくさんの爺さん婆さんから感謝されること、最初は嬉しかった。

 でもいつからかだろうか、それに慣れてしまった。

 妻はそんな自分を認めてくれるように優しかった、だから結婚して子供もできた。幸せはずっと続くと思っていた、でもそれは叶わなかった。


 なんで今こんなことを自分は思っているのだろう?


 テツオ爺さんは今何を考えているのだろう?


 チエ子婆さんは発作のとき、痛くなかっただろうか、苦しくなかっただろうか、満足のいく人生を送れただろうか。自分がこんなことを考えても仕方がないのにどうして思ってしまうのか。

 こうなるのだったらもっと真面目に聞けばよかったのに。

 涙が自然と出てきていた、泣くなんていつぶりだろうか。妻が死んだときも泣けなかったのに。

 本当は泣きたかった、でも強がったんだ。息子を心配させたくない、これからのことを考えないといけない。そうして自分から、惨状から逃げたんだ。

 いい加減、ボロボロの体でも進まないといけないんだ。


「あ、ああ……」


 ふと聞いたことがない声に我に返る。いったいどこから誰が。


「ああ、ああ!」


 違う、テツオ爺さんだ。喉から漏れるような声で何かを追いかけたそうに両手を前に出している。

 それを確認すれば蝶々が目の前を通過していた。黒く美しい羽だった。


「ああ!ああ!」


 テツオ爺さんが身を乗り出した。


「!?」


 反応が送れた。

 ここはベランダ、そして地面と高さのある4階のこの場所。テツオ爺さんはバランスを崩している。

 このままではテツオ爺さんは落下してしまう、また誰かが死んでしまう。しかも今回は自分の不注意だ。

 急いでテツオ爺さんを引っ張る。

 しかし痛めている腰のせいで思うように力が入らない、引き上げるのは困難だった。

 テツオ爺さんの頭がゆっくりと地面方向に落下し始める。

 このままでは。


 介護をして最後まで笑顔でいて欲しいんです!


 就職面接のとき、そんなことを言った。どうしてそれがこの瞬間に頭をよぎるのだろう。

 どうして自分は身を乗り出しているのだろう。

 そうだ、テツオ爺さんを救うために。まだ生きてもらうために。

 歯を食いしばる。

 なぜか体が楽になっていく、これならテツオ爺さんを助けることが出来る。思いっきり引っ張るんだ。

 よかったテツオ爺さん、戻れた。

 自分は。

 これで良かったんだ。もう死を見るのは御免だから。

 ごめんね、息子。

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