27,介護職の憂うつ
辛い、やめたい。
何度思っただろう。
夏の暑さが嫌だ、腕で額の汗を拭いながら目の前の爺さんをベッドから車椅子に移動させる。
この動作は相変わらず腰にくる、もっと自分の体が頑丈であれば。
「ありがとうね~」
爺さんは優しく言ってくれる。
でも爺さんはそれもすぐに忘れてしまうだろう、しょうがないこと。
どうして介護職という仕事を選んでしまったのだろう。
仕事に就いたときはどんなことを思っていたっけ?
それより今度は違う部屋の婆さんのオムツを変えなければ。別にこれは苦じゃない、腰に負担のかからない作業は歓迎だ。見た目は大変に見えるかもしれないが慣れてしまえばこんな作業、なんとも思わない。
今度は食事の準備をしなければ、応接室にいる婆さんたちの話を聞いてあげなくては。
どうして繰り返しこの仕事を続けていたんだっけ?
(今日は一段と暑いな……)
昼休み、屋上のベランダに出向きタオルを干す。この暑さならすぐに乾くことだろう。
「工藤先輩、おつかれさまです!」
手伝いに来てくれただろうか、女性後輩がタオルを手に取っていた。
「今日は一段と暑いですね~」
「そうだね、空調管理こまめにチェックしないと」
爺さん婆さんは勝手にボタンを押すことがある。歳を重ねると感覚が鈍って暑さを感じにくくなり、それで冷房はいらないとエアコンを切ることがある。それで倒れてしまってはたまらない、この施設はご家族から任されて、預かっているようなものだから。
「先輩はほんと真面目っすよねー、尊敬しますよ。自分のことばっかりですから私なんて」
「その方が楽でいいからね。考える過ぎるのは癖だから」
他人のために、他人がどうしたいのか、物心ついた時からそう思って生きていた。だからあの人はこう動く、あの人はあれをやりたくて困っていると常に考えてしまう、それが疲れることも分かっている。
そんな自分にも息子がいる。今はどうしているのだろうか、夏休みひとりぼっちで寂しくないだろうか。母さんがいれば良かったが病気で死んでしまったものはしょうがない。再婚なんて考えたくなかった。
あの子は利口だ、きっと粗相することはないだろう、自慢の息子だ。
「工藤先輩また息子さんのこと考えているでしょ?今日は早くあがれるといいですね!」
「今日は夜勤もあるんだ」
「えー!先輩真面目過ぎですよ!変わりたいところですけど、先約があるんで!」
「楽しんでおいで」
元気な後輩の彼女は最近念願の彼氏を持ったようだ。最近の出会いはネット、マッチングアプリなるものからでもできるらしい、10年前の自分の頃とは大違いだ。
高校の同級生で、そのまま結婚なんてベタはもう通用しないのかもしれない。そう思うと自然と苦笑してしまう。
「はい!でも最近彼氏がかまって欲しそうで仕方がないんですよねー、ちょっとウザイです」
「男は見かけによらずに寂しがり屋なもんだよ。気の許せる人に甘えたいんだと思うよ」
「そっかー、ふーんあの人がね~……ありがとうございます先輩!そういう工藤先輩は本当に頼もしいですよ!」
そう言ってタオルを干し終えた後輩は仕事場に戻っていった。
自分はといえば、気づけば空いているベンチで座っていた。先ほどまで日照りをもろに受けていたベンチは熱い。
(頼もしい……か……)
歳をとって、子供ができ、妻を亡くし、それでも仕事をこなす。生活費があるのだ、今更職をやめたいなんて思ってもできない。
流れ流れで生きていたつもりが頼もしいなんて言われるくらいにはなっていたのか。
違う、本当は自分だって寂しいんだ。亡き妻にぎゅっと抱きしめてもらいたい、息子の笑顔を今すぐ見たい。
大人は色んな事を我慢しないといけないから残酷だ。
(暑いのになんだってこんなところに……)
真夏の日差しが容赦なく降り注いでいる。
休まる場所なんてない、自分にとって幸せってなんだろう?
仕事を休むことか?息子の顔を見ることか?違う、そうしたっていつだって別の色々なことが考えをよぎる。
仕事を休めば、何事もなく順調にいっているのか仕事場が気になってしょうがない。上手くやれているだろうか、困ったことはないだろうか。
息子の顔を見れば、妻の分まで妻の代わり以上に頑張らなければと思ってしまう。
そうして根詰め過ぎた結果、30代だというのに腰を悪くしてしまった。普段は腰バンドを巻き、湿布を貼りながらなんとか誤魔化しているが、やっぱりふんばる動作がしんどい。それでもやらないといけないが。
(戻らなきゃ……)
仕事はまだまだあるのだから。
「それでね~」
茶を注ぎながら、チエ子婆さんという人の話を聞いている。
チエ子婆さんは比較的新しくここにやってきた人、周りとすぐ馴染み話すことが大好きな人だ。ただ病気を数多く患っているからか基本は寝たきり、移動は車椅子。体はもうやせ細っている。
「息子はどこにいったんだぁ?早く勉強させねぇと」
「そうですね」
自分は愛想笑いで返す。
チエ子婆さんは記憶も曖昧になってしまっている。歳を取ると仕方がないこと、寂しいこと。
この前チエ子婆さんの孫が見舞いに来ていたが息子と勘違い、はたまた他人だと思い込み、孫を悲しませていた。
アルツハイマー、本当に残酷な病気だ。
「私はいつここから出られるんだい?」
「病気が治ってからですね」
何の病気のことになるのだろうか、言っている自分も適当だ。ただこう言うしかこの場を収めることしかできない。ここは老人施設、または終末施設なのだから。
家族が仕事などで面倒を見切れない場合にここにやってくる、デイサービスという形で日中にやってくる人もいる。人間ひとりでは腐ってしまう、だからこうして皆で集まって何かすることによって少しでも長生きしてもらうのだ。
だが当然最期はやってくる、体の調子が悪くなりここから病院にいって戻ってこない人は何人も見てきた。しょうがないと分かっていても、悲しいことだ。
「若いころはもっと動けたのにね~」
「そうですね」
誰だってそうだ、取りたくない歳を重ねてしまい、衰えて欲しくない体は悲鳴をあげ始める。
「お前さんは幸せかい?」
「え?」
なんだかそれが自分にとって凄く胸に刺さる一言だった。
「あたしゃ幸せなんてもんじゃなかったよ!あの腐れ旦那のせいで……」
ああ、いつもの話にいく流れだったのか、黙って聞こう。
チエ子婆さんは記憶が一時的に戻る時がある、その時は決まって亡き夫の愚痴話を5分以上、長いときは10分以上続ける。それがルーティンのようになっていた。
黙々と聞いていると腕時計のアラームが小さく鳴る、別のところに行かなければならないチャイムだ。
「チエ子さん、また来るからね」
出来るだけ聞き取ってもらいやすいようにハキハキ言いながら部屋を出ていく。
後ろは振り返らない、決まって呼び止められ仕事ができなくなってしまうから