第八話 皇帝の戯れ
※後半に強姦描写があります
すっかり日が高くなったころ、アーテはようやく目を覚ました。食堂にいたはずなのに寝室の柔らかいベッドの上で寝かされていたのは、メグリムが運んでくれたからに違いない。
ベッドサイドテーブルには、朝にはなかった花瓶が置かれていて、愛らしい白色の花が活けられている。花瓶の下にはカードが置かれていた。
「なんでしょう、これ」
アーテは寝そべったままカードを手に取る。流麗な筆跡でハフリトの言葉が書かれていた。
『ワタクシガオニワデソダテテイル レフノースクトイウハナヨ』
『オチツイタラ イッショニオニワニデテミナイ?』
「エミュ様……」
しなる花茎に連なって下向きに咲くその花は、まるでスカートを履いて並ぶ少女達のようだ。毎年恒例の、豊穣祭に着る白いワンピースに見える。
(豊穣祭、楽しみにしてたのにな)
今年もあれを着て、里のみんなとダンスを踊って、美味しいものをたくさん食べて、それから……それから、みんなの前でロカと結婚の宣言をするはずだったのに。
春を祝い、夏の恵みを祈願し、そして男女が結婚する豊穣祭。例年は新しい夫婦の誕生を見届ける側だったアーテも、とうとう祝われる側になれた。そう思っていた。
けれど自分が結婚する相手はロカではなく、そもそも相手の男はこれを結婚とも思っていないらしい。それが理解できないし、許せなかった。
カードをテーブルに置き直す。それ以上動く気になれない。やけに身体が重く、柔らかいベッドに沈んでいくように感じられた。飲み込まれそうで怖い。けれど這い出る気力も湧かず、アーテはそのまま横になっていた。
何かしなければいけない、けれど何もしたくない。たくさんのことが一気に起こりすぎて心身ともに疲れ切っていた。まるで頭の中にもやがかかっているようだ。
これは全部悪い夢で、もう一度ぱっちり目覚めたなら何事もなかったように両親がいて、いつもと変わらない毎日が続いている。
ロカからは近況報告のセキトク鳥が届いて、やがてお土産を持って帰ってくるのだ──そんな幻想にひたりながら無為に時間を過ごす。起きたまままどろみを味わっていたところに、無粋な客が現れた。
「もう夕方なのにまだ寝てるのぉ? 今夜は陛下のお渡りがあるって言伝が届いたんだから、さっさと準備してよねぇ」
ノックもなしにづかづかと踏み込んできたモニータは、キンキン声でそう命じる。その声に急き立てられて、アーテはのそのそと起き上がった。
「来るんですか、ここに」
「そう言ってるじゃん! 陛下の御前で粗相なんてしたらあたしまで連帯責任になるかもしれないんだから、マジメにやりなよぉ」
「今日は体調が悪いので、断ってくれませんか」
「そんなこと言える立場ぁ? 自分が陛下の所有物だって自覚を持ちなさいよぉ!」
ぎゃあぎゃあとわめくモニータに命令されながら、アーテは続き部屋の浴室で全身をくまなく洗う。シャワーやら何やらの使い方は横からモニータが教えてくれたが、そんなことも知らないのかといちいち馬鹿にされて迷惑そうにされるから、アーテもだんだん嫌になってきてしまった。
湯船に浸かった後は、モニータに精油でマッサージをされてよくわからないクリームを全身に塗りたくられる。
オイルもクリームもいい匂いがしたし、肌がすべすべになった気がしたが、これは別にアーテのためにやってくれたわけではないのだろう。モニータがそんなことをするはずがない。彼女ならむしろアーテに自分への奉仕を命じていそうだった。
(なんだか料理の下ごしらえをされてる気分です)
腕に残ったクリームの匂いを嗅ぐ。華やかで甘ったるい。市場で品定めされた後なのだから、調理されるのは自然の流れか。口元が自嘲気味に歪んだ。
別の続き部屋は衣装部屋になっていた。薄くて煽情的な夜着とシンプルなワンピースがいくつか、それから派手なドレスがある。モニータはこれが欲しかったのだろうか。彼女の考えていることはよくわからない。
(服が欲しいなら、自分で機を織って服を作ればいいのに)
ハフリトはそうする。植物の繊維を紡いで布を作り、それで服や袋を仕立てるのだ。アーテは織機の扱いがうまくて、ロカにもよく帯やマントを仕立ててはプレゼントしていた。
里のみんなはアーテに布を織ってもらいたがったからそれに応えていたし、できたものをキャラバンに預けて売ってきてもらったりもしていた。それでも、ロカに渡す分は精一杯の特別を込めて織っていた。寒い思いをしないようにとか、いつもそばに自分がいると感じてほしいとか、そんなささやかな願いを込めて。ロカに贈った服は、今も彼の助けになれているだろうか。
アーテの全身が磨かれた頃にはもう夜になっていた。吐き気がどんどん強くなる。喉が渇いて仕方ない。震えが止まらないのは、この無防備な夜着のせいだけではないだろう。
アーテは浴室で、ドアに背を預けて膝を抱えていた。他に隠れられそうな場所がなかったからだ。
廊下につながるドアには外側から鍵をかけられている。窓の鉄格子を外そうと力任せに揺さぶるのはもう試したし、室内にある椅子やら何やらを鉄格子にぶつけるのも実証済みだ。この部屋に鉄格子を壊せるものはない。
(どうかこのまま、あの男が来ませんように)
そんな願いもむなしく、運命の時がついに来た。
「おい、どこにいる」
ドアが開く。アーテを探す男の声。心臓が飛び跳ねる。アーテは必死に口元を押さえて声を殺した。ばくばくと激しく脈動する心臓の音を聞き取られたら気づかれてしまう。静かに静かに、気配を悟られないようにしないと。
「きゃあっ!?」
「そこか。あまり余をじらすな」
けれどその抵抗も、浴室のドアを叩かれたことで無に帰した。緊張が頂点に達して心臓が爆発する。マガツトの王、ヴァルデシウスの声音は憎らしいほどに冷徹だった。
「やだっ、来ないで! 来ないでください!」
「何を拒むことがある。お前はこれから至上の栄誉を賜れるのだぞ?」
浴室のドアに鍵はない。アーテはドアノブを固く握りしめてドアに体重をかけたが、向こう側から伝わってくる大きな力に耐えきれない。よろめいたと思った瞬間、あっという間にドアを開けられてしまった。それなのに男はドアノブに触れてもいない。魔法の力だろう。
「やめて……やめてくださいよぉ……。なんでこんなことするんですか……」
アーテを見下ろす異民族の皇帝は美しくもおぞましい。えぐえぐとしゃくりあげるアーテを見て、ヴァルデシウスは嗜虐的に唇を歪めた。
「そう怖がらなくてもいい。どうせすぐに善くなる」
「怖がってなんか……!」
「フフ、まだ意地を張るか。いいぞ、ますます気に入った」
目元をぐしぐしぬぐうアーテだったが、ヴァルデシウスはそんな彼女をひょいと抱きかかえた。ヴァルデシウスは長身で、胸板は思っていたよりたくましい。がっしりした腕に囚われて、恐怖のあまり身動きが取れなくなる。
(ロカに抱きしめられた時は、あんなに安心できたのに……)
喉がつまる。声が出ない。男女の体格差がもたらす本当の恐ろしさを実感し、アーテの顔から血の気が引いていく。そのままアーテはベッドの上に放られた。
「エミュリエンヌのように最初から従順でもつまらんからな、二匹目は趣向を変えてみたのだ。さあ、泣きわめくなり暴れるなり、好きに抵抗してみせるといい。謁見の間で余を睨みつけた蛮勇、よもや潰えたとは言わないだろう?」
ヴァルデシウスは自分の衣を脱ぎ捨てる。年頃の異性の裸体を初めて目にしたアーテの口から悲鳴が漏れた。アーテの夜着も脱がせようと、彼の手が迫ってくる。
どうにかして逃れようと、アーテはベッドから転がり落ちた。腰が抜けてうまく立てない。ベッドサイドテーブルを支えにして立ち上がる。手が机上に置かれた何かに触れた。
「来ないでって言ってるでしょ!」
アーテは無我夢中でそれを取り、ヴァルデシウスに向かって投げつける。それはエミュリエンヌが飾ってくれた花瓶だった。
花瓶は美しい軌道を描き、吸い込まれるようにしてヴァルデシウスの額に直撃する。血の通っていなさそうな白すぎる肌でも、ちゃんと赤い血が流れているらしい。
けれど彼から流れる赤色を認識する余裕などアーテにはなかった。主人を傷つけた奴隷への罰が与えられていたからだ。全身に壮絶な痛みが走る。絶叫しながら床の上にくずおれてのたうち回る彼女を見て、ヴァルデシウスは愉快そうに目を細めた。
「余に血を流させるとはな。面白いメスだ。気に入った」
痛みの余波を引きずってびくびくとけいれんするアーテを、ヴァルデシウスは軽々と抱き上げた。
夜着を剥いで秘所を暴く。ヴァルデシウスは舌なめずりをしてアーテの頬を叩いた。乾いた音が大きく響く。我に返ったアーテは泣きながら救いを求めたが、それが聞き届けられることはなかった。
「アーテリンデ。自分が誰の所有物なのか、その頭によく刻みつけておけ」
ヴァルデシウスは邪魔な花瓶を押しのける。花瓶はベッドの上を転がった。可憐な少女のようだったレフノースクも、雑に扱われたせいで花茎が折れて一輪だけ花が離れていく。みじめな白い花がぽとんと床に落ちた。
やがて花瓶は落下する。花瓶が割れて、破片と花束が辺りに散らばった。




