第七話 早めの朝食
翌朝、太陽が昇るより早くアーテは目を覚ました。パンだけでは足りないとお腹が訴えるせいだ。
(何か食べられる物を探してきましょう……)
これ以上は耐えられない。アーテは静かに部屋を出た。屋敷の中は薄暗く、静寂に包まれている。
どこに何があるのかよくわかっていないので、隣の部屋から順番にドアを開けてみることにした。
他に三つある部屋のうち二つが空室で、部屋の作りはアーテが最初に選んだ部屋と同じようなものだった。最後の一つは鍵がかかっていたので入るのを諦める。二階に食べられる物はないようだ。
アーテは一階に降りた。エミュの部屋はわかっているので飛ばすことにして、ドアはあと二つだ。二階への階段から一番近いドアを開ける。そこは居間のようだった。手入れが行き届いているが、今探しているのはこれではない。
次に、エミュの部屋があった廊下とは反対側に伸びる廊下の奥の部屋。大きな白いテーブルが置いてあり、それを囲むように椅子がある。部屋の隅にはまた別のドアがあった。テーブルには燭台や、果物の入った籠が置いてある。食堂に違いない。
籠の中の果物をいくつか拝借し、アーテは奥のドアを開けた。そこは厨房だったのだが、残念なことに設備の使い方がよくわからない。かまども暖炉も効果こそわかるのだが、里で見慣れていたものとは仕組みが違うようだ。
「火を使わないで食べられるもののほうがいいかな?」
丸かじりできずに剥いた果物の皮と種をごみ箱に捨て、アーテは改めて周りを見渡した。いくつも棚があるが、食器やら銀色の筒やらばかりでどれが食べられるものなのかよくわからない。
地下に行く階段があったので下に降りると、今度はドアが左右に二つあった。右のドアは貯蔵庫のようで、少しひんやりしている。野菜や肉がたくさんあった。魚と乳製品もある。
「アンタ、そこで何してるんだい?」
ドアを開け、名前も知らない果物を頬張ったまま早速貯蔵庫を物色しようとしたアーテは、背後から聞こえてきた声に驚いて振り返った。左のドアも開いていて、エミュの召使いが立っている。
「なんで昨日の恰好のままなのさ。そんな小汚いナリで食べ物に触るんじゃないよ」
彼女の言葉は問題なく伝わるが、昨日より少し聞き取りづらくなっている気がする。口調が刺々しいのはわかるが、アーテに怒っているのか、それとも呆れているのかよくわからない。
「ご、ごめんなさい。お腹が空いたので、朝ご飯を作ろうと思って」
答えると、召使いは大げさなため息をついた。
「それで早起きして果物までつまみ食いしてたのかい。まったく、卑しい子だこと。ほら、作ってやるからその間に着替えてきな」
「でもわたし、服、これしか持ってません」
「そんなわけないだろ。アンタの召使いが持っていったんじゃないのかい?」
「パンしかもらってないですけど……」
「パン?」
「はい。二つです。堅いやつ。あと、お水ももらいました」
すると、彼女の顔がみるみる険しくなっていく。
「これでも食べながら食堂で待ってな。籠の果物、他にも食べたいものがあれば勝手につまんでるんだね」
召使いは棚の奥から瓶詰めのクラッカーと新品のジャム、それからチーズの塊を取り出してアーテに押しつける。勢いに飲まれ、アーテはこくりと頷いた。それから召使いは入口の隅に置いてあった木箱から何かの瓶を持ち出して厨房に行く。瓶の中身は白い液体だったので、もしかしたらミルクかもしれない。アーテも慌ててついていった。
「そのチーズはナイフでこうやって、食べる分だけ切り分けるんだ。ジャムはこのスプーンですくって取ること。じかに口をつけたら承知しないよ」
「は、はい」
国なしだってそれぐらいは知っている。けれど口答えできる雰囲気ではないので、アーテはおとなしく頷いた。皿も持たされ、「春先の明け方はまだ寒いからね。ミルクを温めてやるから座ってな」と厨房を追い出される。そわそわしながら食堂の椅子に座って待っていると、すぐに召使いが来た。陶器のミルク差しとマグを持っている。
「一応ぬるくしておいてやったけど、舌を火傷したって知らないよ。せいぜい気をつけな」
「あっ、ありがとうございます……ええと」
「メグリムでいい。アンタは確かアーテリンデだっけ」
「はい。ありがとうございます、メグリムさん」
アーテリンデではなくアーテだと訂正したい衝動にかられたが、ややこしいことになりそうだったので飲み込んでおく。メグリムはそのまま食堂を出ていった。
メグリムに言われた通り、アーテはクラッカーにジャムとチーズをたっぷり載せる。それから人肌に温められたミルクにふーふーと息を吹きかけ、ゆっくりと口に運んだ。ハチミツを混ぜてあるのかほのかに甘い。
「……お母さん」
けれど何故か、少しだけしょっぱかった。
それから十分ほど経ってメグリムが戻ってきた。
「アーテリンデ、アンタの部屋は二階の左端でよかったかい? あの小娘が猫ばばしたドレスはちゃんと取り返して部屋に運ばせたから。朝メシを食べたらちゃんと着替えてくるんだよ」
「ドレスですか? わたしには必要ないと思うんですが」
「ふざけたことを言うのはおよし。自分が皇帝陛下の所有物だって自覚を持ちな。確かに寵姫だなんて名ばかりの立場だけどね、舐められっぱなしはいやだろう。アンタもエミュリエンヌ様ぐらい偉ぶればいいのさ」
あの小娘はアタシが代わりに叱っといたけどアンタからもガツンと言ってやりなよ、とメグリムは言う。どうやらモニータが本来アーテの物になるはずだったものを横取りしたようだが、その程度で怒りなどは特に湧かなかった。だってアーテには、それが自分の物だとはどうしても思えないからだ。
モニータだろうがメグリムだろうが、勝手に好きなだけ持っていけばいいとさえ感じる。けれどメグリムが自分のために怒ってくれているというのはなんとなく察したので、アーテはそれ以上何も言わなかった。
厨房に引っ込んだメグリムはサラダとベーコンエッグ、それからコーンスープを持ってきた。二人分ある。メグリムもここで一緒に朝食を食べるらしい。
「美味しそう……! メグリムさん、作ってくれてありがとうございます」
「アンタの分はただのついでだよ。まかないを作るのなんて一人分も二人分も変わりゃしないんだから」
メグリムはそっけないが、彼女が作ってくれた料理を美味しそうだと思ったのも、用意してくれたことに感謝しているのもアーテの本心だ。
この国に来てからろくな物を食べられていなかったので、目の前の朝食がとてつもないご馳走に見える。けれど残念なことに、サラダにだけは細かく千切られた例の灰色の謎団子がちりばめられていた。
「これ、食べないと駄目ですか?」
「当たり前だろ。灰豆団子を一日一回食べないと、翻訳魔法が消えちまうんだから。そろそろ魔法の効果が切れかけてるんじゃないのかい?」
メグリムは自分の分の謎団子もとい灰豆団子を、葉野菜と一緒にもりもり食べている。抵抗感はないようだ。
どうやらメグリムの声が聞き取りづらいのは、魔法が消えかかっているかららしい。スプーンでかき集めた灰豆団子を一思いに口に含んでミルクで流し込むと、彼女の言葉が一気に明瞭になった。
「食べ終わったらさっさと行きな。アタシはこれからエミュリエンヌ様のための朝メシを作らないといけないんだから」
「はぁい。あ、じゃあ時間のある時に、かまどの使い方とか教えてくれませんか? わたし、自分のことは自分でしたいので」
「……ああ、だからあの小娘、わけのわからないことを言ってたのか。使用人部屋にも来ないと思ったら寝室を勝手に使ってるし。ったく、どっちが召使いなんだか」
メグリムはため息をついた。彼女は何か言おうとしたが、少し視線をさまよわせると諦め気味に首を横に振る。
「アンタの好きにすりゃいいけどね。アタシの仕事の邪魔をするんじゃないよ」
アーテは頷き、食事を再開する。温かいものを食べられるのが嬉しかった。
(メグリムさんは、わたし達のごはんのことを『エサ』って言いません。……最初は怖くて嫌な人かと思ったけど、もしかしていい人なのかも)
また眠気が押し寄せてくる。重くなるまぶたと戦いながら、アーテはもぐもぐと口を動かした。
「鼻垂れのガキでもあるまいに、食べながら寝るんじゃないよ!」
ちゃんと灰豆団子を食べたのに、メグリムの叱責がぼやけて聞こえる。何故だろう。ふわふわした頭では、うまく思考がまとまらない。お腹がすっかり満たされたせいで、いつの間にかアーテはテーブルに突っ伏していた。
「国なしって言ってもただの子供なんだねぇ。コイツもエミュリエンヌ様も。……なんであんな目に遭わされなきゃいけないのさ」
メグリムは憎らしげに吐き捨てる。嫌悪と怨嗟に満ちたその呟きを拾う者はいなかった。




