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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第一章

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第五話 一番目の寵姫

 立派な城は広大な敷地の中に建っていた。歩くだけでめまいがしてくる。外に出て庭園を少し歩くと、これまた大きな二階建ての屋敷が建っていた。

 アーテの知る中で一番大きい建物と言えば神殿だが、それとは比べ物にもならない豪華な離れの屋敷を前にして、目が思わず点になる。当然城よりはだいぶ小さいし、実のところ聖ドラクレイユ帝国における王侯貴族の基準で言えばそこそこ手狭なほうなのだが、森の中のツリーハウスしか知らないアーテはこんな大きな家など見たことがなかったのだ。


「ここは……」

「プリゼイル宮だ。今日からお前の家になる。召使いが一人か二人つくだろう。夜までにはよこされるはずだ。エミュリエンヌという名前のメス・・が棲んでいるから、それまでにわからないことがあったらソレに聞け」


 アーテをここまで連れてきた、ヴァルデシウスの従者の一人がつっけんどんに答える。他の従者もアーテを軽んじているというのは態度でわかった。彼らにとってアーテは人間以下の奴隷なので、仕方のないことなのだが。


(エミュ……エミュリ……エンヌ? という人も、わたしと同じ奴隷なんでしょうか。扱いが雑みたいですし。ハフリトらしくない、聞き慣れない名前ですけど、わたしみたいに余計なものを付け足されたのかも)

「皇帝陛下のお許しがない限り、プリゼイル宮の敷地外に出ることはできない。お前が自由に呼吸できるのは、あの屋敷の中と、柵で囲ってある裏庭だけだ。エミュリエンヌとの縄張り争いは勝手にやっていろ」


 ハフリト同士でいちいち争うつもりはない。敵は他にいるのだから。心の中でそう呟いて、アーテは案内されるまま屋敷の中に入った。


「生活に最低限必要なものは用意される。それ以上が欲しければ、皇帝陛下にうまくねだるんだな」


 瀟洒な外観に偽りはなく、内装もかなり凝っていた。アーテの基準からするとかなり派手で、目がちかちかする。実際のところこの屋敷の調度品は皇宮で不要になったがらくたを集めてそれっぽく取り繕っているだけだったのだが、そんなことアーテには知るよしもない。


「おい、第一寵姫殿! お前の後輩が来たぞ!」


 玄関ホールで従者が声を張り上げる。ややあって、一階のどこかのドアが開く気配がした。


「あの、わたしはこれから何をさせられるんですか?」


 アーテの手枷を外すなり従者達は帰ろうとしたので、慌てて声をかける。すると彼らは無言のまま下卑た笑みを浮かべた。答えないままさっさと行ってしまい、玄関のドアが無情に閉められる。


「また国なしが増えたのか。アタシゃエミュリエンヌ様の世話で手いっぱいなんだから、あんたの面倒は見てられないよ。自分のことは自分でやるか、自分の召使いに頼むんだね」


 代わりに、奥の部屋から地味な服を着た中年女性がやってきた。尖った長耳と、片方の耳にぶら下がる板。物言いからしてトツヒトのほうだ。アーテと同じ奴隷のようだが、板の色が違う。アーテの板は鈍く光る重苦しい灰色だが、この中年女性の板は光沢のある赤褐色だ。


「えっと、あなたは」

「天舞う太陽の御子ヴァルデシウス皇帝陛下、その第一寵姫サマの召使いだよ」


 中年の召使いは嘲笑を浮かべた。彼女は身分を自虐しているのではなく、主人たる第一寵姫を嘲っているのかもしれない。

 それに不快感を覚えるが、噛みつくほどの元気もなかった。トツヒトによるハフリト差別はよくあることだ。それに今は彼女より、マガツト達の態度のほうがよっぽど腹に据えかねている。


「アンタは二階の寝室を好きに使いな。一階の寝室はエミュリエンヌ様のものだから」

「二階ですね。わかりました。……あの、先にエミュ……エミュリエンヌ様に挨拶したいんですけど」


 召使いは鼻を鳴らし、「ついてきな」と顎をしゃくる。アーテは粛々と従った。


「エミュリエンヌ様、新しい寵姫をお連れしました」


 さすがに仕えている主人の前では彼女も態度を弁えるらしい。だが、どこか見下すような雰囲気はそのままだ。召使いは乱雑にドアをノックし、返事が返ってくるより前にドアを開けた。


(綺麗な人……!)


 部屋の中には、二十代半ばの女性がいた。緩くうねったはしばみ色の髪と、気品を感じるすっと通った高い鼻。垂れ目がちの瞳は艶っぽく濡れている。同性のアーテさえ思わず息を飲んでしまうような、大人びた美女だ。ただ無防備にソファに腰掛けているだけなのに、ついどきどきしてしまう。


「そう。ついに陛下は、寵姫を増やすことにしたのね」


 アーテを見たエミュリエンヌは悲しげに眉根を寄せる。粗暴な召使いを手だけで追い払うと、彼女はアーテにソファへ座るよう勧めた。エミュリエンヌが動くと、片耳にぶら下がった灰色の板もかすかに揺れる。


(あれ? この人、妊娠してる?)


 心なしかエミュリエンヌのお腹がふっくらとしている気がする。着ている飾り気のないワンピースもゆったりしたものだ。けれど名乗りもしないであまりじろじろ見るのも失礼な気がして、アーテは慌てて居住まいを正した。


「はっ、初めまして。アーテです。アーテリンデだって言われましたけど。あなたがエミュリエンヌ様です……よね?」

「エミュと呼んでちょうだい。わたくしもあなたをアーテと呼ぶから。……名前の響きからして、月の氏族の子ね? カンナビはどの辺りかしら」

「はい。わたしのカンナビはネイカ大森林で、西ノ三ノ里に住んでいました。エミュ様は、砂の氏族の方でしょうか」


 やっと話が通じる人が現れた。堂々と会話できる喜びから、アーテの表情がぱっと華やぐ。エミュも柔らかく微笑んだ。


「そうよ。わたくしの父は砂の氏族の長なの」

「お、お姫様!? ごめんなさい、わたし、知らなくて」

「そうかしこまらないで。あなたがわたくしを知らないのも無理はないわ。わたくしが住んでいたキィンソー平原とネイカ大森林はすごく遠いもの」


 カンナビの中には小さな里がいくつかある。里の一つ一つにまとめ役の長老がいて、長老達がカンナビの自治を行っているが、族長といえばそれよりさらに偉い人だ。何年かに一度、お祭りの日に遠くのカンナビからやってくるので、月の氏族の族長はアーテも見たことがあった。

 そういえば五年ほど前に、砂の氏族の長が住む里がマガツトに襲われたと小耳に挟んだことがあった。その後どうなったのかはよく知らなかったが、まさか氏族の姫でさえも奴隷扱いを受けているとは。


「もしかしてエミュ様は、五年間もここに?」


 思わず声が上ずった。エミュはなんてことないように頷いたが、五年という歳月はアーテにはとても長いもののように感じられた。


「妊娠なさってるのに、奴隷のままでいさせられるなんてひどすぎます。……あれ? でも、五年ここにいるなら、その子って……」

「皇帝陛下の子に決まっているでしょう? わたくしはあの方の寵姫なのだから」


 エミュは当然のようにそう言って、膨らんだお腹を愛おしげに撫でた。その眼差しには慈愛が宿っている。


「え? えっと、あの男と結婚した、ってこと……ですか?」

「いいえ。それは違うわ。……ああ、そうよね。ハフリトには寵姫なんて概念、ないんですもの。わからないのも無理はないわ」

「……」

「謁見の間で選定を受けてきたでしょう? あの時皇帝陛下の隣に座っていたのが、ミルパメラ皇后陛下。ヴァルデシウス陛下の正妻よ」


 困惑するアーテを、エミュは責めることはなかった。優しく目元を和らげて丁寧に教えてくれようとする姿にロカが重なる。けれど心臓がきゅっと締まっていく気がして、愛しい面影を素直に喜べない。


「けれどドラクレイユ人の男は、妻以外の女とも親密な関係を持つの。法律的には何の意味もない立場だけれど。皇帝陛下のお傍に侍ること許された女を、この国では寵姫と呼ぶのよ。あなたもわたくしも、この国でもっとも尊いお方に選ばれたの」

「本気で……本気でおっしゃってるんですか……?」


 アーテは茫然と呟いた。つい先ほどまで美しいと思っていた人が、一気にその形を変えていく。どろどろに溶け、意味のわからない言語を吐いた。彼女はもう、エミュではなくエミュリエンヌなのだろうか。五年の歳月が彼女を歪めたのだとしたら、いずれ自分もこうなってしまうのかもしれない。


「そんなこと言われても困ります! わたし恋人がいて、あの男のことなんて好きでも何でもないですし、なんで、なんでわたしが」

「恋人……!?」


 あたふたと言葉を重ねるアーテに、エミュはさっと顔を青ざめさせた。


「あなたには申し訳ないけれど、その人のことは諦めたほうがいいかもしれないわ。これからあなたにとってはすごくつらいことが起きるから。……その人のことを覚えていれば一時的な支えにはなるかもしれないけど、いつかきっと耐えきれなくなって壊れてしまうわよ。そうなるくらいなら、いっそ最初から忘れてしまったほうが……」


 その反応を見て確信する──エミュはまだ、正気を保っているのだと。だってそうでないのなら、アーテを気遣うわけがない。他のマガツトのように、幸福を謳いながら一方的に理不尽を押しつけてくる。


「ごめんなさい。あなたが寵姫に選ばれたのは、わたくしのせいかもしれないわ。身重のわたくしだと、陛下の本能・・を受け止めきれないから……」

「本能?」

「で、でもね、ここも悪いことばかりではないのよ。最低限の衣食住は保証されているし、ここに来る男は皇帝陛下だけだもの」


 エミュはすぐに話をそらし、わざとらしいぐらい明るい声を出した。けれどアーテの表情は晴れない。そんなことを言われたって、それでどうして安心できるというのだろう。


「それに、考えてもごらんなさい。マガツトの頂点に立つお方に愛されることができれば、マガツトを掌握したも同然なのよ」


 彼女はそう言うが、自分にそんな器用な立ち回りができるとは思えない。氏族の姫君であるエミュならできるのかもしれないが。


「わたくしは寵姫として陛下の御子まで宿したわ。その見返りに、砂の氏族の保護を頼んだの。今はまだ砂の氏族だけだけれど、ゆくゆくは残りの二つの氏族も守れるようになるでしょう。ハフリトが迫害されない時代に至る鍵は、わたくし達が握っているのよ」

「……え?」

「わたくし達はこれから『同志』よ、アーテ。皇帝陛下に具申できるハフリトはわたくし達だけだもの。わたくし達にしかできない戦い方で、平和のために一緒に戦っていきましょうね」


 エミュは心の底から嬉しそうだ。彼女もロカと同じように、未来のために今できることを精一杯やりながら生きているのかもしれない。けれど何かが引っかかる。


(攫われてからずっと閉じ込められていたあの部屋……砂の氏族の人、いましたよね?)


 ここに連れてこられるまでずっといた、あの揺れる部屋。きちんと会話したわけではないのでうろ覚えだが、砂の氏族の伝統的な刺繍が施された服を着ていた女性達がいた気がする。アーテと同じくネイカ大森林にある里の住人だろう。確か、南ノ一の里に砂の氏族が住んでいたはずだ。


「でも、わたしと一緒に連れてこられた奴隷の中に、砂の氏族の人がいたんですけど……」

「ならきっとその人達は、間違って連れてこられてしまったのね。今はもう解放されているはずよ」


 エミュは微笑んだままそう言った。アーテを安心させるように。あるいは、自分に言い聞かせるように。


 里を破壊され、同胞を虐殺されて、『間違っていた』で済むわけがない。その状態で解放されたって、憎悪の炎は消えないのだ。それぐらいアーテでもわかる。


(やっぱりこの方はもう、どこか壊れてしまっているのかも……。多分、ここでの暮らしから自分を守るために……)


 一見するとそうは見えない。エミュはしっかりと前を見ているし、話し方も明朗だ。けれど優雅さを失わないその姿が、逆に痛々しく映った。


「ここに来たばかりで疲れたでしょう? 夕食までまだ時間があるから、部屋で休んでいるといいわ」

「……はい。そうします」


 アーテは深々とおじぎをする。これから自分がどんな目に遭うのか、もう考えたくもなかった。

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