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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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第四十七話 悪夢

(眠れない……)


 ふかふかのベッドの上で、アーテは悶々としながら目を開けた。


 すでに日付が変わるほど夜は更けているというのに、やけに目が冴えて仕方ない。きっと、さも当然のように隣で寝ているヴァルデシウスのせいだ。


 彼と同衾する時はいつも疲れ果てて意識を手離すように眠っている。

 さすがにこの二日間は病み上がりのアーテを気遣ってか手は出されていなかったが、素面しらふの時に恐怖の象徴が隣にいては眠るどころの話ではなかった。


(なんでこの人、わざわざここで寝るんでしょう。自分の部屋に行けばいいのに)


 ヴァルデシウスに背中を向けたまま、アーテは心の中で呟く。身動きせず黙っていれば人形のように美しい青年だが、アーテがその生気を感じないあやしげな美貌に価値を見出みいだすことはなかった。


(せめてプリゼイル宮に戻らせてほしいです。なんで皇宮なんかにいなきゃいけないんですか)


 二日前の昼食の時にモニータに毒を盛られてから、アーテはずっと皇宮の客室に閉じ込められている。


 メグリムや先生が恋しい。ヴァルデシウス以外の人がこの部屋に来ることはなく、アーテから会うのも禁じられていた。かいがいしく世話を焼こうとするヴァルデシウスがうっとうしくて仕方ない。


 ヴァルデシウスがアーテから離れないのも、プリゼイル宮に帰してもらえないのも、アーテを危険から遠ざけたいヴァルデシウスによるものだ。

 だが、アーテにその意図は伝わっていなかったし、仮に伝わっていたとしても余計なお世話としか思えなかった。

 奴隷のアーテがヴァルデシウスから寵愛を受けることを快く思わない者の差し金でモニータが凶行に走ったのなら、アーテが命を狙われた元凶はヴァルデシウスだからだ。


 大嫌いなヴァルデシウスに守られたって嬉しくないし、その立場に甘んじていたくなかった。


(でもいいです。ロカが助けに来てくれるまでの辛抱ですから。星流しが始まれば、今度こそロカと帰れます。プリゼイル宮じゃない、わたしの本当の帰るべきところに)


 愛しい故郷を思い浮かべる。だが、記憶の中の美しい森林はたちまち燃えていき、血と死で塗りつぶされた。

 自然は優美で強靭だ。どれだけ踏み荒らされようと、長い年月をかけて再び森へと生まれ変わる。しかし、失った木々が生き返ることはない。


 いつか景色が元通りになったとして、家族も友人もいないその場所は本当に同じ故郷だと言えるだろうか。


(だけど、わたしにはロカがいます。ロカがいれば、どこだって……)


 早くロカに会いたい。きっとすぐにまた会える。その願いを叶えるために多くの命が失われてしまうのだとしても、愛と自由に焦がれる心はもう止められなかった。


 アーテは静かにベッドから降りる。バルコニーへと出られるはずの大きな窓には魔法で鍵がかかっていたが、カーテンを開ければ夜空を見ることに支障はない。浮かぶ月は線のように細く頼りなかったが、冴えた輝きは変わらなかった。


「月神様、月神様。昨日はわたし達を守ってくれてありがとうございました。今日もわたし達をお守りください」


 アーテは跪いて神に祈りを捧げる。


「それから、ロカが危ない目に遭わないように、どうか月神様の力をお貸しください。何があっても、ロカが無事でいてくれますように……」

「何をしている?」


 静謐な祈りに応えるのは優しい月の神ではない。自らを神のごとき存在だと自認する傲慢な竜の王だ。


「異教の蛮神への祈りか。この世におわす神は我らの太陽だけだというのに。お前も改宗したらどうだ」

「……わたし達にも炎神様たいようを崇める氏族はいたんですよ。二百年前に、あなた達に滅ぼされてしまいましたけど」


 大陸の東側で暮らしていた炎の氏族は、太陽神を騙る悪魔を崇める邪教徒達としてまずまっさきにドラクレイユ人の犠牲になった。唯一の神を信仰する彼らにとって、異教徒の虐殺にはそれ以上の理由はいらなかったのだろう。


「わたしがどんな神様を信じようと自由でしょ? あなたに指図される筋合いはありません。寝つけない時の過ごし方にまで文句をつけないでください」

「眠れないのか?」

「あなたがそこにいるせいで、ちっとも眠くならないんです」


 ヴァルデシウスはのそのそと起き上がり、薄い上着をアーテに羽織らせた。

 アーテがそれを突き返すより早く、背中からのしかかられるように抱きしめられる。振りほどこうとアーテは身をよじるが、ずっしりと伝わる重みのせいでびくともしない。


「お前と夫婦めおとになって、片田舎の農村で暮らす夢を見た」

「寝ぼけてるんですか。離れてください」


 アーテは刺々しく応じるが、それでもヴァルデシウスは動じない。


「平凡で、単調で……だが、幸せな夢だった。手に入ることはないと諦めたはずのすべてがそこにあったのだ」


 回された腕に力がこもる。絶対に離さないとでも言うように。


「なあ、お願いだ、アーテリンデ。どうかあの夢想を、現実にしてはくれないか。強がってはみたものの、やはり余はお前の赦しが欲しいのだ……」

「……あなたが見た幸せな夢みたいな人生を、現実で送っていた人はたくさんいました。だけどあなたは……あなた達ドラクレイユ人は、その人達から幸せを奪ったんです」

「……」

「自分が幸せだと感じることなら、それは他の人にとっても幸せだって感じることかもしれません。あなた達はわたし達を家畜だってばかにしてきたけど、わたし達だって生きてるんですよ。それなのに、あなた達はわたし達をないがしろにしすぎました」


 ありきたりで、退屈で、けれど尊い命の営み。エルファース人の人生は、ドラクレイユ人に消費されるためのものではない。 


「赦してほしいって言うけど、なんでですか? わたしがあなたを赦してもいいって思えるようなこと、あなたはなんにもしてないでしょう?」


 凍てついた冬の月のように冷ややかな目でアーテは言葉を続ける。 


「あなたが心からわたしに謝ってくれたこと、一度でもありました? あなたはただ、自分の罪悪感を軽くしたいだけに見えます。それか、ただの自己満足。自分を正当化したくて、あなたはわたしに赦すことを強要してるんじゃないですか?」

「……ああ、そうだ。アーテリンデ、何もかもお前の言う通りだとも」


 それだけ答えてヴァルデシウスは押し黙った。けれどすぐに高らかに笑い出す。


「冗談だ。お前のその、嫌悪に満ちた声音で紡がれる青い正論を引き出したくてな」


 やっとヴァルデシウスはアーテから離れた。解放されて、アーテはよろよろと立ち上がる。


「それだけ大きな口を叩けるのなら、もう調子は戻ったようだな。さて、お前の命の恩人に、何か言うべきことがあるのではないか?」

「じゃあプリゼイル宮に帰してください。メグリムさんにお礼を言わないといけませんから」

「誰だそれは。恩人とは余のことに決まっているだろう。毒に侵されたお前に解毒魔法を使ってやったのは余なのだぞ」


 ヴァルデシウスはアーテの手を引いた。嫌がるアーテに構わずに、ヴァルデシウスはアーテをベッドの上に放る。


「きゃっ!」


 バランスを崩して倒れ込む華奢な体をふわふわのシーツが受け止めた。すぐにぬっと大きな影が落ちてくる。


「言葉にできぬというのなら、態度で示してもらっても構わんが?」

「……そういうところ、大嫌い。本当に自己中でどうしようもない人ですね」


 胸元をはだけさせて迫るヴァルデシウスから涙のにじむ目をそらし、アーテは唇を噛んだ。アーテに覆い被さるヴァルデシウスは、気にも留めずにアーテの首筋を舌先で撫でる。

 怖気おぞけに屈したアーテが身悶えしながら悲鳴を上げるのを、ヴァルデシウスは愉悦に満ちた目で見下ろしていた。


(せっかくロカと会えたんだから、こんなところで死にたくはありません。でも、よりにもよってこの男に助けてもらったっていうのは最悪です……)


 怒りと屈辱に心をかれながら、アーテはぎゅっと目を閉じた。どうかこの悪い夢が、一刻も早く覚めてくれますように。

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