第四十六話 太陽竜の堕とし方
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(アーテさんの暗殺をたくらんだのは宰相か元帥か、それともどこぞの貴族達か。いずれにせよ、もう脅威にはなるまい。次の矢を打つまでほとぼりを覚ましているうちに、ドラクレイユ人の時代は終わるのだから)
一切の残業をすることなく今日の仕事をすべて片付けたノイシンは、軽い足取りで法務長官室を出た。
法務長官であるノイシンの職務は、帝室や議会の意向に法の観点から口出しすることだ。
あの横暴なドラクレイユ人相手であろうとも、中立かつ公平な立場で意見できるこの地位をノイシンは気に入っていた。そんな立場になるためにこれまで努力を重ねてきたとも言える。
だが、ドラクレイユ人が築き上げた秩序が崩れ落ちようとしている今、現状に固執する必要はもはやなかった。
(アーテさんの宝飾品が盗まれていたのは予想外だったが、私に火の粉が飛ぶこともないだろう。むしろ、私とアーテさんの共謀のいい目くらましになってくれた)
アーテに毒を飲ませようとしたモニータという奴隷は、大逆罪を適用されて処刑されることになった。
アーテをそそのかした罪が皇帝ヴァルデシウスに知られれば、きっとノイシンも反逆者として残虐に殺されるだろう。そうなる前に、なんとしてでも革命を成功させてもらわなければ。
ノイシンが単身で暮らている古ぼけたアパートメントの向かいの塀に、少年が寄りかかっている。少年はノイシンに気づくと軽く頭を下げ、エントランスのドアを開けるノイシンに続いた。
「軍部を壊滅させるとは、さすがの手腕ですね」
自室へと至る階段は軋みがひどい。その音に声を紛れ込ませ、ノイシンは含み笑いを浮かべた。
「色々な要素がうまく噛み合っただけですよ」
少年、ロカは驕る様子もなくそう言ってのける。彼が見据える大局の前では、どんな偉大な一歩も嵌めて当然のピースなのだろう。
「それよりアーテは? 今、どうしています?」
「そのことなのですが、宮廷でちょっとした事件がありまして。現在はプリゼイル宮ではなく、皇宮にとどまっています」
暗殺未遂事件のことをかいつまんで話すと、ロカは苦い顔をした。
「あいつが危ない目に遭ったっていうのに、また僕は何もできなかったのか……」
「そう自分を責めないでください。貴方には貴方のやるべきことがあり、それを成し遂げてきたでしょう? 宮廷に残ることを選んだのもアーテさんです。責めるのであれば自分自身ではなく、大切な人質を守れなかった私のことにしなさい」
自室に辿り着いたノイシンはそのドアを開けてロカを招き入れた。ロカは小さな声でお礼を言う。
ロカのために冷えたミルクとクッキーを用意してやり、解放軍の現状を聞く。
決行は明日、国内の混乱が収まらないうちに。『落暉の嚆矢』のメンバーはすでに各地に散っていて、帝都にも潜伏している。星魂花の株を国中に植える手はずは整っていた。何もかもが順調のようだ。
「閣下にどうしてもお願いしたいことがあります。レアさんのお姉さんが産んだ皇子がいるでしょう? その子を安全な場所で匿っておいてもらえませんか」
「……それはつまり、私にフレドラーク皇子殿下を誘拐しろ、と?」
「ありていに言えばそうなります。ヘラ様に協力してもらって、花粉からも身を守れる赤ちゃん用の防護服を作ってきました」
ロカは小包を差し出す。
開封すると、フードのついたおくるみが出てきた。つるつるした虫の糸を編んで作ったようで、付着した花粉も払い落としやすくなっている。これなら赤ん坊の全身を覆えるだろう。
「赤ちゃんの体調を考えるとあまり長い時間着せてはおけませんが、外を少し移動するぐらいなら十分身を守れるはずです」
「これを着せた皇子殿下を、星流しの間も種が落ちてこないような場所にお連れすればいいんですね」
ロカは頷く。ノイシンはやれやれとため息をついた。
(面倒事が増えてしまった。まあ、未来の英雄に貸しを作れると思えば仕方ない。どのみちヘラの名前を出されれば、私には断れないしな)
可愛い三人の子供達、そして最愛の妻。デーネンで暮らす家族は、ノイシンの唯一と言っていい弱点だ。
長男のディアは表向きこそ先帝の落胤ということになっているが、本当はノイシンとヘラの間に生まれた正真正銘の実子だった。
世界一大切な妻との間にもうけた愛しい我が子達を、ノイシンは分け隔てなく可愛がっている。イード夫妻からの愛情を一身に受けるディアのことも、デーネンの民は誰もドラクレイユ人の血を引く子供だと見なしていなかった。
「皇宮から皇子殿下が消えれば、宮廷はさらに混乱するでしょう。ですが、何も誘拐という形にこだわる必要はないはずです。赤子とはいえドラクレイユ人の正統な皇族の命を守ろうとする理由は何ですか?」
「牽制です。帝国を滅ぼした後、生き残ったドラクレイユ人を支配下に置くための」
ロカは曇りない眼差しで答えた。情に流されない、冷徹な指揮官がそこにいる。
「魔法なんてものを使える以上、ドラクレイユ人とエルファース人の本質的な力関係は変わらない。革命を成功させたところで、奴らに魔法で反撃されればたちまち僕達の時代は崩れてしまう。それをさせないための心理的な枷が皇子です。人質は丁重に扱わないと意味がないでしょう?」
海千山千の悪魔どもがひしめく宮廷を渡り歩いて数多くの謀略に触れてきたノイシンの背に冷や汗が伝う。悲劇によって開花した少年の才能が末恐ろしかったからだ。
「ドラクレイユ人の民族浄化を口にするのは簡単ですが、必ずどこかに禍根は残りますし、まだ生き残りがひそんでいるかもしれないと一生怯え続けることになる。だったら、牙も翼も鉤爪も、竜を竜たらしめる何もかもを失わせてただの蛇にして、狭い牢の中で飼い殺したほうがいいと思いませんか?」
同胞を殺された憎しみではなく、自分は生き残れたという優越を。ドラクレイユ人の選民意識を利用して、新時代での管理につなぐ。
星魂花による恐怖をドラクレイユ人に植えつけて、エルファース人に忠実な幼い皇子を傀儡の統治者に置く。
二度とエルファース人を傷つけられないように生き残り達を一か所に強制的に収容し、この外に出れば星魂花による死の危険があると思わせる。
その狭い牢獄こそがドラクレイユ人の新しい国だ、とロカは嗤った。
「驕り高ぶる竜は淘汰され、頭を垂れて地を這う蛇だけが僕達に管理されながら細々と生き延びることを許されるんです。生まれた時から自分達の先祖の罪を刷り込んでおけば、高慢なドラクレイユ人も少しはおとなしくなるでしょう」
(この少年は、生まれてくる国や時代を間違えたのかもしれない。……いや、ドラクレイユ人の圧政に苦しむこの時代に、迫害されるハフリトとして生を受けたからこそなのかもしれないが)
内心の恐れなどおくびにもださずにノイシンは微笑んだ。
「人々は世界を変える英雄の出現を待ち望んでいました。それこそがきっと貴方なのでしょうね」
「大げさですよ。どうしたんですか、急に」
「貴方の視座の高さに感銘を受けただけですよ。皇子殿下の保護は任せてください。ただ、あまり遠くに連れ出すのは難しいですから……」
ノイシンは少し考えこむ。有事の際に備えて用意していたいくつかの隠れ家が候補に浮かんだが、それよりもっとふさわしい場所を思いついた。隠れ家のほとんどは『落暉の嚆矢』の潜伏先として提供しているので、星魂花の影響が残っていそうで安全とは言いがたかったからだ。
「プリゼイル宮の地下にある使用人室で預かってもらいましょう。アーテさんと親しい召使いがいたはずです。事情を話せばきっと協力していただけるかと」
アーテは皇宮でヴァルデシウスの看病を受けているので、今のノイシンでは接触できない。話紙に気づかれて押収されなかったのは不幸中の幸いだが、連絡手段がなければどうしようもなかった。
本当はアーテからあのメグリムという召使いに頼んでもらえば確実だったのだが、ここは賭けに出るしかない。確かメグリムは元々エミュに仕えていたはずだ。エミュの息子でもある皇子を守ってくれる可能性は高いだろう。
「ありがとうございます、イード閣下。……宮廷に貴方のような人がいてくれて本当によかった」
「それはこちらの台詞ですよ、ロカ君」
少年はやっと年相応の、屈託のない笑顔を見せる。
とてもこれから大国を転覆させる戦いに臨むとは思えない、月のように穏やかで純粋な眼差しがそこにあった。
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