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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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第四十五話 恐怖の伝播

 ロコディーダに遠征中の軍人達が次々と奇病に倒れ、壊滅的な被害を受けた。

 その報告は、病床の軍人達を受け入れた各地の治療院から軍部へともたらされた。


 突如として軍用列走車内で流行した謎の病は勇猛な軍人達の命をあっという間に散らしていき、元帥ルンガルドですら帰らぬ人になってしまった。

 原因不明で治療方法もわからない新種の病気を前にして、治療院の人間達はとうとう匙を投げたという。誰もが感染を恐れ、ついには全面封鎖を選ぶ治療院も出たとか。


 しかしこの報告は、責任の追及を恐れた各治療院の責任者によって限界まで先延ばしにされていた。それに、報告を受け取るはずの軍事基地にも同じ病が蔓延して壊滅したところが続出したせいで、上層部にまで現地の様子はほとんど伝わっていなかった。

 そのため、帝国軍本部が謎の奇病の存在を知って宮廷にもそれが伝わったのは、最初の犠牲者が出てから三日経ってのことだった。


 ただ、そんな奇妙な大事件が起きたにもかかわらず、宮廷の反応は鈍かった。


 何故ならば、未知の奇病と軍部が壊滅に追い込まれたことを上回る不安と恐怖が、宮廷人達を襲っていたからだ。そのため、遠方で起きた不確かな話は後回しにされてしまっていた。


 それは二日前のこと。各地の治療院が軍人達の救護に追われる中、プリゼイル宮で起こった事件がきっかけだった。



 食卓についたアーテの前に、ダンッと勢いよくスープ皿が置かれる。


「何してんのぉ? とっとと飲みなさいよぉ!」

「えーっと……つ、作ってくれてありがとうございます」


 苛立った様子のモニータに、アーテは曖昧な笑顔を向けた。


 アーテの前に置かれた木のスープ皿には、とうもろこしのポタージュが並々と注がれている。握りこぶしほどの大きさの、薄く切られたパンが二つ添えられていた。


(急にお昼ごはんを作ってくれるっていうから驚いちゃった。こんなこと、今まで一度もなかったのに。どういう風の吹き回しなんでしょうか)


 アーテは首を傾げながらも木製のスプーンを手に取る。モニータは緊張した面持ちでじっとアーテを見ていた。


「ちなみにこれ、どうして作ってくれたんですか?」

「どうだっていいでしょぉ!」


 早く飲めとせっつくモニータには悪いが、そんなにじっと見つめられると食べづらい。


 アーテが視線をさまよわせると、ちょうどメグリムが食堂にやってきた。


「ちょっとアンタ、一人で厨房に籠もったと思ったらポタージュしか作ってないのかい? それだけじゃアーテリンデも足りないだろ」

「ババアは引っ込んでてぇ!」


 モニータの視線がメグリムに向かう。モニータの金切り声をメグリムは面倒そうにあしらった。


「ちょっと待ってな、アーテリンデ。何かささっとおかずを作ってきてやるから」

「あっ、わたしも手伝いますよ!」

「いいよ。ポタージュが冷めちまうだろ」


 それもそうか。理由はともかく、作ってくれた人がいる料理だ。粗末にするのももったいない。


 アーテは改めてポタージュを口に運んだ。少し味がとげとげしいが、飲み込めないほどでもない。アーテは文句を言わずに食べ進めた。



 ポタージュはあと半分ぐらいになって──そこから先の記憶はない。



 気がつくとベッドの上で、ヴァルデシウスに手を握られていた。無駄に豪奢なその部屋は、プリゼイル宮の自室の内装とは異なっている。


「よかった、目を覚ましたのだな!」

「……?」


 アーテは縋りついてくるヴァルデシウスを振り払おうとしたが、手足が痺れているような気がしてうまく動かせない。どうものしかかってくるヴァルデシウスの重みだけが理由ではなさそうだ。


「無理に動くな。解毒の魔法は施してあるが、体調が万全に戻るまでに多少の時間がかかるのだ」

「解毒って?」

「お前は昼餉ひるげのさなかに血を吐いて倒れたのだ。プリゼイル宮の召使いが半狂乱で皇宮に駆け込んでくるから何事かと思ったぞ」


 ヴァルデシウスは愛おしげに目を細めてアーテの頭を撫でた。


「あの中年の女奴隷はお前を背負ったまま、巨体で警備兵を次々と薙ぎ倒していったのだ。平時であれば厳罰を下すところだが、そのおかげでお前の命を助けられたのだから褒美を出してやらねばな」

「メグリムさんが、わたしを……」


 血を吐いて倒れた。その実感はないが、このだるさは毒のせいなのだろうか。


「若いほうの女奴隷は皇宮の敷地から逃げ出そうとしていたが、警備兵が捕らえたそうだ。今は尋問をしているだろう」

「わたし、モニータさんのポタージュを飲んで、その後のことはよく覚えてないんです」


 モニータに殺されかけた。その事実に心臓がキュッと縮こまる。


「まだ眠っていろ、アーテリンデ。お前が寝ている間に、憂いはすべて取り除いておく」

「でも、眠くなんて」


 反論は最後まで紡げない。ヴァルデシウスの大きな手が、アーテの真っ青な顔の上にかざされる。彼がそのまま何かを呟くと、まるで夢の世界から無数の手が伸びてくるかのようにアーテは眠りへと引きずり込まれた。


* * *


 皇帝ヴァルデシウスの最愛である、寵姫アーテリンデの殺害未遂。

 本来であれば、たかが奴隷を殺すことにドラクレイユ人は躊躇などしない。大した問題にはならないはずだった。


 しかし、皇宮においてアーテリンデは侮蔑の対象でありながら、不可侵の存在でもあった。ヴァルデシウスの庇護の傘が強力すぎるせいだ。


 皇后にしたいと言い出すほどヴァルデシウスを虜にし、ミルパメラさえ失脚させてみせたアーテリンデを目障りに……あるいは脅威に思う宮廷人は多い。ヴァルデシウスの寵愛は、本能のはけ口という言葉を超えていたからだ。


 だが、皇帝の怒りを買うのが恐ろしくて、誰もアーテリンデの直接的な排除には出られなかった。

 アーテリンデの身に何かあれば、ヴァルデシウスは必ず罪人を惨たらしく罰しようとするだろう。アーテを正式な皇后きさきにさせないことだけが、宮廷人にできる唯一の抗議だった。


 それなのに、アーテリンデがとうとう暗殺されかけた。

 下手人は彼女の召使いである女奴隷だが、誰も召使いが単独でやったなど思いはしない。裏に糸を引く何者かがいるはずだ。


 宮廷はたちまち疑心暗鬼に陥った。ある者はいかれる皇帝の裁きに巻き込まれないように身をひそめ、ある者は少しでも怪しい素振りを見せた者を贄として差し出すことで忠実な密告者として信用を勝ち取ろうとした。


 ヴァルデシウスの顔色をうかがい、黒幕探しに奔走する宮廷人は、国内とはいえ地方で起きた奇病の流行にまで気を回す余裕がなかった。

 ドラクレイユ人の強い選民思想と自己中心的な国民性が彼らの目を曇らせ、事態の深刻さを正しく認識させなかったのだ。


 結果、報告が入れ違ったり錯綜したりしたこともあり、大した被害ではないと判断されてしまった。


 連絡のつかない部隊もいるが、どうせすでにロコディーダに到着して蹂躙に夢中になっているのだろう、とお偉方は判断し、官僚達もそれにならう。

 この時点ですでに帝国軍の三分の二以上の機能が失われているなんて突拍子もない馬鹿げた話、誰一人として想像もしていなかった。

 


「あの女奴隷はいい加減首謀者の名前を吐いたか?」

「そ、それが、知らないの一点張りだそうで……」 


 執務室に呼び出された司法大臣は、冷や汗をぬぐいながら部下からの報告を読み上げる。ヴァルデシウスの凍てついた眼差しに晒されているだけで寿命が縮みそうだった。


「あの端女はしためは、陛下が寵姫に贈られた宝飾品の数々を不遜にも盗み出して売りさばいたようです。そのことで依頼主におどされ、寵姫の暗殺をいられたと申しております」

「供述に裏は取れたのか?」

「はい。帝室御用達商人がつけた購入証明書付きの宝石や、陛下が特注なさった装飾品などがある古物商の店に出回っておりました。店主に確認したところ、あの端女が持ち込んだ品で間違いありません。日常的にくすねていて、溜め込んでいた盗品を休暇日にまとめて売り飛ばしたようです」


 ヴァルデシウスの眉間に寄ったしわが深くなる。司法大臣は震え声で続けた。


「あの女は最初、寵姫に命じられて品々を売却したと申していたそうですが、もう一人の召使いからあの女の手癖の悪さに関する証言がありました。なんでも、初日に寵姫のドレスを盗もうとしたとか」

「アーテリンデに命じられたわけがない。売却がアーテリンデの意思なら、脅迫されたことをアーテリンデに相談できたはずだ」

「ちなみに……その、狂言暗殺の可能性についてはいかがお考えでしょうか? 売却の事実が陛下に露見するのを恐れた寵姫が、あの召使いに命令を……」

「アーテリンデがそんなことで命を張るわけがないだろう。余が魔法で癒していなければ、あの娘は本当に死んでいたのだぞ。仕込まれていた毒は、それほど危険なものだった」


 暗殺の黒幕探しの責任の所在をアーテに押しつけようとした司法大臣を、ヴァルデシウスは一睨みで黙らせた。


「アーテリンデは余からの施しを計算に入れない。余の愛を理由にして甘えはしないのだ。わざと死にかけてから解毒魔法で助けてもらおう、などと考えつくような頭はアレにはない」


 もしそうだったらどれだけいいか。だってそれは、彼女に頼ってもらえたということなのだから。

 たとえ歪んだ信用の形であれ、それはヴァルデシウスにとってはよろこびだ。だが、そうならないことはヴァルデシウス自身がよく知っていた。


「端女をおどした依頼主とやらの目星はまだついていないのか」

「は、はい。どうやら寵姫の私物の流出は、界隈で話題になっていたようです。件の古物商と懇意にしていた顧客や仲買人であれば知っていたものと思われます。古物商から売主である女奴隷の特徴を聞いた者を中心に、依頼主を調べておりますが……」


 司法大臣の歯切れは悪い。事件発生からまだ三日目で、それまでにできることはすべてやりつくしたのだが、そんなことを直接ヴァルデシウスに言い返せるわけがなかった。


「ただ、依頼主はあくまでも仲介役である可能性もあるため、真の犯人まで辿れるかどうかは……い、いえ、もちろん尽力いたしますが、もうしばらくお時間をいただければと」

「何よりも優先し、迅速に解決に当たれ」


 ヴァルデシウスの厳命に、司法大臣は震え声で返事をする。


「それと、捕らえた端女は明日にでも八つ裂きにしろ。聞き出せることがもうないなら生かしておく必要はない」

「御意!」


 この国では、賤民にも人権はある、ということになっている。たとえ奴隷であっても、銅の耳標をつけているのであれば人間扱いしてもらえると。


 けれどそれは、あくまでも最低限の保障があるというだけのことだ。


 竜の民の気まぐれ一つで、人の命は簡単に消し飛ぶ。


 それが、この赫灼かくしゃくたる太陽に照らされた不夜の大地の宿命だった。


 ──安息の夜の訪れを告げる一番星が輝くまで、あと一日。

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