第四十四話 破滅へと至る愛
ヴァルデシウスがプリゼイル宮で行った二週間に渡る籠城は、ロカ達解放軍が迎撃の準備を整えるのに最適な時間稼ぎになっていた。
皇帝からの進軍の許可が中々下りないのは嬉しい誤算だ。
もっとも、理由を知ってからのロカは荒れに荒れ、ヴァルデシウスをプリゼイル宮から引きずり出すようノイシンに協力を要請していたが。
ただ、先回りして布陣を敷けたとはいえ油断はできない。帝国軍は団体行動の輪を乱さないように軍用列走車を使っているだけで、その気になれば魔法で瞬間移動できるのだから。
「大将! 帝国軍の侵攻ルート、アンタの予想通りみたいだぜ。大将が言った通りの補給拠点を通りながら、ロコディーダに向かってる。進軍不能になって、途中の街に逃げ込みながらな」
ロカが侵攻ルートとして予想した街にひそませた、戦闘部隊の各小隊の隊長格から続々と届く話紙の連絡を取りまとめるのは部隊長のレアだ。
「だろうね。絶対服従の奴隷相手に、奴らが警戒心なんて持つわけないし」
ロカは不敵な笑みを浮かべた。帝国軍が補給地と定めている砦や荘園で働かされている賤民の使用人達が、立ち寄った軍人達のためにと焼いたパイやクッキーには、星魂花から採った蜜がたっぷり使われている。
「奴隷が余計な真似すんなとか、ンなもん食えるわけねぇだろとか言われるかと思ったぜ」
「奴らにとっては啓蒙出兵なんて草むしりと一緒だ。退屈な作業場に向かうんだから、ちょっとした嗜好品ぐらいほしいだろ? どんな組織にも、いつだって一握りの愚か者や怠け者がいる。不完全な人間の集まりである以上、完璧なんてものは成立しない。そうして生まれた隙を柔軟さとするか、大きな弱点とするかが組織の存続の分かれ道だ。僕達も気をつけないとね」
道中の地形や軍隊の規模から帝国軍の侵攻ルートと途中の補給拠点を割り出したロカは、食材の卸業者や掃除係に扮した戦闘部隊をそこに派遣した。星魂花の蜜や葉を食材として渡し、花粉を拠点内や列走車内のいたるところに散布するために。
奴隷は契約の魔法によって主人を害せないが、さすがの耳標も軍人一人一人を主人だとはみなしていない。
これまで工作部隊が積み重ねてきた一番星の噂によって奴隷達は戦闘部隊を快く招き入れ、自分達もドラクレイユ人に一矢報いようと作戦に加担した。
仮にどれだけ好待遇を受けていようと奴隷は奴隷だ。エルファース人奴隷とドラクレイユ人の間には、決してわかりあえない溝がある。
対等とはなりえないし、表面上はどれだけ従順だったとしても裏では憎悪が燃えていたっておかしくない。
ロコディーダ国がこれまで数多くの奴隷を献上していた国だというのも大きいだろう。「尖り耳」という記号でしか奴隷を認識しないドラクレイユの軍人は、今目の前にいる奴隷こそこれから自分達が攻め入る国で生まれ育った人間だということなど思いもしていないのだ。
小拠点の実験を繰り返したおかげで、星魂花がドラクレイユ人にもたらす影響の解析は進んだ。
種が体内に取り込まれなければ体中に花は咲かないが、種は良質な土壌が近くにあれば自然と根を伸ばす。
根に侵されてから絶命までの時間は数分から数十分と人によってまちまちだが、魔力量が多ければ多いほど長く苦しむ傾向にあるようだ。
いずれにせよ、人体に根付けば一時間と経たずに花は開く。
大地に植えるのなら、長くて五時間といったところか。
魔法を使えるドラクレイユ人の人口の多さか、あるいはインフラの整備という名目で土地に刻まれた魔力回路とやらの影響か、都市部のほうが早く咲く。
花が散るのは陽が落ちてから。太陽の光に反応するのだろう。
ロカの推測通り、星魂花を構成するすべてがドラクレイユ人にとっては猛毒になった。粘膜に付着したり摂取したりすると、数時間としないうちにひどい苦痛に襲われるらしい。
体内の魔力が過剰に反応し、じんましんや呼吸困難を引き起こすのだ。まぶたや口が腫れて嘔吐と失禁を繰り返し、やがて意識を失い死に至る。
元々魔力を食らう性質のものによって引き起こされる症状だからか、どんな解毒魔法も治療魔法も役に立たない。
一度星魂花に侵されれば最後、恐怖と共に死ぬしかないのだ。これまで多くのエルファース人が味わってきた、ドラクレイユ人に殺される瞬間と同じように。
猛毒を仕込んだ食材を列走車に紛れ込ませ、取っ手の裏側やひじ掛けといった意識はしないが必ず触ってしまう場所に花粉を付着させる。
花粉のついた手で目を掻き、食べ物を掴み、あるいは鼻でもほじればもう終わりだ。なんなら花粉を少し吸い込むだけでいい。甲冑姿が啓蒙出兵の正装でも、列走車の中では脱いでいるだろう。
もし窓を開けられていたとしても、通り過ぎていった街で運の悪いドラクレイユ人が突然死するだけだ。たとえ換気されようとも、毒の食材が構わず猛威を振るってくれる。
「今頃軍部は大パニックだろうね。今回の進軍とは無関係の軍の砦にも同じことをしておいたから。軍人だけが罹患する謎の奇病の登場だ。軍部の機能はほとんど麻痺したと言っていい」
「ずいぶんあっけねぇもんだな」
「言っただろ、流れる血はドラクレイユ人のものだけだって」
だって誰かが傷つけば、きっとアーテが悲しむから。 ロカの行動原理はすべてアーテに収束する。その“誰か”に、最愛の幼馴染みを傷つけ続けたケダモノどもは含まれない。
「恐怖と暴力による支配はいつだってひずみを生む。今が砕け散る時だったってこと」
二百年続いた圧政は、惰性と慢心でとっくに腐りきっていた。
そこに星魂花という最大の切り札が登場し、形勢が逆転したというだけのことだ。
「それに、ロコディーダへの遠征のおかげで大勢の軍人が動いたから。たかが草むしりのために元帥まで出張ってくるとは思わなかったけど。元帥って軍で一番偉い人なんじゃないのか?」
『落暉の嚆矢』のような小規模の指揮官とはわけが違う。元帥自ら指揮を執るなどおおごとだ。帝国軍を背負う者が出陣する以上、その行軍は大規模かつ派手なものになった。おかげで一網打尽にできている。帝国軍が国境を超えることはできない。
「オレとしちゃ物足りねぇけどな。ドラクレイユの軍人の鼻っ面に一発カマしてやりたかったぜ」
息巻くレアはこぶしをもう片方の手のひらに打ち付けた。
「そうしなくて済むように星魂花の研究をしたんだけど?」
血気盛んなレアには一瞥もくれずにロカは歩き出す。秋の香りをほんのわずかに含んだ風がロカの頬を撫でた。
「第一連隊を引き上げさせて、第二連隊と合流させて。四日後の星流しは、誰にも邪魔させない」
ロカが見据える方角には帝都がある。 あともう少し。あともう少しでアーテに会える。
* * *
(何故だ……! 一体何故、こんなことになっている……!?)
喉をかきむしりながら、帝国軍元帥ルンガルドはかすむ視界の中で己に問うた。けれど答えは出てこない。
ルンガルドの復讐に理解を示さない部下は、殺すために集めた奴隷どもと一緒に焼き払った。
列走車ごと炎の魔法で派手に葬り去ったので、証拠はどこにも残っていない。
あの色に溺れた愚帝が帰還早々に寵姫の館に引きこもるという想定外のトラブルはあったが、無事に引きずり出して出兵の許可を得た。
始まりはロコディーダ国。三日と経たずに陥落とせる見込みだ。あの国の尖り耳どもを皆殺しにしたら、すぐに別の国にも攻め込むつもりだった。
何もかも予定通りに進められる──はずだった。
ルンガルドがいるのは、蹂躙を終えた戦場でも、略奪を終えた市街地でもない。治療院のベッドの上だ。
つい数十分前に部下達と一緒に運び込まれたが、ルンガルドを囲む治療術師達は喚くばかりでなんの役にも立たなかった。彼らの治療魔法をもってしても、この地獄の苦痛は取り除けない。
(こんなところで……寝ている暇はないというのに……! 私は……私には、やらねばならないことが……! ああ……ミルパメラ……!)
脳裏によぎるは苛烈な美女。今はもうどこにもいない、ルンガルドが密かに恋い慕っていた女性だ。
彼女の眼差しは、いつもヴァルデシウスに向けられていた。
彼女はルンガルドの求婚を拒んだ。彼女はヴァルデシウスに嫁ぐことを望んでいた。あの男がいずれ己を殺すことになるだなんて、彼女はきっと思いもしていなかっただろう。
ヴァルデシウス。ルンガルドにとって、その名は憎悪の象徴だ。
あの男さえいなければ、自分が彼女の夫になれたかもしれない。
そもそもミルパメラは、親子ほど年の離れたルンガルドのことなど初めから眼中になかったのだが、そんな些細なことはどうでもいい。自分にもチャンスがあると、ルンガルドは思い込んでいたのだから。
あの男さえいなければ、彼女が処刑されることはなかった。
ヴァルデシウスは家畜ごときに惑わされてミルパメラを殺したのだ。それは許されざる罪だった。
あんな愚かな皇帝に捧げる忠義はすでにない。
ルンガルドはミルパメラと一緒に死ぬことはできなかったが、だからこそ最期まで彼女のために生きようと思った。彼女が成し遂げられなかったことを、代わりに自分が成し遂げるのだ。
『こんなことになるのなら、尖り耳など早々に滅ぼしてしまえばよかった。ああ、我らが偉大なる王を堕落させた毒婦が天に裁かれるさまを見届けられぬのが残念で仕方ないのう!』
その言葉通り、地上にはびこる尖り耳の鏖殺を。
次いで、稀代の悪女たる寵姫アーテリンデを惨殺し。
最後に、太陽竜の王たりえない皇帝ヴァルデシウスを弑逆する。
尖り耳どもを家畜として飼い慣らすだなんて生ぬるいことは言わない。
この大陸には、聖ドラクレイユ帝国一つあればいい。東側の国、西側の国、すべてを滅ぼして大陸全土を尖り耳の血で染め上げる。
そして自分は英雄となり、帝国始まって以来の暗君を討って新たな皇帝の座につくのだ。
そうすればヴァルデシウスは己の過ちに気づくだろうし、冥府のミルパメラは皇帝となったルンガルドを認めてくれるに違いない。
(役立たずどもめ! 早く私を、治療しろ……!)
腫れた唇を懸命に開けてルンガルドは叫ぼうとするが、口からは吐瀉物があふれるばかりで声にはならない。小水がじょぼじょぼと音を立ててシーツを汚していくたびに、彼から威厳も奪っていく。
(私はあの男に思い知らさねばならない! あの日私を選んでくれなかったミルパメラに、今度こそ、私のことを……!)
『わらわのためによくやったな、ルンガルド。大義であった。褒めてつかわす』
愛しい彼女に、ただそう声をかけてほしかった。そのためならば、家畜の血を全身に被ることも厭わない。
今のルンガルドは、解き放たれた獣も同然だったのに。
徐々に視界が暗くなる。
屍の山の上に立って栄光を掴み、夢想の中でミルパメラの抱擁を受ける──そんな未来も消えていく。
脳に酸素が回らない。死神が嗤った。闇の中でちかちかと光が瞬く。まるで一番星のようだ。
「元帥閣下、お気を確かに! くそっ、どうして治療魔法が効かないんだ!?」
ミルパメラへの執着がルンガルドを狂気へと駆り立てた。この破滅へと導いた。
ヴァルデシウスを愚かな男と嘲る彼もまた、愛欲に溺れて道を違えた愚かな男の一人なのだ。
* * *




