第四十二話 巡らされる奸計
油をしっかり染みこませた、空の棺はよく燃える。
エミュの葬儀はプリゼイル宮の中庭でひっそりと行われた。参列者はアーテとメグリムの二人だけだ。
自分の留守の間にエミュが亡くなったと聞いたメグリムはたいそう取り乱したが、アーテがこっそり真実を教えたことでやっと人心地ついたらしい。
普段プリゼイル宮の掃除をする時と同じような手際の良さで、彼女はエミュの死にまつわる事務処理を済ませてくれた。
宮廷人達は奴隷の死など気にしない。そのおかげで、アーテは手作りの葬儀でエミュを送ることができる。
元寵姫エミュリエンヌはもういない。砂の氏族のエミュに戻ったあの気高い女性が、妹と共に穏やかに暮らしてくれることを願うばかりだ。
「アンタは行かなくてよかったのかい? アンタの大事な人も、迎えに来てくれたんだろ」
「いいんです。わたしもエミュ様もいなくなってたら、メグリムさん、帰ってきた時びっくりしちゃったでしょ」
燃え上がる炎を見つめながらメグリムがぽつりと尋ねる。アーテがくすりと笑うと、メグリムは目をぎょろりと動かしてアーテを睨んだ。
「ガキのくせに余計な気を回すんじゃないよ」
「ガキじゃないでーす。もう結婚だってできる年なんですよ」
「十六かそこらだろ? アタシから見りゃまだまだガキさね。食い意地の張った小娘だ。そのくせ自分だけでなんでもかんでも背負いこもうだなんて生意気なんだよ」
べぇっと舌を出すアーテ、がるがると歯を剥き出しにするメグリム。二人はしばらくお互いを小突き合っていたが、先に音を上げたのはメグリムだった。
「ったく。娘程度の年齢の奴に気を使われるアタシの身にもなれってんだ。恥ずかしくてやってらんないったら」
「そんなことないです。この国に来てから、メグリムさんにはたくさん助けてもらいました。いろんなことも教えてもらったし、ご飯もくれたじゃないですか。メグリムさんがいなかったら、わたしお腹が空きすぎて死んじゃったかも。お礼に返せるものはないけど、せめて迷惑はかけたくないなって思って、それで」
「だぁかぁらぁ、ガキが迷惑だなんだって小賢しいこと考えるなって言ってんだよ!」
拳骨が降ってくる。けれど痛くもなんともない。
「礼なんてハナっから期待してないっての。アタシは自分の仕事をしただけさ」
メグリムはそのままアーテの頭をわしゃわしゃ撫でた。アーテは涙ぐみながら頷く。
「メグリムさんも、もうすぐ自由になれますから。そしたらお子さん達のこと、たくさんたくさん撫でて抱きしめてあげてくださいね。わたしに言われるまでもないでしょうけど」
さすがに解放軍のことはまだ打ち明けられていない。メグリムに言えたのは、エミュの家族が内緒で彼女を引き取りに来たことだけだ。
だからどうして自由になる日が来るとアーテに断言できるのか、メグリムにはわからないだろう。
「アンタとエミュ様も、うちの食堂に招待してやらないとね」
けれどメグリムはそれ以上の深堀りはせず、柔らかく目を細めて頷いた。
* * *
地方視察の公務から帰還したヴァルデシウスは、雑事を秘書官に丸投げするといち早くプリゼイル宮に向かった。
皇后候補として強引に同行してきた、宰相の親族の令嬢はヴァルデシウスにまったく相手にされなかったせいでさめざめと泣いているが、ヴァルデシウスの知ったことではない。
「余のいない間寂しい思いをさせたな、アーテリンデ」
氷の花の髪飾りを身につけた最愛の少女に、ヴァルデシウスは白々しく声をかけた。
「二度と来なくてよかったのに」
アーテリンデはつんとそっぽを向く。歓迎されているとはお世辞にも言い難い。
(そう、それでいい。アーテリンデ、お前は余に媚びてはならぬ。お前が余の顔色をうかがって余に媚びへつらうのなら、それこそお前にとっては死と同義なのだろう?)
アーテリンデの心は永遠に手に入らない。彼女の心には、ヴァルデシウスではない“何か”がいるのだから。
その“何か”が、狂おしいほど憎らしい。“何か”のせいで、アーテリンデがヴァルデシウスを本当の意味で愛してくれることはないのだ。
だが、ヴァルデシウスはそれをよしとした。アーテリンデがどれほど嫌がろうと、ヴァルデシウスには彼女を逃がすつもりはなかったからだ。
心などという曖昧なものはいらない。甘やかな笑みも、幸せを歌う声も必要ない。
この身がアーテリンデを縛る桎梏で、強い意思を秘めた彼女の蜜色の目には自分が映っている。その事実がヴァルデシウスの心を満たし、安らぎをもたらしていた。
虜囚の日々でもアーテリンデが壊れてしまわないようにする方法も知った。自分が憎まれ役を買って出ればいい。
ヴァルデシウスという敵がいるからこそ、アーテリンデは怒りと憎しみをもってヴァルデシウスに反発し、生への執着を強くする。
アーテリンデはヴァルデシウスへの偽りの愛に溺れることを拒んだが、その代わりにヴァルデシウスが愛した輝きが損なわれることはないのだ。
(“ロカ”。アーテリンデの愛はお前のものかもしれない。だが、今アーテリンデの前にいるのは余だ。そのうえ、お前への愛と同等あるいはそれ以上の感情を、余はアーテリンデに向けられている。故に余は、お前を許そう)
ヴァルデシウスは嫌がるアーテリンデを抱き寄せ、数日ぶりの柔らかな感触と甘い芳香を堪能する。
自分の欲望を満たしながら、これが贖罪になると心から信じきっている。ヴァルデシウスはどこまで行っても自分本位な男だった。
「つれないお前にいい知らせだ。新たな皇后を選定しようと臣下達が働きかけている」
「じゃあ、あなたもここには来なくなるってことですね! だって、奥さんは大事にしないといけないんですから」
「まさか。その逆だ。臣下達が煩わしいからここを余の避難所とするぞ。余以外の男はこの館の中には入れぬからな」
本気で嫌そうな顔をするアーテの顎をつまみ、むにむにしながら口角を強引に持ち上げる。
「これで余と朝から晩まで一緒にいられるぞ。嬉しいだろう、アーテリンデ?」
非力な腕がヴァルデシウスの胸板をぼこぼこと叩く。愛しい少女の戯れだと思えば痛くもかゆくもないが、アーテリンデにはしっかり罰の痛みが返っているようだ。
痛みをわかっているくせに、いつまで経っても学習しようとしない。愚かでいじらしい寵姫を、ヴァルデシウスは陶然とした面持ちで見下ろした。
*
ヴァルデシウスによるプリゼイル宮への籠城は二週間に及んだが、三週間目にしてあえなく敗北を喫した。
秘書官達が屋敷の前で泣きつくだけではらちが明かないと判断した老宰相スティンモレーが直々に突撃を繰り返し、陛下が執務室の内奏書に今すぐ目を通すと約束するまではここを動かないと宣言した法務長官ノイシンが厨房裏口に居座ることで食料品や日用品の供給が止まり、とどめに元帥ルンガルドの命令を受けた軍人達が魔法で騒音を撒き散らし続けたせいだ。
せっかくのアーテリンデとの蜜月だというのに、これでは何もかもが台無しだった。
「もう来ないでくださいね」
さすがにぐったりした様子のアーテリンデに半ば強引に追い出され、ヴァルデシウスは渋々城に帰還した。
「次の后は、己の分をわきまえている女であれば誰でも構わん」
ヴァルデシウスは気だるく宣言した。それがアーテリンデへの寵愛ゆえだと知っている重臣達は苦い顔をしていたが、帝室典範通りきちんと一等市民から皇后を選ぶということで強く諫言する者はいなかった。歴史や財力で他家よりやや劣る貴族も、自分達も皇家と縁づける可能性があると沸き立っている。
おかげでヴァルデシウスははからずも大量に寄せられた縁談に苦しむ羽目になった。
「スティンモレー、お前の息のかかっていない女はどれだ? その者達となら顔合わせの場を設けてやってもいいぞ」
「ほっほっほっ、お戯れを」
連日届く釣り書きを、ヴァルデシウスはうんざりしながら放り投げる。しかしすかさずスティンモレーがそれを拾い上げ、執務机に置き直した。
「陛下があの下種に執着なさるのは、寵姫がアレしかいないからでは? 先帝陛下の御代では六つもの寵姫の館が解放され、多くの寵姫が揃えられていたものです。それが今では一つの館しかなく、寵姫もたったの二匹だけ。うち一匹は無垢腹を宿して寵姫の任を解かれ、すぐ死んだそうではありませんか」
スティンモレーはもったいぶった口ぶりでヴァルデシウスを見やる。
「たかだが家畜のメス一匹に心乱されるなど、貴方様ともあろう方が嘆かわしい。何も先帝陛下のように、入れ代わり立ち代わりで新しいメスを寵姫として召し上げよとまでは申しません。ですが三匹目、四匹目の寵姫を迎え入れれば、あのメスもたちまちかすんでいくことでしょう」
「お前にアーテリンデより強く美しいメスが用意できるのか?」
「ご用命とあれば。その代わりと言ってはなんですが……」
スティンモレーは新しい釣り書きを何冊か取り出す。中は見るまでもない。どうせ彼の親族の娘だ。会えということだろう。
(無駄なことを。アーテリンデより優れた輝きを放つ女などいるわけがないだろう。だが、スティンモレーがいもしない奴隷探しに注力するのであれば、多少は余にも自由が戻るか。その隙に城を抜け出して、アーテリンデに癒されるとしよう)
ヴァルデシウスは口元に小さな笑みを浮かべ、新しい釣り書きを受け取った。
直後に秘書官がやってきて、元帥ルンガルドとの謁見の時間だと伝える。釣り書きとのにらめっこから解放されたかったヴァルデシウスは、早々に執務室から立ち去って謁見の間に向かった。
「先日行ったロコディーダ国での軍事演習の際、我が軍の軍用列走車が正体不明の敵性集団から攻撃を受けました」
跪いたルンガルドは挨拶もそこそこに切り出す。
「列走車には徴用した奴隷を乗せていましたが、これをすべて失い、輸送の警護に当たっていた小隊も全滅しています」
「珍しい失態だな。それにしても、まさか帝国軍に反旗を翻す者がまだいたとは」
「指揮官として私の不徳の致すところです。……つきましては皇帝陛下、この汚名を返上する機会を与えていただけませんでしょうか」
ルンガルドは顔を上げた。ぎらつく黒い目がじっとヴァルデシウスを見つめる。
「この蛮行は、現地の尖り耳によるテロ行為だと予想されます。そこで、尖り耳の殲滅の許可をいただきたく」
ロコディーダ国は聖ドラクレイユ帝国の属国の一つだ。
五年に一度、自国の民を奴隷として帝国に献上しているほか、ことあるごとに奴隷の徴用に応じる従順な国だが、だからこそ下民の中には不遜にも帝国に叛意を持つ者も出てしまうのかもしれない。
「民を御せないのはロコディーダの失態でもある。よい、血をもって贖わせることを許そう。失った奴隷の補填として、啓蒙出兵の許可を与える。ただし、尖り耳ごときに二度はしくじるなよ」
「はっ! 必ずや勝利をもたらします! 偉大なる太陽竜に栄光あれ!」
ルンガルドは大げさに敬礼した。
ヴァルデシウスは、アーテリンデの目に自分を映してもらうことしか考えていない。
だから目の前に立つルンガルドの瞳に自分以外の何かが映っていることなんて気づかなかったし、仮に気づいていたとしてもどうでもいいことだった。
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