第三話 神に見捨てられた者達
アーテが目を覚ました時にいたのは、揺れる大きな部屋の中だった。魔法で貫かれた足がずきずきと痛んだが、一応応急処置はされているようだ。
(ロカがいてくれたら、痛さなんてなくなっちゃうぐらい丁寧に手当てしてくれたのに)
長方形のその部屋の中では、両手を前に縛られて両足を鎖につながれた若い女性達が不安そうな顔で身を寄せ合っている。避難のために持ち出した背負い袋はどこにも見当たらない。
アーテを含めて全員が着の身着のままのようで、身に着けている衣服から察するにみなハフリト……特に月の氏族が多いようだ。ネイカ大森林で暮らしているのは月の氏族が大部分を占めているから、全員森から連れてこられたのだろう。アーテと同じ里で暮らしていた女性達もいたが、見知らぬ顔も散見された。近くの里に住んでいた者達に違いない。
彼女達の鎖から届く距離には、薄汚れた小さな蓋つきの壺が点々と設置されていた。床にしっかり固定されているその壺には、なんとも言えない異臭が染みついている。部屋に窓はなかったので、それもまた閉塞感と生理的嫌悪感が増す原因だろう。
(避難樹洞に逃げ込めた人達も、結局捕まっちゃったんですね……)
アーテは唇を噛んでうつむいた。
自分達はこれからどうなるのか。この場にいる誰もが答えられないと知っていながら、八つ当たりじみた質問をぶちまけたい衝動に駆られる。きっとみんなそうだろう。けれど乾ききった口から漏れるのは嗚咽か早口の祈りがせいぜいで、それが余計に室内の空気を重苦しいものにしていた。
部屋はがたがたと激しい揺れと急停止を繰り返す。中にいるアーテ達のことなどまるでお構いなしの乱暴さだ。
自由を奪う鎖が転倒防止の命綱になっているのは皮肉だったが、揺れに耐えきれなかったのか壺に顔を突っ込んで嘔吐している者もいる。部屋の光景を虚ろな目に映しながら、あれは汚物入れだったのかとぼんやりと考えるのは、一種の現実逃避のようなものだった。
どれだけ揺られていたのだろう。一年以上ここにいた気もするし、まだ一日か二日ぐらいしか経っていない気もする。やっと振動が収まった時には、緊張と疲労、そして空腹がピークに達して全員がぐったりと力なくうなだれていた。
ほどなくして部屋の扉が開いた。でっぷり太った大柄の男が、髪を剃り上げられたハフリトの青年達を五人ほど引き連れて現れる。
ハフリト─そしてトツヒト─の特徴である彼らの横に長い尖った耳には、妙な記号が刻まれた硬い板のような物が片耳にだけぶら下がっていた。青年達は寸胴鍋と深皿を持っている。
太った男の肌は病的なまでに真っ白で、見ているアーテが心配になる。耳も短くて丸っこい。髪と目は黒々としていて、それが余計に肌の白さを際立たせていた。
(あれがマガツトの素顔でしょうか)
太った男は何か喚き散らしながら、青年達を急き立てた。青年達は暗い顔で寸胴鍋の中身を深皿によそうと、四肢が拘束されているアーテ達のために手分けして食べさせに来た。
「これはなんですか?」
アーテの番もすぐに来た。差し出された深皿を見て、アーテは眉をひそめながら尋ねる。濁ったお湯の中に、小さな灰色の肉団子のようなものがいくつか浮いている。匂いはない。あまり美味しそうには見えなかった。
「マガツトの魔法がかかった食べ物だ。この塊を食べると、奴らの言葉が聞こえるようになるし、話せるようになる」
そう言いながら、青年はスプーンで肉団子を掬うとアーテの口元に近づけた。青年の目は悪夢に沈んでいるかのようにぼんやりとしていて、深い悲しみと絶望の色だけが残されている。
「早く食べないと殴られる。俺もお前も」
「……わかりましたよ」
促されるまま、アーテはそれを一息に頬張った。妙な苦みと生臭さのせいで思わず吐き出しそうになったが、青年は慣れているのか深皿に残っていたぬるいお湯を無理やりアーテの口に流し込んでそれを阻止する。アーテに食べさせ終わると、青年はアーテの隣の女性の前に移動した。
(これ、一体何でできてるんですか? お肉じゃなさそうですけど……)
ぐにゅぐにゅしていて変な食感だ。中々噛み千切れない。やっとの思いで飲み込み、涙目で周囲をうかがう。この謎の団子料理にはどの女性も苦戦しているようだった。
「おい尖り耳ども、エサは残さず食べたか?」
がなり声と同時に、何かがしなって床を叩く音がする。太った男が持っていた鞭だった。
「喜べ。お前達は我々陽竜の民に仕えることができるのだ。さらに運がいい者は、特に高貴な方々に身を捧げるという至上の栄誉を賜るだろう」
話しているのもその男のようだ。“ドラクレイユ”というのはきっと、マガツト側からした自分達の呼称なのだろう。先ほどまではただの騒音でしかなかった声が、きちんと意味を伴う言葉としてアーテの耳に届いていた。青年が言っていた、マガツトの言葉がわかるようになるというのは本当らしい。
「偉大なるドラクレイユのために生き、そして死ぬ。それこそがお前達下種の存在意義だ。我々の忠実なしもべにさせるために、神はお前達を作ったのだから」
「違う! 我々の神はそのような──あぅっ!?」
「このクズめ! 家畜の分際で、誰が口を利いていいと言った!」
声を張り上げた勇敢な女性を、太った男が鞭で打つ。
「お前達が信じる神とやらはできの悪い偽物だ、くだらん妄想の産物だ! 時代遅れの虚像に踊らされる蒙昧なけだものを、我々ドラクレイユが導いてやると言っているんだぞ! 感謝を示すのが当然だろうが!」
殴打は一度で終わらない。繰り返される暴行に鮮血が飛び散り、方々から悲鳴が上がった。アーテも思わず顔を背ける。
「やっ、やめてください……! その人、死んじゃいます……!」
それでもアーテは必死に声を上げた。涙に染まって震える訴えが届いたのか、男はやっと手を止める。だが、アーテを威嚇するように睨んで床を踏み鳴らす。アーテは身体をこわばらせたが、幸いにも怒りの矛先が彼女に向くことはなかった。
「わざわざ山を越えてまで狩りに行ったんだ。無駄死になどさせるか」
男は舌打ちをすると、青年達に「耳標を持ってこい」と告げる。青年達は暗い表情のまま鍋を下げると、代わりに大きな箱と、ハサミに似た何かの道具を持ってきた。だが、ハサミにしては厚みがあるし、何より刃がない。
(切るというより、挟んで潰すための道具のように見えますが……。あそこについているのは、針でしょうか)
アーテだけでなく、女性達は誰もその道具の使い道がわからないようだ。だが、すぐに身をもって知ることになった。
青年達の手によって片耳の耳たぶを押し潰すようにして針で穴を開けられ、その穴に無理やり金属製の板を取りつけられる。青年達がぶら下げているのと同じものだ。違いは、この新しい板にはまだ何も刻まれていないということだった。
「この耳標はお前達の身分を表している。“国なし”のお前達は下種であり奴隷だ。主人が決まれば耳標に紋章か名前が刻まれる。誰の所有物になれるか楽しみにしていろ」
血と悲鳴があふれる惨状を前にして、アーテはようやく理解する。どうして青年達が始終暗い顔をしていたのか。だって、自分の手で同族を苦しめて平気でいられるわけがない。きっと彼らはあの太ったマガツトに逆らえなくて、これまで何度も同じことをしてきたのだ。その罪悪感が彼らの心をすり潰していったのだろう。
(ロカ。頭のいいあなたでも、間違えることはあるんですね)
涙がとめどなくあふれるのは、痛みと恐怖、そして怒りのせいだ。
この場にいるハフリトはみな、神に、家族に、恋人に助けを求めただろう。だが、そのか弱い祈りが届くことはない。信じる神を否定され、大切な者とも引き離された。強大な力を持つマガツトに、アーテ達はただ踏みにじられるしかない。
(マガツトの言っていることがわかるようになっても、マガツトのことは理解できませんでしたよ。言葉が通じても、話が通じなければ意味がなかったんです)
男はそれからもドラクレイユを過剰に賛美し、自分達に仕えられることの幸福を説く。国なしとマガツト、両者を隔てる壁はあまりにも大きかった。
奴隷の青年達によって両足の鎖を解かれ、アーテ達は部屋の外に連れ出された。
手枷はそのままで、しかも足に怪我をしているということもあり、久しぶりに立ったせいでバランスがうまく取れずに歩きづらい。愛しい故郷とはまったく違う空気に思わずむせ返りそうになる。風が肌にどんよりとまとわりついた。慣れていないせいか、なんとなく居心地が悪い。
アーテが大きな部屋だと思っていたものは、あまりにも奇妙で不気味な物体だった。
虫の脚を思わせる、折れ曲がった低い支柱が何本も生えていて、それに支えられる形で地面から少し浮いている。同じような部屋が他にも連結してつながっていて、まるで節のあるムカデのようだ。支柱が動いているせいで余計にそう見えるのだろう。
他の部屋からも人が降りてきた。ハフリトの男性達が収容されていた部屋、トツヒトの男性達が収容されていた部屋、トツヒトの女性達が収容されていた部屋。どうやら性別と部族によって分けられていたらしい。全員、片耳に札をつけている。アーテ達とまったく同じものだ。
(みんな、奴隷にされちゃった……っ! そうだ、お父さんとロカは!?)
アーテは目を凝らし、ハフリトの男性達の集団から愛しい人達を探そうとする。見知った神官や近所の子供達は見つけられたが、父とロカの姿は見当たらなかった。
(きっと捕まらないで、無事に逃げられたんです。そうに決まってます)
アーテ達がいた部屋よりももっと立派で頑丈そうに見える部屋もあった。そこにはちゃんと窓がある。近くにいるのは、里で見たぴかぴかの集団だ。彼らが頭に被っていた物はなくなっているので、黒い髪と白すぎる肌がよく見えた。
「ぐずぐずするな、さっさと歩け!」
鞭を手にした太った男に先導されるまま、アーテはふらふらと歩き出す。列をなして歩く奴隷達の行進は、一体どこに向かっているのだろうか。




