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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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第三十八話 愛という名の虚飾

「だけどわたしはあなたを敬わない。あなたのことなんてこれっぽっちもすごいと思ってないし、絶対に好きにもならない」


 暴力や恫喝でヴァルデシウスがアーテの口を塞ごうとしてこないのをいいことに、アーテは反撃を続ける。畳みかける言葉は心からのものだ。


「だからあなたはムキになって、わたしに無理やり言うことを聞かせてる。……どうすればわたしに思い知らせられるかで頭がいっぱいになっちゃったのが、あなたの言う“恋”の始まりだったのかもしれませんね?」


 アーテは自身の容姿に無頓着だったため、彼女の口から直接の指摘はなかったが、アーテが人目を惹くほど美しい少女だったのも災いしてしまったのだろう。

 もしアーテの顔立ちが人並みであれば、あるいは多少なりとも醜かったのなら、ヴァルデシウスはこの不快な反逆者を一も二もなく切り捨てていたのだから。


 ドラクレイユ人にとって、ドラクレイユ人以外は人間ではない。人以下の分際で生意気に吠える身の程知らずなど、虫けらのように命を踏みにじって終わりだ。

 その他大勢の奴隷達が毎日のように使い潰されて消費されていくのと同じように、アーテもあっけなく死んでいたかもしれない。そうであれば、ヴァルデシウスの心にそれ以上の何かが芽生えることはなく、アーテが心を蝕まれ続けることもなかった。


 不愉快さから始まった興味関心が恋情にまで変換されてしまったのは、ひとえにアーテが誰よりも可愛くて肉付きもよかったからだ。


 か弱く可憐な愛玩人形は、色欲と支配欲をぶつける慰みものにうってつけだったろう──けれどアーテは、そんなものを愛とは呼ばない。認めない。


「あなたはわたしをどこまでも下に見てる。“愛してる”って言葉を言い訳にして、わたしのことを大事にしようとしてるみたいだけど、対等だとは絶対に思ってくれてないですよね」

「そ……そんなことは……」

「違うなんて言わせない。だってわたしはあなたの奴隷なんですから。……わたしはあなたに愛を教えたつもりはないし、あなたが愛だと思っているソレ・・は人の愛し方でもありませんよ」


 ヴァルデシウスが圧倒的な力によってアーテの心を殺し続けてきたように、アーテも真実という絶対的な言葉によってヴァルデシウスの心を射抜く。 


「あなたはわたしのことを、自分の所有物モノとしか思ってない。だからわたしの嫌がることを平気でするし、やめてって言っても聞いてくれない。優先するのはいつも自分の欲望コトばっかり」

「余は……余はただ……」

「優しい顔して甘やかして、怖い顔しておどかして。そうやって、わたしを一人じゃなんにもできないお人形にしたいんでしょ? そうなってほしいんでしょ?」 


 ただでさえ青白いヴァルデシウスの顔は、すっかり血の気が失せている。

 彼は戸惑い、恐れていた。自分ですら気づいていなかった感情の本当の意味が暴かれて、己の醜悪さを突きつけられることを。


「じゃないと、いつか本当にわたしが遠くに逃げちゃうかもしれないから。あなたはよく言ってますもんね。わたしにどこにも行ってほしくないって。わたしが自由に喋って動くと困るんだ」


 構わずにアーテは嗤う。それこそが、傷だらけで怯える少女にできる命がけの抗議だったからだ。


「ならば余はどうしたらいいのだ!? 余はただお前に愛してほしいだけなのに、お前は常に余を拒絶する! どうやってお前を愛したらいいのか、どうしたら余に愛を返してくれるのか、余に教えてくれ……!」


 何もかもをかなぐり捨てて、青年はみっともなく叫んだ。


「余は……余はこれまで、人を愛したことなどなかった。狂おしいほど求めるのはお前が初めてなのだ、アーテリンデ……」


 アーテを囚える杭の檻が消えていく。歪んだ愛しか知らない青年はアーテを壊れ物のように抱きしめ、彼女の慈悲をこいねがった。


「確かにこれまでの余は、お前に無体を働いていた。お前の指摘した通り、この想いは間違ったものなのかもしれない。だが余は、こうすることしか知らないのだ……。余にとっては、これが初めての愛の形で……」

「……何度も言いますけど、あなたの愛なんていりません。あなたはわたしに対して優位に立ちすぎてますから。わたしはあなたが怖いんです。今も震えが止まりません。そんな人に愛されたいと思います?」


 もしもアーテに、ロカという最愛の恋人がいなければ。

 たとえ相手が暴虐の王であろうとも、己の過ちを認めて過去の所業を悔い改めた彼を許し受け入れていたかもしれない。ドラクレイユ人とも一緒に歩んでいける未来を、二人で一緒に考えるのだ。

 それは先生が望んでいた傾国の形とは違ったかもしれないが、旧体制を打破することに変わりはない。何よりエミュが夢見ていた、ハフリトが迫害されない未来への道しるべになれただろう。


 だが、アーテはその綺麗な道を選ばない。


 自己犠牲的な献身を、無垢な慈愛の精神を、ヴァルデシウスのためには絶対に見せない。アーテがそのやわく清らかな想いでヴァルデシウスを包むことは絶対にない。


 何故ならアーテの無償の愛のころもは、すでにロカをくるんでいたのだから。


 周囲に馴染めず、孤独を選んだ幼馴染み。一人ぼっちで本をめくりながら、けれどページにぽたぽた涙が落ちていた。

 外野の声なんてどうでもいい。丸められた小さな背中に、アーテは後ろから抱きついた。ありのままの彼が好きだと、ずっと傍にいてほしいと、幼いアーテは強く願った。その想いは今も変わっていない。


 生涯寄り添い、支えたい人。アーテ一人が背負える重さは決まっている。選べるのは誰か一人だけだ。


 すでにその場所は埋まっている。アーテはロカを抱きしめているのだから。今さらロカから離れてまで無関係のヴァルデシウスを癒すだなんて、考えられないことだった。


「わたしがあなたを本当の意味で愛するなんてこともありえないんです。もしもわたしが、あなたを愛してると思うことがあるのなら、それは自分自身を守るための錯覚でしょう。死にそうなぐらい怖いから、そう思い込もうとしてるだけなんですよ」


 だからアーテはヴァルデシウスを突き放す。


「あなたを拒絶し続けることで、わたしはわたしでいられます。恐怖に飲み込まれてあなたを依存あいするようになれば、わたしは人間わたしじゃなくなっちゃう」


 出逢いはじまりから間違っていた二人の道は、決して交わることはない。


「……お前の言いたいことはよくわかった」


 ヴァルデシウスは憮然とした面持ちで目を伏せる。骨ばった大きな手がアーテの首筋に添えられた。


「やはりお前の身体をどれだけ暴こうと、心までは手に入らぬのだな」


 走る怖気おぞけにたまらずアーテは身をよじる。

 しかしヴァルデシウスが指にぐっと力を込めた。かひゅっと吐息がアーテの口から漏れる。


「愛しいアーテリンデ。お前から軽蔑の眼差しを向けられるより、お前の目に永遠に映らなくなることのほうが余は恐ろしい」


 締められた苦しさに悶えるアーテに、ヴァルデシウスは口づけをすることでやっとその手を緩めた。

 代わりに細い腰に手をやる。アーテのすべてを貪り尽くすように、その口づけはどこまでも激しく暴力的だった。


「神に誓いを立てるのは余だけにしよう。余は余のやり方で、お前を愛し続ける」


 やっと解放されて荒い息を吐くアーテに、ヴァルデシウスは冷酷に告げた。


「お前の心を占めているものがなんなのか、もはやそれすらどうでもいい。余のすべてをお前の五感に刻みつければ、そんなものを思い出す前に身体は勝手に余のことを考えてしまうだろう?」


 愛欲に溺れたその暗い瞳に深い苦悶と後悔が宿っていることに気づける者は誰もいない。ただ一人、もう後戻りはできないと悟ったヴァルデシウス自身以外には。


「お前がこの腕をすり抜けて他の男の元に行くのであれば、その男をむごたらしく殺してやろう。故郷が忘れられぬと泣くのなら、望郷の念など掻き消えるほど徹底的にお前の過去を破壊し尽くしてやろう」


 酸欠でぼうっとする。視界が明滅する。今のアーテには、唇の端から伝う銀糸をぬぐう余裕もない。


ゆえにお前は余を憎み、嫌い、恐れるがいい。この世界の誰よりも強く激しく、余を怨嗟の熱でき尽くすのだ」


 身体から力が抜けてよろめくアーテを受け止めて、ヴァルデシウスは祈るように囁いた。


「我が麗しき森の宝石よ、恵みの陽光よ。好きなだけ余を嘲笑え。決して余を許すな。太陽の御子みこたる余には慈雨じうなどいらぬ。余が旱天かんてんに倒れる日まで、何があろうと余はお前を逃さない」


「……ばーか。あなたなんて、だいきらい」


 それだけ呟いて、アーテはそのまま意識を失う。彼女の意識が闇に飲まれたのを見届けて、ヴァルデシウスは自嘲気味に笑った。


「お前はいつまでもお前であれ、アーテリンデ。余への怒りをかてにして輝き続けろ。それがお前を手放せぬ余にできる、唯一の償いなのだから」

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