第三十六話 落暉の嚆矢
「お前さんならきっとやってくれると信じとったぞ」
「ロカさん。貴方の働きは、エルファース人解放のための偉大な第一歩と言えるでしょう。貴方の奮闘にはどれだけの感謝の言葉を並べても足りません」
「だけど、僕達の戦いはまだこれからだ。褒めてくれるのは嬉しいけど、本当に喜ぶのは太陽竜からこの大地を奪い返してからだよ」
感極まった様子のマートンとヘラに、ロカは誇らしげな微笑を返した。ロカの隣にはレアがいる。
メイジン邸から解放した下種の元奴隷達は、全員デーネンに連れてきた。今は清潔な寝床と温かい食事を与えて休ませている。
例外は、この話し合いへの参加を強く主張したレアだけだ。彼女曰く、「その辺の軟弱者とは鍛え方が違うから休む必要はない」らしい。
横暴な主人一家が亡くなったことで賤民の奴隷も自由を得ていたが、彼らについてはどこまで信用できるかわからないので放っておいた。同じ奴隷という立場でも、ハフリトへの悪感情を捨てられない者を取り込めばいずれは組織の不和に繋がるからだ。
集団で逃げ出す下種の奴隷と、その解放を手引きしたロカの存在に気づいてエルファース人解放の理想に共鳴した一部の聡明な者は勝手にロカ達についてきたが、ほとんどの使用人はどさくさに紛れてどこかに逃げていった。
「それにしても、まさか星魂花にあんな力があったなんてな」
レアの視線の先にあるのは、赤黒く汚れた大きな布袋だった。そのかすかに異臭を放つ塊の中身は、根を傷つけないよう周りの土ごと丁寧に持ち帰った星魂花の株だ。その異様な手土産はヘラとマートンの眉をひそめさせたが、事情を説明するとすぐに納得してもらえた。
「帝国の土には魔力が含まれておる。普通に育てるだけでも、西側では比べ物にもならない速度で花が咲くはずじゃ。魔力で汚染された土壌の浄化もできるぞ」
「なら、日差しを通す薄手の布で覆った、小さな家みたいな畑を作りたい。星魂花を栽培する場所がほしいんだ。綿毛が勝手に遠くへ飛ばないように、天幕で囲ったほうがいいかなって」
「わかりました。ここで暮らしている砂の氏族達に天幕を用意してもらいましょう。きっと理想通りの物を作ってもらえますわ」
「助かります。拠点で待ってもらっている人達にも何かしらの役割が持てるよう、ヘラ様には指揮をお願いしたいです。ただ手持無沙汰でいるより、組織のため……未来のために仕事ができれば一体感と仲間意識が強まるから」
デーネンには非戦闘員のほうが多い。これからも各地で奴隷を解放していくこともあるだろう。拠点の防衛はもちろん、物資と設備の充実と居住区の拡張が必要だ。
「ドラクレイユ人の反応を見る限り、種が体内に入らなくても……たとえば花粉を浴びるだけでも苦痛につながるんだと思う。目に見えないような小さなものでも、自分を食らう異物に変わりはないからね。身体は過剰に反応するはずだ。だから、帝国中で星魂花が一斉に咲いて、そして散っていけば、きっとこの国はひっくり返る」
「一斉に? じわじわと侵蝕していくのでは駄目なのかのう」
「奴らには甲冑があるから得策じゃない。もちろん、国民全員が年がら年中あの防護服を着て生活するのは相当なストレスだろうから、時間をかけて蔓延させてもある程度の効果はあると思う。でも、防護服を着た戦士には僕らじゃ太刀打ちできないだろ」
「ま、できて奇襲が精一杯だな。ムカつくが、連中を正面から迎え撃つってのは確かにオレらにゃ分が悪ぃぜ」
レアは腹立たしげに鼻を鳴らす。素直に納得するのは、何か身に覚えがあるからだろう。
(そういえば昔、砂の氏族の族長がいるカンナビも襲撃を受けたって噂を聞いたことがあるな。結局別のカンナビの長老から新しい族長が選ばれたらしいから……きっとレアは前の族長の娘で、彼女の親はもう……)
ここにいる全員が、同じ痛みを抱えている。デーネンに匿われた元奴隷も、いまだ各地で苦しめられている奴隷達も。
喪失の穴を元通りの形で埋めることはできないが、多少なりとも癒すことはできるはずだ。けれどそれにはまず、支配者気取りの竜達から大地を奪い返さなければ。
「だから、奴らが完全に油断しているときに叩き込む。予測できる中で一番風が強くなる日に、星流しを引き起こすんだ」
自然の様子をじっくり観察していれば未来の天気は予測できる。特に風の氏族は観天望気の能力に秀でているから、かなりの精度が期待できるはずだ。天候の記載がある過去の文献を読み込めば、時季ごとの天気の傾向も詳しく掴めるだろう。
特に知りたいのは風の強い日だ。その日に備えて星魂花を栽培し、株を持たせた人々を国中に配置させて同時に植える。ハフリトとトツヒトにとっては綺麗なだけの星流しが、ドラクレイユ人にとっては最大の恐怖として網膜に刻み込まれるのだ。
「さて。ロカは吉報を持ち帰り、これからすべきことも決まった。今度は儂らがいい知らせを伝える番じゃ」
マートンはおもむろに、深く暗い青で染められた大きな布を取り出した。
丁寧に巻かれたそれを、マートンは堂々と机上に広げる。夕焼け色から宵闇色に移り変わっていく布の中央に、金糸で縫われた大きな星の意匠が瞬いていた。
「これから儂らは『落暉の嚆矢』を名乗って太陽竜に挑もうぞ」
「ロカさんが結果を出してくれてよかった。そうでなければ、デーネンには民がいなくなってしまうところでしたのよ」
ヘラは苦笑を浮かべている。どうやら組織の支持率はロカの予想以上のものらしい。いいことだ。
「エルファース解放軍『落暉の嚆矢』か。いい名前じゃねぇか大将!」
レアは容赦なくロカの背中を力いっぱい叩く。骨が折れるかと思った。
「う、うん。これで形は定まった。まずは決起集会といこう。この盛り上がりを維持したい」
志を同じくする仲間ができて、強大な力を持つドラクレイユ人に抗う策も見つかった。後はアーテをドラクレイユ人の魔の手から救い出すだけだ。
*
「古今東西のあらゆる物語において、夜明けは素晴らしいものだとされている。人々は、明けない夜はないと自分を鼓舞し、新たな始まりを黎明と呼んでそれを求めたんだ」
穏やかな夕べの風がロカの頬を撫でる。ロカは決して声が大きいほうではなかったが、それでも静寂の中で彼の声はよく響いた。
「だけど、明けない夜がないというなら暮れない昼もないはずだ。頭上で停滞し続ける太陽が、新たな始まりの象徴であるわけがない」
今、ロカには多くの視線が集中している。デーネンの住人達の、期待のこもった眼差しだ。ここまで注目されるのは生まれて初めてのことだった。
今にも破裂しそうな心臓を抑えるために、見上げた空に巨きなアーテの姿を思い描く。緊張を恋の高鳴りでごまかして、ロカは演説を続けた。
「陽竜の民を名乗る支配者気取りの侵略者に、僕達は多くのものを奪われてきた。家族、恋人、友人、故郷、財産、矜持……それこそ数えきれないほどに。でも、踏みにじられるだけの弱者でいるのはもう終わりだ。二百年もの長きに渡って流れてきた血の歴史に、僕達はとうとう終止符を打つ」
これまでずっと読み込んできた、大好きな歴史上の偉人達の伝記。魂を揺さぶる名場面の数々はすらすらと暗誦できる。彼らが遺した名言を参考にして組み立てた音の羅列は、ロカ自身の言葉として違和感なく馴染んだ。
「これまでずっと昇り続けていた太陽が沈むことこそが、僕達エルファース人にとっての新しい時代の始まりだ。夜の訪れは近い。何故なら僕達が、あの忌々しい太陽を沈ませるんだから」
ロカが片手で合図すると、レアとマートンが旗を掲揚した。夕暮れの空に一番星がはためく。
「宵を告げる星はここに煌めいた。今こそ奪われた大地を取り戻し、すべてのエルファース人に真の安寧をもたらそう──僕達こそがエルファース解放軍、『落暉の嚆矢』だ!」
ロカのこぶしが天に突き上げられた瞬間、たちまち歓声が響く。ずいぶん慣れないことをしたが、無事成功したようだ。ロカは静かに安堵のため息をついた。
集会を終えて城館の客室に引っ込んだロカは、毒薬の補充と道具の手入れに時間を費やしていた。
「おう大将、まだ起きてっかー?」
荒っぽく扉が開く。現れたのは赤い顔をしたレアだ。酒臭い。手には中身の半分減った酒瓶がある。
「……こんな夜中に、男の部屋にいきなり押しかけるとか。君、自分の性別、わかってる?」
「あー?」
ハフリトの貞操観念は厳しい。厳しいはずなのだが……何事にも規格外はある。
(僕と彼女で間違いが起きるわけがないけど、外聞は気にしてほしいかな……)
ロカはアーテしか眼中にないし、恐らくレアもロカのことを異性とは認識していない。ロカは酔っ払いの説得を早々に諦め、風通しのいい外廊下に連れ出した。夜風に当たれば多少は彼女の酔いも醒めるだろう。
「見てみろよ。こんな腐った国のくせに、星はちゃんと綺麗なんだぜ。笑っちまうよなぁ!」
「地上にはびこる醜いものも、空には関係ないってことだろ」
酔っ払いが夜空を指差すので、つられてロカも空を見上げた。
「……姉様も、どっかでこの星、見てっかなぁ」
「そういえば君は、砂の族長の二の娘って言ってたな」
「おう。兄様と姉様がいるぜ。……兄様は父様と母様と一緒に、あの腐れマガツトに殺されちまったけどな」
レアの目に殺気が灯る。憎しみが酔いを打ち消したようだった。
「姉様は砂の戦士らしくねぇ人だけど、めちゃくちゃ強ぇんだ。オレらのカンナビが帝国軍に襲われた時なんて、身一つで帝国軍に交渉に行ったんだぜ! 姉様が自分だけ助かるために帝国に降伏したとかほざくバカはオレが片っ端からぶちのめしてやったよ」
「そ、そうなんだ」
「結局オレらは帝国のクソ野郎どもに負けて、全員死ぬか奴隷になっちまったけどな」
「お姉さんはどうなったんだ?」
「オレら家族を丸ごと買った偉そうなイカレ女が言うことにゃ、チョーキってやつになったらしい。意味はよくわかんねぇけど、“そのうち会わせてやる”とか言ってたな」
(チョーキ……寵姫? 確かマートンさんが言ってたような。皇族専用の奴隷、みたいな感じだったっけ?)
「だけどアイツは約束を守らなかった。虫でも潰すみてぇに、あの女はオレの家族を殺しやがったんだ! オレの家族だけじゃねぇ、奴隷にされた他の奴らも皆殺しにされたんだぞ!? しかもアイツは楽しそうに笑ってた!」
レアは外廊下の手すりに酒瓶を思いっきり叩きつけた。けたたましい音がして瓶が割れ、残っていた酒がわずかにロカにもかかる。
「だけど……一緒に買われた親友が、オレの身代わりになってくれたんだ。オレのふりをするから遠くに逃げろって。オレはなんにもできなかった。でも、ただ逃げるだけなんてムカつくから、ずっとマガツトを相手に暴れ回ってたんだよ。大体五年ぐらいかな。それがとうとうとっつかまってあのザマさ」
もしかするとレアは、この国では札付きのお尋ね者だったのではないだろうか。罪状はむしろ心強いが。
「そこに来たのが大将、アンタだったってわけ。アンタに命を拾われて、おまけに一緒にマガツトと戦おうなんて言われりゃ乗るしかねぇだろ」
「僕のほうこそ、君みたいな強くて勇敢な戦士が仲間になってくれて心強いよ。僕、腕っぷしはからきしだから」
「だろうなぁ!」
散らばった瓶の破片を拾いながら、レアは屈託なく笑った。しかしすぐに笑みが消える。
「家族も、親友も、オレの目の前でいなくなったんだ。だからオレはみんなの分まで生きなきゃならねぇ。生きて生きて生き延びて、マガツトどもに復讐するんだ」
「……僕がその場にいられなかったことで苦しんだように、君はその場にいてしまったからこそ苦しんでいるんだね」
「大将は何を取られたんだ?」
「幸せの形、その全部。……僕は両親の遺体を探すことしかできなかったし、僕が帰ったときにはもう故郷は壊滅状態だった。結婚するはずだった恋人も、マガツトにさらわれた。だから、せめてあいつだけは取り返したいんだ」
流れ星が落ちていく。常と変わらず輝く月を、いくつかの流星が横切っていた。
しばらく二人は無言のまま天を見つめていた。無限に広がる星空は、まるで喪失と孤独の傷をまるごと受け止めてくれるかのようだ。
「ロカさん! まだ起きていたようでなによりです」
「ヘラ様? どうかされたんですか?」
廊下の向こうから息せき切らしたヘラがやってくる。そんなに慌ててどうしたというのだろう。不測の事態でも起きたのかとロカは一瞬警戒したものの、ヘラの表情にそういった負の要素は見られなかった。
「たった今、夫から連絡がありましたの──貴方を、貴方の探し人と会わせる手はずが整った、と」
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