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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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第三十四話 夜闇に紛れた解放者

 家畜小屋の中にはえた臭いが漂っていた。檻の中に囚われた、生気を失くしたいくつもの目がロカに集まる。 


 小屋の中の家畜──老若男女を問わず髪を短く刈られ、ひどい痣や傷痕の残る下種達に、ロカはつとめて優しく声をかけた。デーネンの城館で奴隷達を迎え入れたヘラのように。 


「はじめまして。僕はロカ。貴方達を助けに来た」


 ハフリトの言葉、それから続いてトツヒトの言葉。二つの言語で同じ台詞を繰り返す。トツヒトの言語は地域や出身国によって細分化しているが、一番話者が多くて様々な国でも公用語の一つとして採用されているものを選んだつもりだ。きっと伝わるだろう。 


 警備の男から奪った鍵で檻を開け、果物の籠を押し入れる。警備の男は小屋の中に引きずり込んで、手ごろな鎖につないでおいた。 

 他に毒を混ぜた物などもうないのだが、突然のことに自体が呑み込めないのか檻の中には戸惑いの空気が広がっている。


 「安心してほしい。貴方達の地獄はこれで終わりだ。これからは清潔な場所で暮らせるし、お腹いっぱい食べられるようになるから」


 籠からほのかに香る瑞々しく甘い香りに、誘惑に耐えきれなくなった小さな子供がおずおずと手を伸ばす。ガツガツと夢中で果実を貪るその姿に、他の奴隷も触発された。ガリガリに痩せこけた奴隷達に群がられ、籠はたちまち空になる。 


(奥にまだ一人いるな。よっぽど警戒心が強いらしい)


 暗がりの中でらんらんと輝く双眸が、ロカを射殺すようにめつけている。狩猟大会の獲物を揃えるにあたり、ドラクレイユ人は穏やかな草食の獣の中でたった一羽だけ荒々しい猛禽を用意したようだ。


 たとえ影が差す中であっても、闇を見通す月の氏族の目はその姿を正しく捉えた。大柄で筋肉質な人物だ。肩には砂の神への信仰を示す刺青いれずみが彫ってある。片耳ががれていて、それが異様な迫力を醸し出していた。 


(耳標をつけてない……? まさか、自分の耳ごと削ぎ落としたのか!?) 


 ゆらり、猛禽が立ち上がる。ロカより頭一つ分ほど大きい。猛禽の気配に気づいたのか、他の奴隷達が短い悲鳴を漏らして道を開けていく。 


 一歩、また一歩。鉄格子をへだてたすぐそばで、険しい眼光の猛禽がロカを見下ろした。表情こそ険があるが、どことなくあどけなさが残っている。もしかすると、意外と年が近いのかもしれない。


 「一体何しにここに来た?」


 低くかすれた、艶のある声が威圧感たっぷりに問いかける。ロカは目をそらさずに答えた。


「言ったはずだ。君達を助けに来た。……この国を滅ぼすために、僕には金と力と仲間が必要だ。鎖につながれたまま奴らに飼われるのはもう終わりにしよう。これからは、僕と一緒に戦わないか?」

「ハッ! テメェみたいなチビがマガツトを滅ぼすだって?」

「チビじゃない。何も聞こえてなかったのなら、聞き取れるまで言ってやる」


 目の前の雄々しい巨漢に対し、ロカはあまりにも貧弱だ。けれどロカは一歩も退かなかった。他の奴隷達は固唾を飲んで二人を見守っている。


「僕は月の氏族のロカ。支配者気取りの太陽竜を討ち滅ぼして、世界に夜のとばりを下ろす男だ」 


 獰猛な砂嵐に対し、研ぎ澄まされた月光のように応える。冷たく気高いその気迫は、相対者すら飲み込んだ。


「川辺のリドーみてぇにぽっきり折れそうな細っこいナリしたクセに、言うこと言うじゃねぇか!」


 鉄格子の隙間からぬっと伸びた手がバシバシとロカの背を叩く。かなり痛い。


「たった一人で乗り込んできてとんだ大口叩きやがって。その無謀さ、気に入ったぜ大将! そこらでうずくまって死ぬのを待つだけの弱虫どもよりよっぽどいいや」

「そ……それはどうも。あの草みたいに僕ももうちょっと背が高ければよかったんだけど。君を見ていると首が痛くて仕方ない」


 機嫌よさげな大笑いが響いた。 


「オレもマガツトどもには返さなきゃならねぇ借りがあるからな。大将がオレをここから出してくれるってんならまた暴れられる。オレは砂の氏族が長の二の娘、レア。戦士が必要だってんならオレだけいれば十分だ」

(女性だったのか……)


 ロカは咳払いして、他の奴隷達に声をかけた。


「大丈夫。戦う力がない人を無理に戦わせようとはしないから。安全な拠点があるから、そこで暮らしてくれればいいよ。ハフリトもトツヒトも関係なく、祖先を同じくするエルファース人としてね」

「で、ですが、ワシらはこの通り……」


 一人のトツヒトの老婆が震えながら自分の耳標に手を添えた。


「この忌々しい飾りがある限り、ワシらはドラクレイユ人の奴隷なんです。ドラクレイユ人がワシらをあっさり解放してくれるとは、とても……」

「それも心配しないでいい。すぐに外せるようになるから。貴方達はここでじっとしていて」


 ロカは冷えた笑みを浮かべた。


 下種の耳標はどうしたら外れるのか、マートンに聞いているから知っている。それは主人が契約を解除した時か、あるいは主人が死んだ時だ。 


*


(奴隷達を連れ出すだけじゃ、ヘラ様はともかくその旦那さんは納得しないだろう。堂々と協力を取り付けるためには、僕にはドラクレイユ人と戦う力があるってことを……エルファース人にも勝機があるってことを示さないといけない)


 暗色の装束に着替え、ロカは梁の上で機をうかがう。


(僕の存在に気づかれる前に……魔法を使う暇も与えないうちに、この家にいるドラクレイユ人を殺しつくす)


 無差別な虐殺がしたいわけではないので、トツヒトの使用人まで巻き込むような大規模な破壊行動は取れない。だが、狙いが絞れているので暗殺に集中できる。 


 警備兵はそれなりにいるが、そのほとんどは三等市民か賤民の傭兵だ。無視して構わない。

 ドラクレイユ人は隊長クラスの三人。一等市民である館の主メイジンに仕える二等市民だろう。うち二人は昼番らしく、すでに屋敷を出ていったので相手をするのは夜番の一人だけで大丈夫そうだ。


 上級使用人の中にも、夫人や子供達の話し相手として雇われている二等市民がいるようだが、日没とともに帰っていった。

 だから標的は、メイジン夫妻とその二人の子供達、それから警備隊長だ。


 自分も手伝うからここから出せと強く主張していたレアには悪いが、彼女にも他の奴隷と同様に檻の中で待機してもらっている。レアは戦力としては魅力的だが、とても隠密行動に向いているようには見えなかったからだ。 


 厨房に忍び込んだロカは、どこかに運ぶためのお茶を用意しているメイドの頭上で機をうかがう。

 やけに豪華なティーセットを使っているから、きっと貴人のためのものに違いない。周囲の声に耳を澄ませたが、主人夫妻が寝入りに飲むお茶で間違いなさそうだ。


 隙をついてポットの中に猛毒を垂らす。ドラクレイユ人の構造がどうなっているかはよくわからないが、少なくとも生き物ならば効くはずだ。 


 ついでに包丁をくすねておいて、次に忍び込むのは子供部屋。豪奢なベッドの上ですやすやと穏やかな寝息を立てているのは双子の姉妹だ。


(こんな無邪気な顔で眠っていても、しょせんは悪魔だな)


 無垢な幼子を前にしても、殺意の刃は鈍らない──だって部屋の隅には、両目を縫われて舌を切り取られた幼いトツヒトの子供が鎖につながれて悲しげにうなだれ、痛みにあえいでいるのだから。 


(子供が魔法の練習をするってことは、すべてのドラクレイユ人は生まれつき完璧に魔法を使いこなせるわけじゃない。わざわいをもたらす竜は、無力なうちに狩っておかないと)


 暗闇でもよく見える目が、そしてほのかに差し込む月明りが道を示した。 


* * *


 暗い部屋の中で、アーテは先生に差し入れてもらった歴史の本を読んでいた。

 この本には挿絵がたくさん書いてあるし、言葉遣いも平易なもので統一されている。随所で辞書を引いたり単語の書き取りをしたりしているので進行は遅いが、それでもなんとか読み進めることができていた。


(マガツトって、元々は遠い海の向こうにあるところに住んでたんですか。住んでたところを離れた一部のマガツトが、エルファースに辿り着いたのが二百年前。そこからハフリトとトツヒトの土地を奪って作ったのがこの国ですね。……マガツトなんて、海の向こうに帰ってくれればいいのに)


 踏みにじってきた先住民の怨嗟と嘆きには目もくれず、自分達の偉業を称えるだけの文章にはへどが出る。アーテは口をとがらせながらページをめくった。 


(この章は……あっ、トリス平原の戦いだ! これはわたしも知ってます! ロカからたくさん聞かされましたから。この時の星流しがきっかけで、初めてマガツトとハフリトが和平条約を結んだんですよね)


 もっとも、そのいっときの平和もドラクレイユ人はあっさり反故ほごにしたわけだが。侵略初期に、ハフリトとの間で唯一成立したその和平条約に続く平和のきざはしはいまだ訪れていない。 


(マガツトから見た星流しって、どんな風に記録されてるんでしょうか。今のマガツトも、ご先祖様みたいに命の大事さを理解してくれればいいのに)


 大筋を知っているから、このくだりはこれまでよりスムーズに解読することができそうだ。アーテはわくわくしながら文章を目で追った。 


「……あれ?」  


* * *


「大丈夫。君は助かる。もう大丈夫だからね。怖いことも痛いことも、全部終わったんだ」

「ゥ……ゥウ……?」


 ロカは血に塗れた手でいたいけな奴隷を抱き寄せる。その子の折れた両足の負担にならないように、慎重に。「後でまた迎えに来るから」と囁けば、幼い暴君姉妹の元玩具おもちゃは震えながらも歓喜の涙とともに頷いた。  


 耳標が取れて驚く下級使用人の歓声が聞こえてくる。騒ぎが大きく広がる前にすべてを終わらせなければ。


 最後の標的は警備隊長。巡回は下っ端に任せて、当人は控室で一人酒を楽しんでいた。まさか侵入者がいるだなんてみじんも思っていないのだろう。


(だいぶ酔ってるな。武装もしてない。好都合だ)


 酒に毒を垂らせば、あの男は疑いもなく飲み干すだろう。 


(武装といえば……啓蒙出兵の時のドラクレイユ人は甲冑を着ていたけど、この国に来てから甲冑姿のドラクレイユ人は見てないな。きちんと武装した兵士はみんなトツヒトだった。魔法があるからいらないってことか? でも、だったらなんでわざわざ遠征の時は甲冑なんて着てたんだろう)


 調度品や骨董品としても、武器や鎧のたぐいはドラクレイユにはほとんど定着していないようだった。

 トツヒトの富豪はそういうものを家に飾っていたが、このメイジン邸には一つもない。警備隊長の男が丸腰に見える理由も、油断が半分、魔法を使うからが半分だろう。


(まあいいか。今は集中しないと)


 足を梁に引っかけて宙吊りになり、テーブルとの距離を少しでも縮める。あとはグラスに毒を── 


「……」

「……」


 警備隊長が、何気なく伸びをしながら天井を見上げた。

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