第三十三話 虎視眈々
「先生が言ってた通り、プレゼントは全部捨てていいって言われました」
皇宮からプリゼイル宮に返ってくるなり、アーテは話紙をろうそくの火にかざした。呪いを撒き散らしながら目の前で死んだ人間の声と姿をかき消すだけの何かが今すぐに必要だったからだ。
宮廷人達から贈られた高価な服飾品や調度品は、ごみとしてまとめてプリゼイル宮の外に出しておく予定だ。先生に教えられた通りに。
高価なごみにつけるのは、幸福と豊かさを表す黄色いリボン。特別なそのごみの山は、先生が手配した下人が回収する手はずになっている。
「でも、本当にいいんでしょうか。人からもらった物を売っちゃうなんて」
「陛下は処分の手段までは指定なさらなかったでしょう? 価値のある品々を、本当に欲しがっている者の手に渡るようにするだけです。無為に捨てて燃やしてしまうほうがよほど罪深い」
「確かに。じゃあ、あの男からもらったやつも売っちゃいましょう! 宝石とかドレスとか、わたしには必要ない物ばっかりですから」
どうせどこに何があるのかアーテ自身も把握していない。衣装部屋が満杯になる前に断捨離しておかないと。
ヴァルデシウスが特に印象深そうにしているそぶりの装飾品だけいくつか手元に残しておいて、彼も贈ったことを忘れているようなこまごましたものだけ手離せば気づかれないはずだ。
だって彼は、一つ一つの品に思い入れがあるからプレゼントとして用意したわけでも、アーテに心から喜んでもらえるようプレゼントを吟味しているわけでもない。
ヴァルデシウスは、財力と権力をひけらかしてアーテの優位に立ち、『わざわざペットのために尽くしてやる自分』という愉悦に満ちた自己満足に浸っているだけなのだから。
「思い切りのいいことで。足がつかなそうなものだけより分けて売っておきますよ」
先生は愉快そうに笑っている。
「本当にいいのか、といえば……私を仲介にして本当にいいんですか? 品々を売ったお金を、私が横領するとは思わないので?」
「はい。あなたのこと、信用するって決めたから」
アーテは屈託のない笑みで答えた。高価な贈り物を横流しして作ったお金の使い道は、いつか自由になる日を迎えるためだ。奴隷の身分から解放されるためのお金を工面して貯めていくには、外部の協力者である先生の助けが必要だった。
(もし万が一、先生がわたしを裏切っちゃうとしても、危険を冒してまでわたしに構ってくれるお礼だと思えばいいんです)
実際のところ、この方法で必要な金額が集まるのかはわからなかった。エミュがそうだったように、ありもしない妄想に希望を見出しているだけかもしれない。
だが、たとえまがい物でも希望であることに変わりはなかった。それを言うなら、ロカの生存を信じることだって他人から見れば根拠のない妄執に過ぎないのだ。今さら楽観的な観測が増えたところで何も変わらないだろう。
「ずいぶんと人のいいことで。その純粋さに応えられるよう、それなりの誠意は見せてさしげますよ」
「よろしくお願いしまーす」
「手始めに、貴方が望んでいたものを贈りましょう。ごみと引き換えにして置いておきますから、売り飛ばさないでくださいね」
「ありがとうございます!」
先生に頼んでいたのは、裕福なドラクレイユ人の子供向けに編纂された歴史の本と、その解読に使ういくつかの辞書と筆記具だ。
辞書のほうはかつて先生とその知人女性が互いの言語を学ぶために使っていたものらしく、ハフリトのアーテでも不自由なく使えるはずだという。
「本当は勉強なんて苦手なんですけどね。ここまでしてもらったからには、マガツトの言葉、簡単な単語ぐらいはすぐに覚えてみせますよ!」
「おや、そうだったんですか? てっきり貴方は、知識の探究を好んでいるのかと」
アーテは顔を赤らめる。
(勉強好きな恋人がいて、知識が大事だって言うのも全部あいつの受け売りです……なんて、年上の男の人には恥ずかしくて言えません!)
アーテが敬語で話すようになったのも、もとをただせばロカに釣り合うようにちょっとでも優等生っぽく見せたかったからだ。
あの根暗で歴史馬鹿で目つきが悪くてけれど世界の誰より格好良くて輝いていて、真面目で優しくて頭も面倒見もいい最高の幼馴染みは、アーテの中でそれだけ大きな存在だった。
甘酸っぱい沈黙に、先生は何かを察したようだ。「まあ、学習意欲に満ちているなら私から言うことはありませんが」と含み笑いが聞こえてくる。
「まっ、任せてくださいっ! 難しい本だってすぐ読めるようになりますからね! わたしの成長速度に先生もきっと驚いちゃいますよ!」
アーテはやけになって叫び、ろうそくの炎を吹き消して話紙での会話を終わらせた。
* * *
「儂の身体では足手まといになるのはわかるが、お前さんを一人で行かせるのは……」
「大丈夫。僕は一人じゃないよ。貴方から教えてもらった知識は全部、ここに入ってるから」
マートンの不安を打ち消すように、不敵に笑うロカは指でトントンとこめかみを叩いた。
これからロカは、革命軍結成のためのイード夫妻からの試練──人間狩り大会の阻止のために帝国貴族の屋敷に潜入する。
「マートンさんはここに残って、組織の名前とシンボルマークをこの荘園の人達から募集してて。ヘラ様はあまりいい顔をしないかもしれないけど、僕が帰ってきたらすぐにでも活動したいから」
「それは構わんが、組織名とマークじゃと?」
「そう。十分な数が集まったら投票でどれにするか決めればいい」
ロカの言葉に、マートンは大きな疑問符を浮かべている。
「僕達の目的はドラクレイユ人の支配を終わらせること。わかりやすいだろ。こんな感じに、目標は単純明快であればあるほどいい。誰の心にも届くから」
頭の固い者、学のない者、それから幼い子供にも。なんなら敵対者達にだって。自分達が一体何を目指しているのか、きちんと認識されて理解されなければ話にならない。
「だけどそれはそれとして、心を揺さぶって士気と結束力を高めるためには過剰なくらいの装飾も必要なんだよ。それが名前とシンボル。みんなで決めたものならなおさらいい」
目標を知らしめるだけでは足りない。それは当然の第一歩、あくまでも前提条件だ。
歴史が変わるほどの熱狂を生み出すには、民意を掌握する必要がある──自分こそ歴史を変えた英雄の一人であり、その瞬間に立ち会った目撃者になるのだと、当事者意識を植えつけるのだ。
「組織の名前は所属する自分達を表す。だから味気ないものじゃだめだ。自分達はどこまでも格好いい、正義と勝利の体現者だって信じてもらわないといけないんだから。最初のメンバーが十分盛り上がっていれば、輪の外からも興味を引かれて自然と人が集まってくる」
「ふむ。一理あるな。よし、儂もお前さんが戻ってくるまでただ寝てばかり過ごす気はないからの。お前さんの言う通りにしよう」
(たとえ僕が失敗したって、そのこけおどしにつられて荘園の人を少しでも引き抜ければ結果は出せる。もちろん失敗するつもりはないけど)
覚悟と決意はこの胸に。アーテを助けるためならなんだってしてみせる。
潜入に使う様々な道具を揃えたロカは、さっそく目的とする残酷な貴族の屋敷へと向かった。
*
暗色の装束に身を包んだロカは、薄暗い梁を伝って貪歯獣のように駆け、飛滑獣のように飛び回る。メイジン邸には多くの使用人がいたが、都会育ちの文明人では考えられない身のこなしのすばしっこい侵入者を捕捉できる者はいなかった。
ロカの身体能力は女の子のアーテにも劣る。身体を動かすことが苦手で、同年代と比べて筋肉も発達しているとは言い難い──しかしそれは、未開の森で原始的な生活を送る月の氏族にしては、という意味だった。
年頃の少年達が度胸試しの遊びとしてよくやるような、宙をくるくる回りながら跳んで細い木の枝の上に音も立てずに平然と着地したり、まっすぐそびえる樹の幹の小さな凹凸を頼りに手足の指の力だけで駆け上がったり……なんて芸当、ロカにはとてもできない。だが、飾りも同然のちゃちな塀を乗り越えたり、屋根はもちろん屋敷を支える太い梁の上を通って我が物顔で移動したりするぐらいはできるのだ。
(マートンさんの話から予想した通りの間取りみたいだな)
一日かけて梁の上から注意深く敷地内の造りと屋敷の人々の様子を見て回ったロカは、隅で息を整えながら、聖ドラクレイユ帝国までの道中で聞いたマートンの言葉を思い出していた。
──月の氏族が樹木と一体となる家を建て、風の氏族が洞穴を家として、砂の氏族が巨大な布で家を作るように、マガツトにも独自に根づいた生活と建築の様式があるのじゃ。
奴隷として三十年間この国で暮らしていたマートンは、一人の主人に仕えていたわけではない。中古のモノのように扱われ、様々な所有者のもとに売り飛ばされてはこき使われてきた。
最下層の奴隷という立場のせいで有益なツテや専門的な知識は持っていないが、肌で身につけた知見と知恵は侮れない。それらはすべてロカへと受け継がれていた。
──あの国のことについて、基礎なら儂が予習させてやれる。本のように都合よく編纂されたものではなく、儂がこの目で見たすべてを伝えよう。実際どうなっているかは、その時々でお前さん自身が確かめて応用していくんじゃな。
(貴方の三十年は無駄にしないよ、マートンさん。貴方の人生は僕が継ぐ)
ロカは一呼吸置いて床に降り立つ。そこにあるのは使用人室がある地下への入り口だ。
(大きな催しがあるから、普段より臨時の使用人や業者の出入りが多いはずだ。知らない顔が一つ混じっていたって疑われない。この広い屋敷に住むマガツトは、いちいち使用人の顔なんて見ていないだろうし)
目についた部屋から予備の仕着せを拝借し、持ち込んでいた銅の耳標を嵌める。元々着ていた服は地下室を出てから梁の上に隠せば、使用人として雇われた賤民の少年奴隷のできあがりだ。
厨房に立ち寄って果物がどっさり入った籠を盗み出したロカは、本邸を出て外にぽつんと建つ家畜小屋へと向かった。家畜小屋と言っても、そこから獣の臭いはほとんどしない。
「エサならさっき届いたぞ? 量もずいぶん多いな」
小屋の前に立つ警備の男の耳には銅の耳標がぶら下がっている。
「あんたへの夜食に持っていけって、厨房のメイドに頼まれたんだ。いらないならオレがもらうけど?」
ロカは果物の山から一つ取り出す。とても柔らかくてそのまま丸かじりできる甘い果実だ。警備の男に差し出すと、男はでれでれと相好を崩した。
「なんだアイツか。可愛いところあんじゃねぇか」
ロカから果実を受け取り、男は勢いよくかじりつき──たった一口でその場に崩れ落ちた。
「気絶するほど甘いだろう? ハトケ草の花の蜜を注入しておいたから」
ネイカ大森林に自生する毒草から抽出した、狩りにも使われる強力な麻酔薬はあっさりと警備の男の意識を奪う。男から鍵束を拝借し、ロカは家畜小屋に足を踏み入れた。




