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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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第二十九話 貴方のための贈り物

 ヴァルデシウスによる凌辱は永遠に続いていたかのように思えたが、実際には二時間ほどのことだったらしい。それでもアーテの心をすり潰すのには十分すぎるほど長い時間だった。


 午後に会議があるとかでヴァルデシウスは逃げるように帰っていったので、泥の中に沈む身体を無理やり引きずって浴室に向かう。

 蛇口をひねるとあふれる水は、森の泉の水より冷たくて刺々しかった。この水はどういう仕組みか放っておけば熱いお湯に変わるのだが、アーテはそれを待たずに肌を強くこすっていく。


(汚いものはちゃんと洗い流さないと。全部。全部)


 身体のどこにもヴァルデシウスの痕跡を残したくない。無心で身を清めていたアーテは、連続三回のくしゃみとともにようやく我に返った。寒い。おかしくもないのに笑みがこぼれる。


「生きてるんだ、わたし」


 お腹が鳴った。正午を少し回ったところなので、まだ日は十分に高い。


(今日は自分で作るんじゃなくて、メグリムさんの作ったご飯が食べたいです)


 食堂に行く前に、アーテはエミュの部屋に行くことにした。エミュはベッドの上で半身を起こしたままぼんやりと前を見ている。

 カーテンの開かれた窓から差し込む陽光が柔らかくエミュを照らしていた。少しでもエミュが過ごしやすいようにと、メグリムが手を尽くしたのだろう。彼女の姿はなかったが、食事の用意をしているのかもしれない。


 アーテが部屋に入っても、エミュは微動だにしなかった。それでも構わずアーテはベッドへと向かう。


「エミュ様」


 呼びかけながら、アーテはエミュの耳で揺れる戒めに手を伸ばした。華奢な指先が灰色の板に触れた瞬間、家畜の証はあっけなくエミュの元を離れる。


 ベッドの上に滑り落ちた固く小さな板が二度とエミュを傷つけないように、アーテはそれを屑籠へと放り投げた。


「あなたはわたしの友達の中で、一番強くて気高い人です」


 エミュは何も答えなかった。それでも構わない。アーテはエミュの手に指を絡めて目を閉じる。敵地でたった一人、最後まで勇敢に戦った真砂まさごの戦姫の安寧を、ふるき神々に祈りながら。


*


 思った通り、厨房からはいい匂いと人の気配がする。モニータは料理なんてしないから、メグリムがいるはずだ。


「メグリムさんっ、今日のご飯は何ですか?」


 アーテは朗らかに声を張り上げて厨房に足を踏み入れた。ヴァルデシウスに連れていかれた後に何があったかなんて、みじんも気取られないように。


「白身魚の香草焼きと、野菜の冷製ポタージュさ。アンタの分も用意してやったら食べるかい?」

「さすがメグリムさん! 食べます食べます、ありがとうございます」

「じゃ、出来上がるまでその辺で適当に座って待ってな。待ちきれないなら先にパンをつまんでてもいいけど、腹を膨らませすぎないようにするんだよ」

「はぁい。……あれ? これ、なんですか?」


 厨房の片隅に、今朝はなかったはずの木箱がいくつか増えている。


「ああ、追加の食料品だってさ。足の早いやつだけより分けて、残りは食料庫に持っていこうと思ってね」

「追加ですか? 今週届いたもの、まだ残ってるのに」

「宮廷の厨房からの補填のつもりなんじゃないかい? ほら、ちょっと前までは皇后陛下のせいで支給が減ってたから。それに、アンタ宛てにドレスやらなにやら色々届いてるんだよ。後で衣装部屋に運んでおいてやるからね」


 宮廷の晩餐会で何が起きたのか、メグリムには詳しく話していない。しかしエミュが早産し、ミルパメラからの嫌がらせがぴたりと止んだことで、メグリムも何かしら察しているだろう。当事者であるアーテに余計な負担をかけないように口を閉じているだけだ。

 宮廷中を巻き込む粛清の嵐についても、遅かれ早かれ彼女の耳に入るに違いない。けれどその時も、今と同じように知らないふりをしてほしかった。


「ドレスとかは別にいらないんですけど……。まあいいや。食べ物は食べちゃいましょっか。もったいないですし。エミュ様にも栄養のあるもの、いっぱい食べてもらいたいですもん」


 アーテは何気なく木箱のうちの一つを開けた。ぎっしり入っている食材の中に腐りかけのものは一つもない。帝国の食材の目利きについては明るくないが、これまで届けられてきたものより高級さが増している……気がする。


(これがあの男の寵愛とやらの結果なら、別に嬉しくはないですけど。わたし達のことを考えてくれてるわけじゃなくて、あの男のご機嫌を取ろうとしてるだけなんですし)


 どうせ餌付けの一環でしかないのだから贈り主には感謝の気持ちなどないが、食材そのものと生産者については罪はない。ありがたくいただくことにして、なんとなしに物色してみる。


「えっ!?」


 アーテの目を奪ったのは、木箱の一角に鎮座していた薄緑色の丸い果実だった。

 傷つかないように、白くて柔らかい組み紐の網にくるまれている。網と果実の隙間には白いカードが挟まっていた。ヘタの部分には白いリボンが綺麗に結ばれている。


「なっ、なんでロンメロが帝国に!?」

「どうかしたのかい?」


 慌てて果実を取り出すアーテに、メグリムは胡乱げな眼差しを向ける。


「これ! この果物! ロンメロの実って言って、甘くて柔らかくて美味しいんですよ!」

「ああ、それか。見たことないモンだったからどうしようかと思ってたんだけど、果物なのかい」


 アーテが抱えたロンメロの実をメグリムはしげしげと見つめる。


 「はい。わたしロンメロ大好きです。エミュ様もきっと好きですよ。冷やしてから大きなくし形に切って、食後のおやつにみんなで食べましょう! 皮は剥かなくてもいいんですよ、そのまま果肉をスプーンで掬って食べるんです!」

「わかったよ。アンタがそんなに興奮するならよっぽど美味うまいんだろうねぇ」

「はいっ。きっとメグリムさんもびっくりしますよ!」


 だが、ロンメロの実はハフリトの農業技術があってこそ育てられる。カンナビでしか栽培されていない珍しい果実だからトツヒトの街では高く売れるのだと、ロカが以前教えてくれた。カンナビのないドラクレイユにあるはずがないのだ。

 だからこのロンメロの実はどこかの里から奪ってきたのか、ハフリトを農奴として働かせて収穫したものなのかもしれない。そう思うと喜びにも陰りがさした。


「さっさとおよこしよ。冷やしてくるから」

「あっ、ごっ、ごめんなさい」


 アーテは慌てて網を外してロンメロの実をメグリムに渡す。けれど網を外した時に、カードがひらりと床に落ちた。拾おうとしてかがんだアーテは、そのカードに小さく何が書かれているかに気づいて動きを止める。


 それはハフリトの文字だった。ハフリトでなければ、ただの紋様だと思って見過ごしてしまうだろう。だが、アーテはその文字が意味する言葉を正確に読み取ることができた。


『コレハヒミツノオクリモノ』


『コノカードトクミヒモハ アーテリンデ アナタノタメニ』


『ヒトリノトキニ カードヲホノオニカザシナサイ』


 アーテは震える手でカードと網をワンピースのポケットにねじ込んだ。メグリムは何も気づいていない。彼女にすら知られてはいけないことのような気がした。


(ロンメロをくるんでた組み紐も、ロンメロのヘタに結んであったリボンも、安全を意味する白い色。わたしをアーテリンデって呼ぶってことは、わたしを知ってる人じゃありません。でも、ハフリトの文化には詳しいはずです。わざわざロンメロを贈ったのも、わたしの目に留まらせるためでしょうか)


 この宮廷には、ハフリトの文字を理解できる何者かがいる。その誰かは、アーテにこっそり何かを伝えようとした。だが、それが一体どこの誰なのかがわからない。筆跡にも覚えはなかった。


「ねえ、メグリムさん。宮殿にハフリト……えっと、国なしっているんですか?」

「アタシもほとんどこの屋敷の外には出ないから、大して詳しくはないけど……アタシの知る限りはいないはずだよ。下働きの仕事は賤民で足りるからね。少なくとも、下種の耳標をつけてる奴は見たことないよ」

「じゃ、じゃあ、奴隷じゃなかったら? トツヒトのふりをして、宮廷に出入りしてる人がいるかもしれませんよ」

「宮廷にいる三等市民と賤民なら、それなりにいると思うけどねぇ。国なしかどうかなんて見ただけじゃわからないよ」

「そうですよね……」


 誰とも知れない贈り主の言うことを聞くことに不安はある。だが、彼あるいは彼女の正体に近づくためにはひとまずカードの指示に従うしかなさそうだ。

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