第二十八話 革命軍結成のために
「ロカさん、顔を上げてくださいまし。貴方の言葉はとても眩しくて、希望に満ち溢れていますわね。貴方のおっしゃる通り、ドラクレイユ人の支配を終わらせることができたなら、一体どれだけの救いがもたらされることか……」
ヘラは祈るように手を胸の前で組む。けれど首をふるふると横に振った。
「ですが残念ながら、貴方の大きな願いを支えるだけの力はデーネンにありません。私兵を集めているのではないかと疑われないように、そして地獄に耐えきれない者達を優先的に助け出すために、夫は一定の基準をもって移住候補者を選んでいます。ですから、ここには戦える人がほとんどいないのです」
(確かに。荘園内をざっと見て回ったけれど、働き盛りの男の人は少なかった。僕とそう年の変わらない、若い兵士が何人かいたぐらいか)
恐らく、奴隷だった子供達が大きくなった姿なのだろう。門扉を守っていたそばかすの兵士や、案内してくれた愛想のいい兵士も、ここで育った元奴隷の子供達だったとしたら信用に足る存在として荘園の守りを任されていても不思議ではない。幼い頃に城主に救われた恩を忠誠で報いようとするのは容易に想像できた。
(とはいえ、女の人でも砂の氏族の生まれなら、小さいころから戦う訓練を受けてるはずだ。ヘラ様が渋る本当の理由は、戦力がないことじゃない)
「そもそもここは、虐げられてきた弱き者達の最後の安息の地です。デーネンを預かる者として、住人達の安寧をおびやかすような選択は取れませんわ」
それは揺るぎない宣告だった。荘園の女主人として、ヘラはきっぱりと言い切る。
「この箱庭を守るために悪魔のうごめく宮廷で戦ってくれている、夫の足を引っ張ることもできません。叛逆が失敗に終われば、わたくし達が十年かけて築き上げたこの荘園は跡形もなく破壊されてしまうでしょう」
(なるほど、こっちが本音だな。人の命を重んじて、現実的な判断も下せる……やっぱりこの人には味方になってほしい。アーテが絡むと、僕は冷静になりきれないから。未熟な僕には、マートンさんやヘラ様みたいな公平な視点で僕を抑えてくれる人が必要だ)
ロカはこぶしを握り締め、じっとヘラを見つめた。マートンは黙したままだ。
静かにロカを見守る彼の眼差しは、後押ししているようでもあり、試しているようでもあった。口を挟む気はないのだろう。これはあくまでもロカの戦いだ。そうだ、これから帝国全土を敵に回そうというのに、たった一人の女性すら言いくるめられなくてどうする。
「貴女の憂いはもっともです。いきなり現れた僕に命を預けろだなんて、僕が貴女の立場でも頷けないですから。……だけど、どうか僕に、貴女の信頼を勝ち取るチャンスを与えてくれませんか」
そう簡単に引き下がるわけにはいかない。ヘラが必死でデーネンを守ろうとしているように、ロカにだってどんな手を使っても助け出したい人がいる。
「僕は必ずデーネンの……いいや、すべてのエルファース人を恐怖から解放して、新しい未来を掴んでみせます。けれどそのためには、僕と一緒に戦ってくれる同志が必要なんです」
「わたくしだって、ドラクレイユ人の圧制を終わりにしたいと心から願っています。きっと誰もがそうでしょう。太陽竜に虐げられ続ける人生など、我が子に味わってほしくもありませんわ。この暗黒の時代はわたくし達の代で終わりにしたいと、どれだけの親が涙を流したことか!」
ヘラの悲痛な叫びが夜の闇にこだまする。遠くで聞こえる賑やかな宴の音楽も、今はただ虚しく響いていた。
「けれど敵はあまりにも強大で……。この二百年間、同じ願いを胸に抱いて戦った者達は、悲願を叶えることなく散っていきましたのよ。貴方も同じ道を辿るかもしれません。愛した人を救えないまま志半ばで倒れる恐怖と屈辱に、貴方は耐えられますの?」
「その時はその時です。たとえ僕が途中で死んだとしても、遺志を継いでくれる仲間がいればいい。そもそもこの戦いは僕一人のものじゃなくて、エルファース人全体のものであるべきなんですから」
ヘラはしばらく何も言わなかった。永遠にも思えるような沈黙は、本当はたった数十秒にも満たなかったのかもしれない。けれどロカにとっては長くて重い時間だ。ヘラにとってもそうだったに違いない。
「ロカさん、貴方の想いはよくわかりました。けれど、わたくしだけでお返事することはできませんわ。一晩時間をいただけませんこと? 夫に相談いたしますから」
言葉が持つ一音一音の重みを噛みしめるように、ヘラは厳かにそう告げた。その返事だけでも引き出せたのは、ロカの言葉が彼女の心を動かしたからに他ならない。
「ありがとうございます、ヘラ様」
「革命への協力の話は、この場ではもうこれ以上できませんわ。ですが、せっかく勇気を奮ってくれた貴方を手ぶらで返すのも忍びないですわね……」
ヘラは頬に手を添えて視線を宙にさまよわせる。
「そうですわ、貴方の捜している女の子について、何か行方の手がかりになることをお話しできるかもしれません」
「本当ですか!?」
「そのアーテという子は、間違いなく帝国に奴隷として拉致されてしまいましたのね?」
「はい。僕達の住んでいたカンナビの近くにあるトツヒトの都市が、ドラクレイユ人の啓蒙出兵とかいうものに襲われたんです。僕達のカンナビも巻き添えになって、きっとアーテもその時に……」
するとヘラはさっと顔を青ざめさせた。
「帝国が奴隷を集める手段は三つあります。一つ目はトツヒトの国々から生贄として人を献上させること。二つ目は民間の奴隷商や賊による営利目的の誘拐と人身売買。そして三つ目は、特別な認可を得た奴隷商が軍人に同行して、戦地で人をさらうこと。この従軍奴隷商を連れた遠征が、啓蒙出兵ですわ」
「特別な認可、ですか?」
「ええ。王侯貴族と特に懇意にしている、裕福な奴隷商達が対象ですの。帝室御用達の彼らに捕まった奴隷はまず帝都の皇宮に連れていかれて一等市民への献上品にされます。その選定にあぶれた奴隷は、国営のオークションに出品されることになりますわ」
「つまり帝都に行けば、アーテの足跡が追えるかもしれないってことですか!?」
「ええ、そうですわ。どこの誰に飼われているかわかれば、きっと居場所も突き止められるでしょう」
「ありがとうございます、ヘラ様。ヘラ様が啓蒙出兵に詳しくてよかった」
するとヘラは弱々しげに微笑んだ。気高く凛とした雰囲気が一気に霧散する。悲劇に見舞われた一人の女性がそこにいた。
「わたくしも十三年前に啓蒙出兵でこの国に連れてこられて、ある貴人に飼われていましたから」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
「いいえ、いいのです。事実ですもの。わたくしを牢獄から救ってくれたのが夫ですわ。彼は牢を守る太陽竜の目を盗んで、わたくしを連れ出してくれましたの。まるで魔法のように」
「そういうことだったんですね……。貴女のご主人が使った魔法は、きっとドラクレイユ人のものとは違って、とても優しいものなんでしょう」
ヘラの頬はかすかに赤みを帯びている。夫である男性のことを心から信頼しているのだろう。
(デーネンの城主が中央に隠れてまでこの楽園を築き上げたのは、単純な善意の人助けが目的じゃなくて、この人が理由なのかもしれないな……)
竜の巣の中にひっそりと築かれた安息の箱庭。周囲の視線を遮る高い石壁に包まれた楽園のはじまりは、残忍なドラクレイユ人の贄にされた乙女を守るためだった。
「同じ魔法は貴方にも使えるのではなくって? 夫は常々言っていますもの。“愛する女性のためなら、私に不可能なことは何もない”、と。大切な女の子を助けるために山を越えてここまで来たロカさんなら、きっと夫と話が弾むと思いますわ」
「そうですね。僕もいつかご主人と話をしてみたいと思います」
ロカはしみじみと頷く。適当に話を合わせたわけではなく、心からの言葉だった。
(宮廷に仕える高級官僚なら、皇宮に連れていかれたアーテのことを何か知ってるかもしれないし)
仲間と拠点を獲得するチャンスだけでなく、アーテにつながる手がかりも得られたのはかなりの前進と言っていい。デーネンに来たのは無駄ではなかった。
*
その翌日の昼下がり、ロカとマートンは城主の館の応接室に呼ばれた。対面する相手はヘラだ。
「答えをお聞かせ願えるということでしょうか」
「ええ。夫とよく話し合いました。……わずかな手がかりを頼りにして密入国した貴方達の勇気は称賛に値しますわ。ですが、口先だけの放浪者にデーネンの命運を委ねることはできません」
ヘラはまっすぐにロカを見ている。
「ですから、虐げられるエルファース人を導き解放できるだけの力が本当に貴方達にあるのかどうか、それを試させてほしいのです」
「わかりました。お受けしましょう」
ヘラの目に宿る期待に応えるように、ロカも真摯に頷いた。
「デーネンから少し南に行ったところに、メイジン卿という貴族の屋敷がありますの。一週間後、そこで『狩猟大会』が開かれるそうですわ。貴方達には、これを阻止していただきたいのです」
その大会は、ドラクレイユ人の幼い子供達の魔法の練習のためのものだとヘラは言う。近隣に住む一等市民や二等市民の子供達を招待し、魔法だけで獲物を狩ることによって魔法の扱い方を学ばせるのだ、と。
「もちろん、危ないと思えば途中で撤退してくださっても構いません。誰も責めはしませんわ」
「わざわざ僕達へのテストに使うんです。きっと名前通りの催しじゃないんでしょうね」
ロカはドラクレイユ人への侮蔑を込めて吐き捨てる。ヘラは言葉に詰まったように、憂いを帯びた眼差しを窓の外に向けた。代わりにマートンが苦み走った表情で口を開く。
「大会で獲物として放たれるのは、下種と呼ばれる奴隷達じゃな?」
「……ええ。その通りですわ。すべてのエルファース人を救うとおっしゃるなら、手始めにあの残虐な遊戯の的にされた人々を助け出してくださいまし。それを果たせるのであれば、デーネンは貴方達の同胞として、惜しみのない支援を約束いたしましょう」
(やってやる。ヘラ様達の信頼を勝ち取れば、人手も情報も、資金だって手に入るんだ。その力があれば、きっとアーテを助け出せる)
ロカの眼にはアーテしか映っていない。けれどその熱が生み出す輝きの前には、燃料が何かなど些細なことだろう。
アーテのために。ただその一心で革命の火を灯した若き英雄が多くのエルファース人を魅了することになるのは、そう先の話ではなかった。
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