第二十六話 密入国
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「今アーテが僕を呼んだ気がする」
「お前さん、それを言うのは何度目じゃ?」
ロカの唐突な独り言に、マートンは呆れたようにため息をついた。旅の途中で幾度となく同じことを聞かされてきたからだ。
「疲れが溜まっとるようじゃし、この街で一晩休んでいくかのう」
「疲れてないし幻聴でもない。第一、デーネンまではもう目と鼻の先だろ。少し情報を集めたらすぐに行くぞ」
ロカはそっけなく答えて周囲を見渡した。右を見ても左を見てもトツヒトばかりのこの街は、とても聖ドラクレイユ帝国の一領土だとは思えない。けれど確かにここはマガツトが支配する国で、道行くトツヒト達は国民だ。
三等市民か、それとも賤民か。この国における社会階級についてはマートンから聞いていたが、一目見ただけでは区別がつかなかった。向こうから見ればロカ達は、賤民だと思われているのだろう。
騎獣の底力を最大限発揮して険しい山脈を越えたロカは、持ち前の手先の器用さとマートンの助言でもって帝国の通行証を偽造した。
帝国内の共通語はマガツトの言葉だ。マガツトもトツヒトも、国民ならみなマガツトの言葉を使う決まりになっている。
富裕層が所有する奴隷向けに、話す言葉を翻訳できる高価な魔法の道具も売っているようだが、トツヒトの言葉もマガツトの言葉も習得しているロカにその道具は必要ない。マートンには耳が聞こえないふりをしてもらい、会話はすべてロカが担当した。
おかげで怪しまれずに旅を続けることができて、やっと今日デーネンから一番近い街に着いたところだ。日が沈む前までには、数多くの奴隷が監禁されていると噂の荘園、デーネンに潜入したい。
長旅で蓄積した疲労をものともせずに、ロカは騎獣の上から注意深く周囲を観察する。
「……いた。マートンさん、あれ、つけるよ」
「よしきた」
ロカは小声で囁き、マートンの右耳に鉄の板をつけた。下種の奴隷の証だ。もちろん本物ではない。マートンの証言をもとにして、かき集めてきた廃材とありあわせの染料で作った精巧なレプリカだ。
ロカは本物の耳標を見たことはなかったが、その出来栄えはマートンが奴隷時代の劣悪な境遇を思い出して冷や汗を浮かべるほど本物そっくりだった。異なる点といえば、主人に隷属するための魔法が一切かかっていないことと、耳に開けた穴に針を通して留めるのではなく本当はただ耳たぶを挟んで留めるだけの仕掛けになっていることだ。
ロカが見つけたのは、十人ほどのハフリトの奴隷を檻付きの荷車に乗せた二人組のトツヒトだった。きっと奴隷商だろう。
奴隷商達は大衆食堂のそばの停車場に荷車を停める。そのうちの一人が店に入っていった。
ロカは騎獣を器用に操り、荷車に近づく。檻の中の奴隷達はみな痩せこけていて、あまり待遇がよさそうに見えない。
(小さい子供達とお年寄り、それから不健康そうな人達。噂通りだな。奥に一人だけ綺麗な女の人がいるけど)
きっとこの奴隷達は、デーネンの城主に買われた奴隷だ。搬送の途中なのだろう。あるいはこれから売り込みに行くところなのかもしれない。
「ねえおじさん!」
「なんだボウズ」
御者台に残っていた奴隷商に明るく声をかけると、奴隷商はあくび混じりにロカを見た。
「この辺りに、不良品の奴隷を買ってくれる変わったお金持ちがいるって聞いたんだけど、知ってる?」
「ああ、そりゃデーネンって荘園の主のことだ。うちの商品も売約済みでな。ボウズもソイツを売りに行くのか?」
奴隷商はマートンに向けて顎をしゃくった。ロカは頷く。
「うん。うちの親方が連れてけって。もう支払いは終わってるから、後は届けるだけなんだってさ。おじさん、そこには何度も行ってるの?」
「まあな。っつっても、城壁の向こうがどうなってるかは知らねぇが。門番に商品を引き渡したら俺らの仕事は終わりなんだよ。中に入れていいのは奴隷だけって言われてんだ」
奴隷商はやれやれと首をすくめている。慣れた口ぶりから、彼がよくデーネンに奴隷を運んでいるのがうかがえた。
(ということは、奴隷商人の丁稚のふりをしても中には入れてもらえないな。マートンさんだけ行かせるわけにもいかない)
ロカは少し押し黙る。その表情を不安からくるものだと思ったのか、奴隷商は軽く笑った。
「初めてなら一緒に行くか? 外から見るだけでも陰鬱でおっかねぇとこだから、一人じゃ近づきたくねぇだろ」
人を外道に売りつける仕事をしている割には、この男は気さくな人柄らしい。堅気には……あるいは、下種以外に手は出さないタイプなのだろうか。
「ほんと? ありがとおじさん。ねえ、デーネンの荘園主ってどんな人?」
「ネチネチした嫌味な男だよ。抜き打ちの監査だとか言って店やら競りやらに顔を出しては、難癖つけて商品を買い叩いてくんだ。……まあ、不良在庫を引き取ってくれるって意味じゃありがてぇ客だけどな」
男は苦々しげにぼやいた。変わり者の上客に、あまりいい感情は抱いていないらしい。
「ふーん。じゃあ、荷台にいるのは全員不良在庫ってヤツ?」
「ああ。一人だけ、こっちで気を利かせて見繕った上物がいるけどな。まとめ買いのオマケにしちゃ高価すぎるが、仕方ねぇ」
きっとそれがあの美しい女性のことだろう。アーテが『不良品』だとは思わないが、そういう理由で彼女もデーネンの城主に献上されている可能性は十分にある。
「相手は偉いお役人だから、こっちも目をつけられるわけにはいかねぇんだ。あいつに逆らったせいで商売ができなくなっちまった同業者もいるからな。わいろ代わりに奴隷を融通するぐらい安いもんさ」
ちょうどもう一人の奴隷商が二人分の弁当を手にして帰ってくる。相棒に事情を説明されると、彼は興味なさげに頷いた。
やがて荷車が動き出した。車輪が悲しげに軋む。
奴隷達を乗せた荷車の後を追う前に、ロカは鞄から紙とペンを取り出した。赤褐色の板がついたイヤリング……賤民の奴隷であることを示す、銅の耳標もポケットに忍ばせる。もちろんこれもロカが自作した偽物だ。
「これでよし、と」
マガツトの言葉で短い伝言を書いた紙を丁寧に折りたたみ、耳標と一緒にポケットにしまった。『この少年奴隷もさしあげます。どうぞご自由にお使いください』……デーネンの荘園領主が噂通りの下衆なら、奴隷商の親方がしたためた手紙とささやかな贈り物を受け取ってくれるだろう。
荷車を見失わないうちに騎獣で追いかける。東に向かってしばらく走っていると、前方に高い石壁が見えてきた。きっとあれがデーネンを囲う城壁だろう。
壁が高すぎて、中にあるであろう城館の屋根すら見えない。奴隷商の男が言っていた通り、荘園と言うよりまるで堅牢な要塞のようだ。あるいは、奴隷達を捕らえる監獄と言ったほうが正しいのだろうか。
寒々しい石の壁は周囲のすべてを拒絶している。固く閉ざされた城門の前には若い兵士が立っていた。鼻筋に散ったそばかすこそ初々しいが、刺のある目つきで来訪者達を待ち構えている。
「止まれ!」
「イード閣下がお買い求めになられた商品をお届けに上がりました」
荷車を停めた奴隷商達は御者台から飛び降りて恭しく一礼した。ロカもマートンを手伝って騎獣を降り、わざとたどたどしく奴隷商達の真似をする。
「話は聞いている。奴隷達を置いてすぐに立ち去れ!」
兵士はロカと同い年ぐらいだった。来訪者に侮られないようにするために、精一杯もったいをつけながら声を張り上げている。緊張からか、彼の頬はすっかり紅潮していた。
奴隷商達が荷台の奴隷を下ろす間、ロカはポケットに入れた手紙を若い兵士に渡す。手紙を取り出した時に、わざと指を引っかけて耳標を石畳に落とすと、軽やかな音が響いて方々から視線が集まった。
「あの、これ、渡すように言われてるんです。なんて書いてあるのか、オレには読めないけど」
「なんだ? ……なるほど。わかった、お前も通っていいぞ」
兵士が小さな鐘をつくと、重厚な鉄扉が開いて人一人通れる程度の隙間ができる。その奥を兵士が指さしたので、奴隷達は列をなして荘園に足を踏み入れた。
「ああ、お前もオマケのわいろってわけか」
偽の耳標を拾うロカに、よく話してくれたほうの奴隷商が哀れみの目を向ける。彼はそのまま御者台に戻った。
奴隷商の荷車はすぐに動き出し、どんどん遠ざかっていく。誰もロカのことを怪しんでいなかった。
ロカとマートンも、奴隷の列の最後尾について城門をくぐる。都合のいいことに、騎獣と積み荷が取り上げられることはなかった。
中には大きな堀と跳ね橋があり、ゆっくりと橋が下りてくるところだった。向こう岸も高い壁で囲われていて、どうなっているかここからでは見えない。
「ずいぶん厳重じゃな。奴隷が絶対に逃げないようにしたいのかのう」
「かもね。それか、よっぽど人目につきたくないのかも」
列がおもむろに動き出す。のろのろと跳ね橋を渡る群れに続きながら、ロカは胡乱そうな眼差しで向こう岸を見ていた。




