第二十四話 愛という名の欺瞞
「余はこのペットに芸をさせて見世物にしていいなど一言も言っていないし、お前が危険に晒したのはいずれ皇族に数えられるかもしれぬ小さな命だ」
「なんじゃと……?」
「罪はミルパメラ、お前だけのものではない。この場にいる貴族ども、全員が同罪と心得ろ」
ミルパメラは茫然としている。他のマガツト達も、白い顔をさらに白くさせて狼狽していた。
「罪、罪と言ったか!? わらわ達が一体何の罪を、」
「聞いていなかったのか。皇帝たる余に逆らった罪だ。せいぜい、エミュリエンヌの腹にいた子に魔力がないことを祈るんだな。そうでなければどうなるか……わかるな?」
ヴァルデシウスの一睨みで、何人かがふらっとその場に倒れ込んだ。ミルパメラですら脂汗を浮かべている。一方、アーテの心は冬の泉のように冷ややかだった。
(この人、なんで今さらわたし達の味方面をしてるんでしょう。晩餐会が始まった時、何も言わなかったくせに)
アーテは膝を曲げ、ヴァルデシウスの腕の中からするりと抜ける。マガツト達の処遇より、エミュと赤子の安否のほうが気がかりだった。
*
響いた産声はか細かったが、皇宮を包む緊張を引き裂いた。
安静のために何日か皇宮にとどまっていたエミュは、やっとプリゼイル宮に戻ってきた。
彼女は生きていた。肌はちゃんと温かく、浅くはあるが呼吸もしている。
けれどその目は、雨に打たれる水面のようにぼやけていた。
ベッドに寝かされたエミュに、アーテは無言で縋りついていた。泣きはらした目はすっかり真っ赤だったが、エミュは優しく微笑みかけてくれなかったし、抱きしめてもくれなかった。
「……非ドラクレイユ人がドラクレイユ人を産んだら、こうなっちまうんだよ。エミュリエンヌ様も覚悟の上だった」
ずっとエミュとアーテを黙って見守っていたメグリムは痛ましげに口を開く。
「生まれた子に魔力さえなければ、エミュリエンヌ様の心は守られたかもしれない。でも、エミュリエンヌ様も赤ちゃんも無事だったのは、きっと赤ちゃんが母親を守ろうとして、無自覚で魔法を使ったからなのかも……」
普段からは考えられない歯切れの悪さだ。もごもごと言い訳めいたことを言い続けるのは、アーテを慰めるためなのかもしれない。だが、アーテは聞きたくないと目を閉じて首を横に振った。
「なんで教えてくれなかったんですか。赤ちゃん産んだら、こうなっちゃうかもって」
「教えたってどうにもならないだろ。アンタが嫌がらせを黙ってたのと一緒さ」
「一緒じゃないです……」
「エミュリエンヌ様はね、自分はどうなってもいいからお世継ぎを産む気だったんだ。自分の子がドラクレイユの皇帝になれば、国なしの人権が保障されるって信じてたのさ。……バカな子だよ、まったく」
メグリムは暗く沈んだ声で吐き捨てて、涙に濡れる目元をぬぐった。悔しいのは、悲しいのは、きっと彼女も同じなのだ。
静かなエミュの寝室には、アーテとメグリムが洟をすする音だけが聞こえる。ベッドの上に寝かされたエミュの肌はすっかり青白くなっていて、一瞬でも目を離した隙に溶けて消えてしまいそうだった。
「ねぇ、皇帝陛下がいらっしゃったんだけどぉ……」
重苦しい空気を察してか、控えめにドアが開けられた。
顔を覗かせたモニータにそう告げられて、アーテは渋々立ち上がる。来るとは聞かされていたが、あの男の顔なんて見たくもなかった。
「エミュリエンヌ様のことはアタシが見てるから」
「……はい。よろしくお願いします」
メグリムにぺこりと頭を下げて、アーテは憂鬱な足取りで居間に行った。
皇帝の前だからか、びくびくしながらモニータが給仕を始める。けれどヴァルデシウスに気だるく追い払われて、すぐに彼女は退散した。
アーテはヴァルデシウスに向き合うようソファに座る。険しい顔で唇を引き結んだアーテに、ヴァルデシウスは珍しくひるんだようだ。いつものように、強引に膝に乗せようとはしてこなかった。
「ミルパメラは処刑する。エミュリエンヌを早産させて余の嫡子を危険に晒した罪、そしてお前に嫌がらせをしていた罪でな。晩餐会に出席した貴族どもにも謹慎を言い渡した」
「だからなんですか」
「ミルパメラへの刑の執行は明日だ。お前にも立ち会ってもらう。お前を傷つけることは誰にたてつくということなのか、宮廷中に理解させるためだ」
「嫌ですよ。なんでわざわざ人が殺されるところを見なきゃいけないんですか」
ミルパメラのことは大嫌いだ。彼女は奴隷を虐げて殺してしまうから。アーテが知らないだけで、もっとひどいこともたくさんやってきたのだろう。
だからといって、人が死ぬところを好き好んで見に行くつもりはなかった。どんな悪人だろうとそれは同じだ。
「これは命令だ。お前に拒否権はない」
「命令ですか。あなたはいつもそればかりですね」
アーテは嗤った。自分でも驚くぐらい冷ややかで刺々しい声だ。
「命令しないと女の子一人ろくに頷かせられないなんて。本当に情けない人」
怯えて震えるだけのさなぎから毒を持つ蝶へと羽化を遂げたアーテに、ヴァルデシウスは戸惑っているようだ。けれど本質は変わらない。強い態度と言葉で威嚇するのは、弱さゆえの精一杯の虚勢からだった。
「その……ミルパメラを排せば、お前をおびやかす者はいなくなる。だから安心するといい」
「まだいるじゃないですか。目の前に、一人」
はりぼての翅から毒の粉を撒き散らし、アーテは憎しみの言葉を吐く。
「あなたがわたし達を寵姫なんかにしなければ。あなたがちゃんと奥さんだけ愛してくれれば。あなたがエミュ様を妊娠させたりしなければ。こんなことにはならなかった!」
怒りで目の前がぼやけていく。渦巻く激情は涙となって噴き出した。
「全部あなたのせいじゃないですか! あの女達が罰を受けるって言うなら、どうしてあなたは平然とそこにいるんです? あなたも裁かれるべきなんじゃないですか?」
ヴァルデシウスは無言で立ち上がり、アーテのソファに移動してきた。
(殴りたいなら殴ればいいし、首を絞めたいなら絞めればいいじゃないですか。それとも得意の魔法ですか? いいですよ、なんだろうと耐えきってみせますから。ロカに会うまでわたしは絶対に死にません)
憤怒、そして生への執着心を燃料に、アーテは勇気を燃え上がらせる。
けれどヴァルデシウスの行動は、予想だにしないものだった。
「すまなかった、アーテリンデ。すべて余がふがいないせいだ」
「は?」
耳を疑うような言葉を口にしながら、ヴァルデシウスはアーテを抱きしめる。
「あれでミルパメラの悋気が収まるならと、静観を決め込んだのは過ちだった。お前への想いを臣下どもに知られたくないとも思っていた。だが、晩餐会の後、お前にも嫌がらせをしていたとミルパメラが自白して……余は、己の弱さと醜さに気づいた」
ヴァルデシウスは切なげに眉根を寄せる。彼の告解は続いた。
「天舞う太陽の竜の皇帝が尖り耳の奴隷にこんな想いを抱くなど、臣民に知られてはならぬと思っていた。だが、口にできぬ心に何の意味があるだろう。ゆえに余はもう、隠し立てはしない」
ヴァルデシウスはアーテを熱っぽく見つめる。すべてを飲み込む漆黒の闇の瞳に、アーテだけが映っていた。
「余はお前を愛している。本当に愛しているのだ、アーテリンデ」
「……」
彼の告白を聞き、アーテは身じろぎをしようとした。しかしヴァルデシウスのたくましい胸板と両腕がそれを許さない。
無意味な検証を済ませ、アーテは小さく息を吐いた。
「わたしを愛してるなら、どうしてわたしの意思は無視するんですか?」
身動きは取れず、涙をぬぐうことも叶わない。何もかもがヴァルデシウスの手のひらの上だ。
それでもアーテは、囚われの身のか弱い女の子でいたくなかった。不条理に抗い続けることで、自我を保ち続けていられるからだ。
「本当にわたしのことが好きなら、わたしにも選択肢ぐらいくださいよ。あなたはいつも、わたしをおどして閉じ込めて、嫌なことばっかりして。わたしは何度もやめてって言ってるのに、何も聞いてくれないじゃないですか。あなたが好きなのって、本当にわたしのことなんですか?」
それは心からの疑問だ。侮蔑と怒りを困惑で包み込んだアーテの眼差しはどこまでも冷ややかで、懐疑的だった。




