第二十話 外出の許可──ただし皇帝同伴の
ヴァルデシウスがアーテに氷の花を贈ってから、ヴァルデシウスは先触れを出さないままプリゼイル宮にふらっと現れるようになった。アーテがきちんと言いつけを守っているのか、抜き打ちのチェックをしているつもりなのかもしれない。
彼は夕方から来て翌朝までいる時もあれば、午前中だけ滞在する時もあった。ヴァルデシウスが来るとエミュ達と一緒にいられない。彼が来る時間も帰る時間もわからないので、これまで以上に気疲れする。
(わたしがちゃんとこの花をつけてたって、エミュ様達に手を出されない保証はありません。あの男が約束を守らないのは、エミュ様と砂の氏族の現状を見ればわかります)
朝の身支度のために鏡台の前に座ったアーテは唇を噛みながら氷の花を手に取る。殺風景だった部屋にはヴァルデシウスが贈り物として勝手に置いていった調度品がいくつか増えていたが、椅子だけは相変わらず一脚だけだ。
(でも、言いつけを破った瞬間、あの男はエミュ様達を喜んで傷つけるでしょう。あの男はわたしを苦しめるのが好きみたいですから。だからわたしは、言いつけを守るしかありません)
氷でできた花はとても冷たい。そんなものを持っているせいで、指はすっかりかじかんでいた。おかげで髪飾りをうまくつけられない。
アーテから体温を奪っておきながら、氷の花は汗一つかいていない。ヴァルデシウスが言っていた、融けない氷というのは本当のようだ。
消えない氷の花はまだたくさんある。ヴァルデシウスがたくさん作ったくせに、捨てようとすると怒ったからだ。仕方ないのでまとめて衣装部屋に突っ込んだ。
ヴァルデシウスからのプレゼントのほとんどを手つかずのまま放り込んでいるので、衣装部屋はすっかり物置の様相を呈している。どこに何があるのか、もうアーテにはさっぱりわからない。
幸運だったのは、ヴァルデシウスは物を贈るだけ贈ってその後のことには無頓着だったことだろう。
身につけるのを強要されたのは、彼の魔法で作った氷の花だけだ。そのおかげで、他のドレスやらアクセサリーやらについてはほったらかしにすることができていた。
メグリムの監督を受けながら朝食を作り、エミュと一緒に食べる。一日の始まりは穏やかなものだった。これでヴァルデシウスが来なければ完璧なのだが。
「皇帝って暇なんですね」
残念ながら願いは通じない。昼下がり、エミュとの手芸教室の最中に突然現れたヴァルデシウスに、アーテは白い目を向ける。
狼狽するエミュとメグリムを仕草だけで居間から追い出し、ヴァルデシウスは馴れ馴れしくアーテの肩を抱いた。
「その口の利き方はなんだ。お前のためにわざわざ時間を作ってやったというのに」
「もっと他にやることがあるんじゃないですか?」
ヴァルデシウスに近づかれると背中がぞわぞわする。鳥肌の立った腕をさすりながらアーテはそっぽを向いた。
「相変わらずつれないな。余が迎えに来てやったのだから、素直に喜べばよいものを」
しかし何が面白いのか、ヴァルデシウスはニヤニヤと笑っている。
(この男、わたしをいじめるのが好きみたいですけど、わたしに煙たがられるのも好きなんでしょうか。マガツトの考えてることってちっともわかりません)
きっと理解できる日は一生来ないだろう。白すぎる肌と短くて丸い耳、そして何より埒外の力を持つ異民族は、自分達とは別の生命体のように見えた。
「早く着替えて準備をしろ。庭園に行くぞ」
「ちょっ、下ろしてください!」
ヴァルデシウスはアーテを軽々と抱き上げる。突然の浮遊感にアーテは足をばたつかせたが、ヴァルデシウスは構わずアーテを肩に乗せるように担ぎ上げた。
「じっとしていろ。落ちるぞ」
その時、アーテのつま先がヴァルデシウスを蹴り上げた。耳標によってもたらされる痛みにアーテが歯を食いしばって耐えている隙に、ヴァルデシウスは彼女の足と腰をしっかり押さえて居間を出た。
本当はヴァルデシウスはアーテを横抱きにしたかったのだが、腕を首に回してくれる気配がなかったので強引に抱き上げた形だ。もちろんアーテにその意図は伝わらないし、そもそもお姫様抱っこなんてしてほしいとも思っていない。
二階に上がったヴァルデシウスは、廊下をふらふら歩いていたモニータを捕まえてアーテを着せ替え人形にする。
着る時間帯だとか着ていく場所だとかでどんなドレスを選ぶべきかが変わるなんてアーテは知らないし、そんな煩雑な聖ドラクレイユ帝国の上流階級のしきたりになど興味もなかった。服の使い分けなんて、ハレとケ、それから季節と天候に応じていれば十分だったからだ。
別に汚してしまったわけでも寝るわけでもないのに、一日の中で何度も着替えなければならない意味がわからない。知識のないアーテはヴァルデシウスに任せるしかなかった。
ヴァルデシウスがこれまで押しつけてきたドレスはたくさんある。その中から彼がふさわしいものを選び、それをモニータに着せられるのだ。
当然のようにアクセサリーも身につけないといけないらしい。ごてごてと宝石で飾られた鏡の中の自分をうんざりと見つめ、アーテはされるがままモニータに髪を結われた。
(あれ? なんだかモニータさんの顔色が悪いような。皇帝がいるから緊張してるんでしょうか)
少し気になったが、心配事を口に出すような間柄でもない。たとえ尋ねてみたところで、余計なことを言うなと怒られるか、なんでもないとごまかされるだけだろう。
アーテは黙ったまま、早くこの時間が過ぎてくれることを願った。モニータがちらちらとヴァルデシウスのほうをうかがってばかりなので手元がおろそかになり、何度も髪の毛を強く引っ張られたりヘアピンに髪が絡まったりして痛いからだ。
無事に着替えが済み、またヴァルデシウスは有無を言わせずアーテを担ぎ上げた。向かう先はエントランスだ。
「庭に行くんじゃないんですか? テラスはあっちですけど」
抵抗しすぎてぐったりしたまま尋ねると、ヴァルデシウスは得意げに目を細めて口角を吊り上げた。
「余の庭園に行くに決まっているだろう」
あっさりとそう答え、彼はアーテを連れたままプリゼイル宮の外に出る。図らずも牢獄の敷地の外に出ることができてアーテの表情がぱぁっと明るくなったが、すぐに首をぶんぶんと横に振ってそれをかき消した。
(この程度で喜んでちゃいけません。本当の牢獄はこの国全部なんですから。この男に連れられて家の外に出るなんて、首輪をつけて散歩してるのとおんなじです。こんなことで喜んでたら、わたし、本当にこの男のペットみたいじゃないですか)
ずっと軟禁状態だったからといって、そんな屈辱を甘んじて受け入れるわけにはいかない。自分に喝を入れるため、アーテは頬を力いっぱいつねった。
宮殿の庭園はどこを見ても美しく整えられている。トピアリー一つとっても壮観だが、果たしてその維持にはどれだけの労力がつぎ込まれているのだろうか。
アーテがぐるりと周囲を見渡すと、背をかがめてこそこそと移動する庭師達の姿が見えた。赤褐色の耳標が陽光を浴びて鈍く光っている。宮廷で働かされている奴隷のようだ。メグリムのように徴用されたのか、それともモニータのように借金を背負っているのか。ヴァルデシウスは彼らに気づいてもいない。
(この国にある豪華で綺麗なものは全部、他の国から奪ったものでできてるんでしょうか……)
他国に対する略奪と支配の結果、聖ドラクレイユ帝国は成り立っている。それはひどくおぞましく、けれど同時に脆いもののように思えた。




