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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第二章

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第十七話 望まないプレゼント

 アーテの平穏な生活は、わずか十日ばかりで終焉を迎えた。先触れもなくいきなりヴァルデシウスがプリゼイル宮に現れたせいだ。


 寝室に押しかけてきたヴァルデシウスを見た瞬間、こらえきれないほどの強い吐き気がこみあげてくる。たまらず浴室の隅に隠されている不浄場に駆け込んで胃が空っぽになるまで嘔吐を繰り返したが、気分は一向に晴れない。


(あの男はただの幻覚で、寝室に戻ったらもういなくなってるかもしれません)


 口をゆすいで顔を洗い、一縷の望みをかけたアーテは寝室へのドアを開ける。悪夢でも幻影でもなく、実体を伴った男がふんぞり返って座っていた。


 アーテは一瞬身体をこわばらせ、青い顔でよろよろと部屋の中に入った。けれどヴァルデシウスはお構いなしだ。


「遅い。余をいつまで待たせるつもりだ?」

「……来るとは聞いてなかったので」


 地味で楽な室内着を着ていたアーテをじろじろと見て、ヴァルデシウスは大げさなため息をつく。


「余の寵姫たるもの、いついかなる時でも余を迎えられるよう用意をしておけ」

「勝手に来ておいてなんなんですか、その言い草」


 噛みつくのは精一杯の強がりだ。震えているのを悟られないように、アーテはなるべくヴァルデシウスから距離を取ろうとする。目も合わせられず、視線は床の上をさまよっていた。


「そう怯えるな。せっかくお前のために贈り物を用意してやったというのに」

「怯えてなんか……贈り物?」


 ヴァルデシウス本人に気を取られてあまりよく見ていなかったが、確かに彼の前にあるテーブルには美しく包装された箱がいくつも置いてある。どういう風の吹き回しだろう。アーテは首をかしげるが、ヴァルデシウスは得意げに手招きするだけだ。


(長居されても困りますし、従うしかなさそうですね)


 アーテはいやいやながらテーブルのそばに立った。この部屋にある唯一の椅子は、今ヴァルデシウスが座っているからだ。


「開けてみろ」

「はぁ」


 とりあえず、一番小さい箱に手を伸ばした。リボンをしゅるりとほどいて蓋を開ける。照明の光を浴びてぴかぴか輝く黒くて丸い石が、ツタのように絡まる銀色の台座の中心に位置している。


「これは……」

「最上級の黒涙真珠を用いたブローチだ。初めて見ただろう?」

「ば、ばかにしないでください。ハフリトわたしたちにだってアクセサリーぐらいあります」


 ブローチ。服につける装飾品だ。綺麗な羽根や植物の殻、それから乾燥させた花に、動物に見立てて削った木。月の氏族はそういうもの装飾品を作るから、目の前にある見慣れない小物と結びつかなかっただけなのに。


 むくれるアーテを鼻で笑い、ヴァルデシウスはブローチを手に取って立ち上がった。


「つけてやろう。じっとしていろ」

「きゃっ!?」


 突然伸びてきた男の腕に硬直している間に、ヴァルデシウスはアーテの胸元に黒い真珠のブローチを取りつけた。服が粗末だからなんだかちぐはぐだ。それでもヴァルデシウスは満足そうに笑った。


「明日は仕立屋を呼んでやろう」

「……なんでですか?」

「蛮族にはそれもわからないのか。相応のアクセサリーには、ふさわしいドレスがなければならんのだ」

「違います。なんで急に物をくれるんです? 欲しいなんて言ってないのに」


 アーテはヴァルデシウスを押しのけて、力任せにブローチを外した。服が少し裂けてしまったが、この程度なら繕えるので問題ない。


「まさかこれで、わたしを懐柔しようとしてるんですか?」


 箱の中にブローチを戻し、アーテはヴァルデシウスを睨みつけるように見上げた。


(エミュ様はこの人に、砂の氏族の保護を頼みました。だからエミュ様は今もここにいます。でも、その約束が守られてるようには見えません。どれだけ優しくされたって、わたしはマガツトなんかに絶対騙されない……!)


 机上に並べられたプレゼントの箱の数々を、ぐいっと遠くに押しのける。ヴァルデシウスはぽかんとしながらアーテを見ていた。


「贈り物は受け取れません。わたしに贈るぐらいなら、本当の奥さんにあげてください」

「何を言う。余が下賜してやろうというのに、受け取らないと?」

「はい。いりません」

「ま、待て。まだ一つしか開けてないではないか。紅霞金剛石のネックレスも、蒼花晶雫石のティアラもあるぞ? どれも帝室の威光がなければ手に入らないようなまぼろしの逸品だ。明日来る仕立屋だって、帝国一の……」

「だったらなおさらいらないです。急にそんな物を持ってこられても困りますから」


 するとヴァルデシウスは苛立たしげに舌打ちをして、無理やりアーテの手を掴んで自分に引き寄せた。


「これは命令だ。受け取れ、アーテリンデ。余が直々に選んでやったのだぞ。拒むのは許さん」

「……っ」


 アーテの手首は強い力でギリギリと握り締められている。このまま骨を砕かれるかもしれないという恐怖が頭をよぎった時、アーテは思わず頷いてしまっていた。


 やっと手が離される。アーテは涙目で手首をさすった。少し痣になっている。


「で、でも、勘違いしないでくださいよ。こんなものを渡されたって、あなたの言うことなんか聞きませんから」

「フッ。相変わらず口だけは減らないな。そうでなくてはつまらんが」


 睨みつけてもヴァルデシウスは嬉しそうだ。嫌われて喜ぶ変態なのかもしれない。それとも、非力なアーテの抵抗なんて最初から歯牙にもかけていないだけなのだろうか。



 それからヴァルデシウスはことあるごとにアーテの元にやってきては物を持ってきた。よくわからないので衣装部屋に置いている。アーテはプリゼイル宮の外には出られないし、そもそも身体だって一つしかないのに。きらきらしたものを必要以上に何個もじゃらじゃらつけていたって邪魔なだけだ。


(エミュ様は、わたしがあの男に気に入られてる証だって喜んでくれましたけど……気に入られたからなんなんでしょう)


  昼夜を問わず寝室に軟禁されていた最初のころほどひどくはないが、今もヴァルデシウスはアーテの身体を夜ごとに貪っている。その対価がこの宝石やドレスだとでも言うのだろうか。

 欲しいなんて一言も言っていないのに。支配される恐怖と引き換えに得たのがこれではあまりにも釣り合わなかった。



 食堂で昼食を食べたら、居間でエミュに縫い物を教えるのが最近のアーテのルーティンだ。

 エミュは妊娠六か月らしい。生まれてくる我が子のために帽子やおくるみを自分で作りたいそうだ。

 プリゼイル宮で手に入る布や糸はあまり質がいいとは言えなかったが、メグリムがわざわざ申請して支給されたものなので文句は言えない。自分でもエミュに何か教えられることがあるのが嬉しくて、アーテは張り切って手芸教室を主宰していた。


「ふふっ。今この子、わたくしのお腹を蹴ったわ。この模様が気に入ったのかしら」

「レフノースクの刺繍ですか。エミュ様のお好きな花ですもんね。その子もきっと好きですよ」


 エミュは幸せそうにお腹を撫でている。その横顔は慈愛に満ちていた。


「アーテ。わたくしが育てたレフノースクの咲いているお庭を、この子と一緒にお散歩してあげてちょうだいな」

「……? はい、もちろん。エミュ様も一緒にお散歩しましょうね」


 エミュの言い回しに少し違和感を覚えながらもアーテは頷いた。エミュは柔らかな微笑をたたえたままだ。 


(わたしもちゃんと笑えているでしょうか)


 この時間は確かに楽しい。エミュの子供が生まれるのも楽しみだ。けれどざらつく風が心を撫でる。

 アーテはさりげなく自分のお腹を触ってみた。あれだけ嬲られているにもかかわらず、妊娠の兆候は来ていない。

 だが、もしもいずれヴァルデシウスの子を宿すことになったら、その時は──エミュのように、我が子を愛で包める自信がなかった。


 ロカに寄り添い、大きなお腹を抱えながら赤ちゃんのための小物を縫う自分の姿が脳裏に浮かぶ。本当はそうなるはずだった。そうなってほしかった。

 けれどここにロカはいない。もし今アーテが身重になるとしたら、その子供の父親はヴァルデシウス以外にいなかった。


「ごめんなさい。わたし、ちょっとお手洗いに行ってきますっ」


 耐えきれなくなり、アーテは立ち上がって居間を出た。


(顔でも洗ってきましょう。今のままじゃ、エミュ様のことをまっすぐ見られません)


 部屋に戻ろうとしたアーテだが、自分の部屋のドアがゆっくり開くのを目撃した。ほうきを手にしたモニータが、廊下の様子をうかがいながらコソコソと出てくる。


「っ!?」

「何してるんですか、モニータさん」


 モニータはアーテに気づいて顔をひきつらせた。アーテが声をかけると、開き直るようにキッとアーテを睨んでくる。


「見ればわかるじゃん。掃除だよぉ、掃除ぃ! 皇帝陛下を汚い部屋にお通しするわけにはいかないんだからぁ」

「わたしはもう自分で動けますから、わざわざモニータさんがやらなくて大丈夫ですよ」


 そう言いながら、アーテは何気なく視線をずらす。モニータの服のポケットが不自然に膨らんでいた。何か入っているようだ。


「あんたの掃除の仕方がなってないからぁ、わざわざあたしが仕上げてあげてるのにぃ。生意気言ってないで感謝してよねぇ!」


 モニータはそう吐き捨て、わざとアーテを突き飛ばすようにぶつかりながら自分の部屋に戻っていく。


「なんなんでしょう、あの人」


 アーテは首をひねったが、エミュをあまり待たせるのも悪いと思ってさっさと浴室の洗面台に向かった。

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