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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ


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プロローグ

* * *


「きれい……!」


 星魂花の綿毛が、夜空を覆いつくすように飛んでいる。月光を浴びてほのかに輝く無数の綿毛は、本物の星と比べても遜色ないほど美しい。


 百年に一度だけ、日の出とともに咲いて日の入りとともにしぼみ、夜闇の中で綿毛を散らす星魂花。祖先の魂が宿ると言われる伝説の花。星魂花が咲いて散る星流しの日は、ふるき大いなる神々に仕える者にとっては重要な祭祀だ。

 あの舞い散る綿毛の一つ一つが命の象徴であることは、大神の氏族(ハフリト)なら誰もが知っている。月神を祀るハフリト、月の氏族の娘であるアーテもそう言い聞かされて育ってきた。もちろん、アーテの隣でこの光景に目を奪われているロカだってそうだ。


「すごいです! 百年分のご先祖様が、お空に還っていってますよ!」

「ちっ、違うよ、アーテ。あれはただの種子たねなんだ。本当は魂じゃない。ああやって綿毛と一緒に種を飛ばして、どこかでまた新しく咲く準備をするのさ」


 それなのに、ロカはすぐに我に返るとしたり顔で講釈をたれる。なんだかこの感動に水を差されたようで、アーテはむっとして頬を膨らませた。


「なんでそんなこと言うんです? ロカだってみとれてたじゃないですか」

「綺麗だって思うことと、間違いを直すことは別だろ」


 ロカも負けじと言い返す。この偉そうな幼馴染の少年の態度が気に食わなくて、アーテはますますむきになった。


「でも、あの綿毛はご先祖様だって皆言ってます。お母さんもお父さんも、長老も、族長も!」

「大人だって間違えるってこと。大人の言うことを何でもかんでも信じるなよな」

「そんなこと言って、どうせロカだってこの前おじさんに買ってもらってたズカンとかいうトツヒトの本の受け売りでしょ!」


 二人はしばらくばちばちと睨み合っていたが、すぐにぷっと噴き出した。この神秘的な夜空の下に立っておきながらつまらないことで言い争っている自分達が、とてもちっぽけに思えたからだ。


「種でも魂でもどっちでもいいです。だって、綺麗なのは変わらないんですから」

「そうだな。そこは僕も異議なしだ。あの野蛮な帝国人(マガツト)ですら、星流しの美しさに感動して停戦を誓ったほどなんだから」

「また歴史の話ですか?」


 アーテは呆れたように肩をすくめる。けれどロカは気にせず、水を得た魚のように朗々と語り出した。


「二百年前のトリス平原の戦い! 砂の氏族の族長ガストル率いるハフリトの戦士達と、鬼将軍デイデルメス率いるマガツトの軍勢は激しくぶつかった! 争いは七日間続いたけれど、八日目の夜に星流しが始まって、それを見たマガツトの兵士達は突然涙を流して地に伏せた!」


 ロカは歴史が大好きだ。アーテには何が面白いのかさっぱりわからないが、遠い昔の出来事はこの幼馴染を魅了してやまないらしい。もう何十回も聞いた熱弁を聞き流し、アーテは空を流れる光を見つめた。


(ロカのばか。もう終わっちゃったことの話なんかより、もっと今のことを大切にしてくれればいいのに。今隣にいるのはわたしなんですから)


 拗ねるアーテに気づかないまま、ロカはずっと話を続けている。つまらない。つまらないったらつまらない。本当に、一体何が面白いのだろうか。


 二百年前に一度和平が成立したといっても、それはほんのひとときのことだ。悪逆非道のマガツトは、現代に至るまで大陸中を恐怖で支配して、アーテ達ハフリトのことも変わらず虐げ続けているのだから。


「こんな風に、生まれた場所も、言葉も考え方も、何もかもが違ってたってわかりあえる。それを可能にするだけの“力”が、世界には確かにあるんだ。綺麗なものも、きっとその一つだと思う」

「……そうですか? じゃあ、もし今日の星流しがお山を越えてマガツトの国まで届いてたら、またマガツトは戦うのをやめてくれるでしょうか」

「ああ。絶対そうだ。峨翳山脈やまさえなければ、マガツト達にもこの空を見せられたのに」


 大陸を二つに分けるようにそびえる峨翳がえい山脈の向こう側には、マガツト達が住まう大きな国があるらしい。

 マガツトの兵士が山を越えて侵攻するたびにトツヒト達の国は荒らされて、トツヒトの国土の隙間を縫うようにして点在するハフリトの領土カンナビも襲われる。トツヒトはともかくとしても、マガツトが自分達と同じ人間だなんてアーテにはどうしても思えなかった。


「マガツト達にも、いつか星流しを見てもらいたいな……」

「でも、次の星流しは百年後ですよ。その時わたし達、百と九つです。それまで頑張って生きないと! だって、本当にマガツトが戦うのをやめてくれるかこの目で確かめなきゃいけませんから」

「未来に託すって考えがないのか、お前」

「なんでですか? わたしが知らなかったら意味ないでしょう? 過去も未来も、わたしがいないならわたしには関係ありません」


 今度はロカが呆れる番だ。けれどアーテは子供らしい無邪気さと傲慢さでそれを振り払った。


「次の星流しも一緒に見ましょうね、ロカ!」

「うっ、うん。わかったよ、アーテ」


 交わされた約束はあまりにも軽やかで、けれど永遠を誓うに等しい。そのことに気づいているのかいないのか、幼い二人はどちらからともなく手をつないだ。


*


「ロカ……」


 愛しいその名前を呟いた途端、アーテは眠りの世界から弾き出された。


(夢、か)


 優しい世界の残り香を探すように、アーテはもう一度目をつむる。けれど幸せな追憶への扉はすでに霧散してしまっていて、もう手繰るための糸すら残っていなかった。


 仕方ないので目を開ける。暗い部屋は忌々しい現実の象徴だ。柔らかいベッド。アーテを逃がすまいと抱き締めたまま眠る青年。彼の体温がじかに伝わり、布団の中にも熱がこもっているのに何故だか寒い。目尻を濡らす涙を指でそっとぬぐい、青年の腕の中で身をよじる。彼を起こさないよう、慎重に。


(どうしてわたしは、こんなところにいるんでしょう)


 生まれたままの姿を初めて見せた相手は、愛しい恋人ではなかった。アーテのなめらかな柔肌の上に我がもの顔で置かれる骨ばった大きなこの手は、大好きなロカのものではない。


 重ねるだけの口づけ以上のことを知らなかったアーテにその先を教えたのは、彼女の隣で無防備に寝息を立てるこの男だった。

 名はヴァルデシウス。本当はもっと長ったらしい中間名やら姓やらが続くそうだが、アーテはその続きを知らない。仮に知っていたとしても、覚える気などさらさらなかった。何故なら彼は、憎んでやまないマガツト達の皇帝おうなのだから。


(ここでこの男を殺しても、里に帰れるわけじゃありません。ロカにも二度と会えなくなります)


 いつの間にか手が青年の首に伸びていた。けれどすんでのところで理性が働く。アーテの筋力で彼の首を絞められるとは思えなかった。

 それに、もしアーテがヴァルデシウスを害せばたちどころにひどい苦痛に襲われる。そういう契約を結ばされていた。耐え難い激痛のあまり漏らした悲鳴でヴァルデシウスは目を覚まし、痛みにあえぐアーテを見て歪んだ愉悦を浮かべるだろう。そういう男だ。


(会いたい……。会いたいです、ロカ……)


 じわり、視界が再び涙でにじむ。

 故郷も家族も純潔も失い、けだものに囲まれて人としての尊厳をすり潰される日々。もう純粋だったあの頃の自分には戻れない。いつか思い描いていた幸せな大人の姿とはまったく異なる現実に、みじめなアーテははなをすすった。


*

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