第四話:鵜婆女
―
祓刃宗一郎という男が亡くなって。
いや、そもそも今に至る三年前と称するか。
この世は、何がきっかけでそうしたか
地獄そのものになった。
一年だけの、戦があり
帝日という国家の崩御で国が幕を閉じた。
終焉までの筋書きはまるでお膳立てしていたかの如く、あっという間に始まり、終わる。
そして、次の年。
絶望が降る。
降った者は生き残る人を食い散らかし、今やこの帝日は異形の住処と化した。
だが、それが筆を止める結末の在り方ではなく
まだ、続きが。ある。
―
―コトッ
「おっ」
背で、音がした。
背負っていた箱の中からだ。
丁寧にと思ったが、背負っているのだ。多少は揺れよう。
箱を下ろし、足を止め、その箱に向かって笑んだ。
「すまぬ、多少は揺れてしまうな」
箱は、当然何も喋らぬ。
だから儂がおかしくなったのようにも見えるだろう。
―
儂は、病で死んだ。
まだ病がなければ、幾年かは生きたはず。
あっという間に体が蝕まれた。
旭の介護を受けながら、あの世の近し事。
時には苦しかったが、それは胸だ、心だ。体ではない。
―旭を置いて亡くなったのは、不憫に思った。
それからだ、自分は
年月の縛りもなく、あの世にいた。
自分が感じた一日は一月かもしれぬし、半年かもしれぬ。
まあ、そこにいるものに時間の概念は不要とした。
真っ白な空と、真っ赤な地面。
そこに、居たのだ。
―
「もうすぐだ、儂も少し情報を整理したい。行かねばと思っていた所があってな。寄り道になるが辛抱してくれ」
そうして箱を担ぎ、また歩を進めた。
行くべきは、そう。在るかどうか分らぬが
祓刃の我が家だ。
―
「…」
鴉が、見ている。
烏合の衆というべきか。
人を、人の集まりを、流れを見ている。
じっと、そっと。静かに。
人もまた、鴉には興味がなく
お互いの領域は侵犯されず。
「面妖だな」
鴉は、そう呟いた。
誰にも聞こえぬように、そっと。
帝日が滅びたとはいえ、人はいる。
地方はとんに過疎へと尽きたと聞いた。
つまり、人がいるのは限られた場所。
都心に近い、その僅かだ。
それでも、没した国にしては
不思議な事か、そこにいる人の営みは
決して沈み落胆し、絶望だけを抱えているわけではなく
鴉には分らぬ文明の中で、騒々しくも生きている。
そこには、異形もいない。
つまりは今この場所は、何らかの異形に対する対処法が敷かれている。
だが、やはり滅びた国。その人々が自由を謳歌している訳ではない。
幾ばくかの制約があって、その領域で生きているのだ。
―
「奴は、情報を整理すると申したな」
その分、私も下界の何たるやを知らねばと
鴉の真似してここに来た。
見上げれば、人が作ったのだろう。
塔がある。
口が下卑だと一応言っておくが、あまり良いものではない。
センスというのか、私には琴線にも触れぬ。
まあ人より私の感覚とは異なるが、それはここに生きる人の
シンボル的な存在だという。
確か周りの人間が言うていた。
「通天閣」と。
そう、ここは。
「大阪」と、言うらしい。
―
「…着いた」
あの世から、事を聞いた際。
儂はとりあえずここに行きたいと進言した。
だが、その場近くではなく。とりあえず少し離れた建造物の上にて。
委細詳細を簡略した情報だけを聞き、箱を受け取った。
『それが、せめてものである』
―
「…」
箱の、中には―
「まあ、それよりもだ」
儂は、目の前の家を見た。
―見事に、人気の居らぬ。没落した家を。
生気もなにも感じぬ門構えは、寂れたものだと言わんばかりに
傾き、みすぼらしく在った。
「嘆かわしい事だな、我が家よ」
そう言ってくぐった先の家もまた、手の施されていない廃屋同然で
幽霊屋敷と言ってもよかった。
そこに一瞬、旭と過ごした情景を感じ取る。
だが、霞であっという間に消えた。
―何があったのだか。
本当に、分らぬ。
「…とんとんと、とんとんと」
儂はそう呟きながら、周囲を歩いた。
聞こえるならば、居るならば、その可能性はわずかでも。
「…とんとんと、とんとんと」
あやつは、居るか。
それとも没したか。
人気のいない、奥の奥。
「…とんとん、と」
「そんなに叩かれては、戸が痛みます」
―
突然、目の前に
すうっと空気の糸のような降り方で、現れたのは
小さな婆であった。
何事もなき、そこが普通であり、嘆きもなく、さも
―待っていたかのように。
「…鵜婆女、息災か」
「まあまあ誰かと思えば、その姿。小さくてもわかります」
そして婆は恭しく、乱れのない手つきで
儂に土下座をした。
彼女こそが、祓刃の家に住まう歴史。
代々の当主を支えたもの。
人ではあらず。
「…私は元気でしたよ。祓刃宗一郎様」
「それは何よりだ」
婆の名は「鵜婆女」
「おかえりなさいまし。元当主様」
人ではあらず、この家に永く―住むものだ。