第十話:悲嘆懐古と取り戻せぬもの(その1)
外はもうとっぷりと、深淵を落とし
月の上弦も下弦も見当たらず。
ドライブインの少し寂れた、明りだけが人の頼りとし
その先は何処か踏み入れてはならぬ、闇がある。
「好きなとこにかけてくれよ」
「お言葉に甘えて」
佐雪の案内したテーブルに彼と鵜婆女と儂、そして飲み物を持ってきた
有賀も来た。
三つ暖かい茶を用意してくれて、佐雪だけは冷たいジュースがいいと要望を出していた。
ここまでお膳立てが出来ているのだ、厚意を有り難く受け取ろう。
「…他の、方々は少し減ってますね」
「ああ、別にこの場にどれだけ居ようとすぐに発とうと関係ないからな」
例の、空虚な運び屋であり、また必然とした「普通」
そこにも触れたい気持ちはあるが、今はゆらゆらと
口火を切りそうな佐雪の話を聞こう。
そこからでも切り口は如何様にも見えるはず。
「…何から話せば、いいのか」
「よい、お主の好きなように話せ」
「じじいくせぇ…本当にガキかよ」
さっきから素性そのものを疑われているが、やむなし。
中身は本当に爺だからな。
しかも一旦逝去してからの此度、信じるにはやや難儀するだろう。
そういうのは時間をかけて、おいおいとな。
「…まあ、ご察しの通り。俺と親父は血は繋がってない」
「…」
「三年前の戦で戦ったが、そこで戦えなくなった。そして逃げて…戦う事の不要さを知った」
逃げる、という事は別に恥じぬ。
命を優先する考えもまた当たり前。
しかし古臭い爺ならば、もし仮に生きていてその戦場に居るとしたら
戦えないという理由があってもそこで没する宿命を選んだかもしれん。
若さゆえの行動は、別に間違いではない。
だが…「戦う事の、不要さ」とは…
「それから、しばらくどこかを目指していた。特に決まった足取りじゃない。服を変え、飲み物や水を調達しながら。でも、意識的な感覚には乏しくてさ。途中で、普通の人にも会った。俺と同じ露払いじゃないさ」
「大阪府に逃げる人か」
「混乱の真っ最中だったしな。別に大阪府を全員が一斉に目指す事もない。各々の考えがあって放浪する奴もいるさ」
それもそうだ。
儂は敗戦を期した時から、全ての生き残りが大阪府に流れ込んだと思っていたが
人の在り方もまたそれぞれ、危険があろうとそうじゃない道を選ぶ者もいる。
だが、此処に居た運転手らしき人物の幾人は、望んだ放浪には見えなかったが。
「…一人ではない事の安心感ってやつかな。時にはぽつぽつと話し、雨宿りして、休む場所も一緒に探したりな」
「それ相応には、逞しい人物だったのだな」
「…ああ。俺が無力じゃなかったら。此処に居たかもしんないのにな」
―
その身体を、両手で慈しむように抱えて
幸せそうに、そして抱えられた獲物は声も出ない怯えの形相で
なにも、出来ない。
出来ないんだ。
だから、そんな顔で―
―「ウマァ」―
―…
「…途中、変な化け物が居ただろ」
「ああ、異形の何かだな」
「あれは【蚋】と呼ぶらしい。人間を上手そうに食べるなら引けを取らないんじゃないか」
それは、皮肉めいた言葉に聞こえた。
恐らく佐雪はその言葉通り、蚋に奪われた命に対して何もできなかったのだろう。
幾つかは抵抗もあったかもしれないが、改めて佐雪の刀に視線を移した。
それに気が付いた佐雪も己の刀を皮肉る。
「アンタはこの刀では斬れないといったな」
「ふむ、違うか?」
「いいや、その通りだよ。これは斬る刀じゃない。だとすると大体の事は分るんじゃないか、アンタには」
思考を巡らし、探し出す。
斬れぬ刀があるのなら、斬る刀もまたある。
その二つを以てして、成立する技の家元がある。
たしか昔にある「かまいたち」という妖怪の存在から、得た技術の家の名は。
「糸寄の家か」
「ご名答。そう俺は糸寄佐雪。そして…知ってると思うが斬る方が居る」
「血縁か兄弟か、まあどちらかだろう」
「兄弟さ、弟。迂雪…そいつが斬る方さ」
型は確か、体勢を崩す初手と、その崩れた相手を斬る二番手が居る。
それは一人で賄うのではなく、二人で一人の役とする。
しかし彼は「弟」と、言った。技量さもあるのだろうが、斬る型は恐らく兄にあたる
佐雪の役目ではないのだろうかと思った。
「…俺には斬るそのものの素質はない。だから弟が斬り方になった」
「で、戦えなくなった状況は、まあ予想がつく」
「すこし言葉に配慮しろよなー…ま、その通りさ」
戦えなくなった、すなわち
斬り方が居なくなった。
濁せばその言い方になるが、ストレートに言えば
「俺が、一手をヘマした。それは斬り方に対して命取りになる」
「…多少は避ける技量もあろう」
「でも、それがきっかけだ。気づけば迂雪は真っ二つになってた」
―
ふむ、佐雪には酷だが。儂には少し奇妙さを感じる。
本当に弟の迂雪が真っ二つに絶命したとあるならば、相手は戦場にて
相当の技量がないと無理だろう。
どれほどの混戦、想像はつかない。もっと静かなものなのかもしれないが
人を真っ二つにするのは、熟練の者でもそう上手くはいかない。
首をはねるという、昔の技量はあっただろうが。それとはまた違う。
―そいつは、普通の敵になるのか?
「あまりのショックで、逃げた。露払いとして最期に殉ずる事もなくな」
「…」
「俺はここに来るまでに、二人死なせたんだな」
少し、我慢しているのか
微細な佐雪の手の震えを感じた。
思い出したのか、不甲斐なさを嘆いたのか。どちらでもあるのか。
いずれにしてもここに来るまでの心痛は、儂には責める資格はない。
「…ようやく、たどり着いたのは。このドライブインだった。それまでにどれだけの時間がかかったのかは覚えてない」
「そこで俺が佐雪を見つけてな、保護したんだ」
「その時、腹が減っててさ。差し出されたカレーを貪り食った」
―自然と、その時の光景を瞼に見た。
スッと消えていく、その中で
カウンター越しに食事をする、佐雪と有賀。
出会えた縁は、本当に運がよかったか。あるいは望まれるべきものだったか。
「…それだけの、事しかない」
「…?」
「アンタは色々と何かを探し、知ろうとしているのだろうが。ここにはそういうものしかない」
儂が勝手に疑問に思ったことは幾つかあるが
それはこの二人にとって普通であり、儂が知ることに値しないと思っているのだろう。
確かに「そんなことも知らない」では、そこそこに素性を疑われる。
勿論今でも普通の人ではないのは周知だろうが、ここには佐雪がたどり着いた
ドライブインというものがあるだけで、それは儂が知る必要がない。と結論付けているのだ。
その切り口は、逆に。質問を困難にさせるな。
「まあ、何かここよりも多くの事を知りたければ。直接大阪府を目指すことをお勧めするぜ」
そう言う彼の眼差しは、さも当たり前のことを言っている。
悪びれも策略も、疑心すらない。
聞く事に釘を刺されたようなものだ。相手は無心だろうが。
「そうか…ならば儂も悠長にしている事もないな」
「…宗一郎様」
「少し休憩を取れた、それだけでもよしとする」
儂はそう言って席を立とうとした。
―
――
「…」
「…宗一郎様?」
どく、どくどくと
鳴るような足音、悪心なる気配。
此処に来るまでに一匹、塵にした。
何処かをなぜか、ざわざわと。移動している。
戦えぬ佐雪と、有賀。
此処で会った縁は、その場限りか?
否。こう言う事は幾らでもある。今までが幸運だったのだ。
ならば儂がここに置いてやれることは、一つしかあるまい。
「…佐雪。表に出よ」
「…へ?」
「お前が逃げて、ぼろぼろと零れ落ちたもの。その一つ一つをすくい上げて見せよう」
どく、どくは。
少しこの場を去った。
感じる程度であるが、遠くだ。しかしいつ近くなるかはわからん。
時間は有り余るものではない、有限だ。
「…儂には、お前をこういう形で何とかしてやる。位にしかできん」
「…」
―怖くなった、と言ったか。
そのままで良いなんて
佐雪が一番「思ってないであろう」
ーその2に続く】
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