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無限に続く有限の恋

作者: 青薔薇

誰も知らない未開の地。霧の濃い、深い深い森の奥。少年は途方に暮れていた。道に迷ったのだ。どれだけ進んでも同じ景色が続くだけである。そんな少年の前に、小さな白い小屋が現れた。小屋だけが不自然に佇んでいた。ついさっきまでは何もなかったかのように。


 恐る恐る扉を開けた。中はほんのりと明るく、薄曇りの窓からはかすかに陽の光が差し込んでいる。そして中央の食卓には一人の美しい少女が座っていた。どこか儚く、悲しみを美しさで繕っているかのような雰囲気を放つ少女。道に迷ったのだと伝えると、泊ってもいいと言ってくれた。夜が明けたら、帰り道を聞いて出ていこう。そう少年は考えていたのだが、帰ることはなかった。帰れなかったのだ。頭の中では帰らなくてはと思っているのだが、どうも足が外へ向いてくれない。さらに、少女を見るたびに帰らなくてはという気は薄れていってしまった。


 あれから何日経ったのか。三日、いや、十日は経ってしまっている。しかし少年は帰ろうとしない。少女は少年がいつまで経っても帰ろうとしないことに何も思っていない様子だった。ただ懐かしむように少年を眺めているだけだ。そんな中、少女はなぜだろうか、夜になると毎日少年に語りかけた。少女は少年にたくさんのことを教えた。


世界の大きさ


時の流れ


自然の美しさ


生命の神秘


運命…


中でも少女は言霊についてよく喋った。自分の言い放った言葉には霊力が宿りその通りのことが起きるのだという。辛いことを言えばそれが現実となる。だから、どれだけ苦しくてもそれは口に出すべきではない。そんなことを話す少女の姿はどこか苦しく、息の詰まるようなものがあった。少女はいつも遠くのほうを眺めていた。少女の藍色の目にはいったい何が写っているのか。少年はそんな不思議な少女に惹き込まれていった。


少女も次第に好意を見せてくる少年に対して親近感が湧いたようだ。少年に語りかける時のあの苦しそうな表情はいつしか笑顔へと変わっていた。二人は綺麗に磨かれた窓越しに空色の空を眺め、まるで時が止まったかのように何時間もそうしていた。


 少女は毎朝早起きしては、必ず外の植木鉢に水をやった。何を植えているのか尋ねても


「とっても綺麗なお花。あなたもきっと気に入ると思うわ。」


と言ってなかなか教えてくれない。少年はどんな花が咲くのか気になったのか、少女と一緒に水をやるようになった。




あれから数年が経った。少年は青年となっていた。少女は依然として美しいままだった。青年と少女は恋に落ち、愛し合う喜びを感じながら生きていた。彼らにとってお互いは何よりも大切な人だ。


 よく晴れた晴天の朝。彼らは出かけた。少し開けた草原に行き、そこで一点の雲もとどめぬ空を並んで眺めるのが日課だ。草原まで続く道はとても気持ちが良い。鳥のさえずりが耳を癒し、穏やかな風が吹き抜ける。小川では水はゆったりと流れ、そこで泳ぐ魚たちは輝いていた。


目的の場所に着くと二人は、優雅に揺れる草の上に寝そべった。


「君は相変わらず美しいままだな。」


「女性はいつまでも美しくなくちゃね。貴方に嫌われないように。」


少女は微笑んだ。空をひらひらと舞うオレンジ色の蝶を目で追いながら。


 いつもなら日が落ちる前までには帰るのだが、この日はずっと空を見上げていた。空は青空から夕焼け、そして夜空へと変わった。




青年はまだ満ち切れていない月を見て言った。「ほんとね。貴方と見る月だからでしょうね」


そして二人は暖かく穏やかな風の吹く草原の上で眠りに落ちた。


 次の日青年と少女が帰ると植木鉢ではアサガオの花が咲き誇っていた。


「ようやく今年も咲いたか」


青年は嬉しそうに言った。少女が大好きなアサガオ。少女は夏になると必ず水色のアサガオの種をまいて育てていた。この花は夏の朝、たったその短い間だけ美しい花弁を飾るのだ。少女はそんな儚い花が好きだった。夏露の付いたその花びらを


「やっぱり素敵ね」


とおっとりと眺めていた。


「君は本当にアサガオが好きだな」


青年はアサガオを静かに眺める少女にそう言った。


「自然はいつ見ても美しいわ。アサガオに限らずね。いつも違う顔をしている。ほら、見てごらん」


少女は周りをぐるりと指を指しながら見渡した。


「違う顔…」


青年も辺りをぐるりと見渡した。青年には少女が言っていることを理解できなかった。どこも昔と変わっていないように感じる。木々はゆったりと風に吹かれ、鳥はさえずり、時たま、動物たちが動いてガサっという音が鳴る。ずっとこの森にいるがいつ見ても、いつ聞いても変化はなかった。青年の疑問を感じと取ったのか少女はこう続けた。


「木々だっていつかは枯れるし、動物たちも死んでしまう。でも、また新しい命が芽吹く。森は常に新しいの。どこをいつ見ても違う顔をしている。私の周りは常に変わり続けているわ」


そんなことを言う少女に青年は尋ねた。


「どうしてそんなに森に詳しいのかい」


少し間があった。少女は答えた。


「何年もここにいるもの。嫌でもこうなってしまうわ。ここに立って森を眺めることしかすることがなかったのだから」


そういい終えると少女はおもむろに青年のほうへ視線をやり


「でも…」


「でも、貴方に出会えて本当に良かったわ。私はずっとここで独りぼっちだった。寂しかった」


「そうか。なら良かった。君の為になれたなら僕はそれだけで満足だよ」


 そんなこの上なく幸せな日々を過ごしてゆくうちに青年はあることに気が付いた。青年が年を重ねてゆくうちに少女の笑顔は段々とぎこちないものになるのだ。出会った時と同じ、あの時のような苦しさ交じりの表情。青年は訳を尋ねるべきか迷った。散々迷った挙句、彼はついに我慢できなくなって少女に訳を尋ねた。しかし、返ってきた返事は思っていたものとは違った。


「そうかな。私は貴方がいてくれてとても幸せよ。いつも元気を分けてもらっているの」


てっきり何か自分に対する不満や不安を言われるのかと思い身構えていた。青年の勘違いなのだろうか。単なる思い過ごしなら良いのだが。青年は少し不安を抱いたが、少女の幸せであるという言葉を信じることにした。




それからまた数年。青年は老人になった。老人はもう歩くことすらもままならなかった。彼らの日課は散歩から窓越しに見える景色を眺めることへと変わった。


「…窓を開けてくれるかい」


少女は老人の言う通り窓を開けた。外から少し冷たく気持ちの良い風と、森の動物たちの話し声が入って来る。


「この森はなんて神秘的なのだろうか。…あ、そうだ。そこにアサガオを持ってきておくれ」


老人はかすれた声で陽だまりを指さして言った。


「やっぱりこの花は素敵よね。」


少女は夏の朝の、暖かく優しい陽の光に当たり可憐に咲いたアサガオと、少女の頬をしわのある手で撫でる老人とを交互に見つめながら言った。


「そうだな。でも、君のほうが美しい…いつだって…」


老人はそう言いながらゆっくりと、でも確かに息を引き取った。まだ美貌を保ち続けている少女の頬を擦りながら。


 少女は泣き崩れた。自分が成長できないことを憎んだ。


なぜ自分は老いないのか


なぜ周りは老いるのか


なぜ自分は死なないのか


なぜ、なぜ、なぜ…


答えの出ない疑問が無限に浮かび宙を舞う。外では雨が降り始めた。やがて嵐になり木々は荒れ狂い、川は氾濫した。彼との思い出は一晩のうちにすべて流れ去ってしまった。少女の胸の中のもの以外は。あんなに優美に咲いていたアサガオの花ですら今では面影もない。


「はじめからこうなることはわかっていたのに。結末は知っていたのに」


 何回目だろう、こんな思いをするのは。何人目だろう、彼は。新しい人がここにやって来る度に少女は自分の境遇を憎む。私が一体何をしたというのだ。ただ普通に生きて、普通に成長して、普通に死ねたらそれで満足なのに。


「もう、自分一人だけでいいから」


人と出会えば別れは必ずやって来る。それならいっそ、もう誰とも会わず生きていたい。「もう、やめて」




 時はおとぎ話のように過ぎていった。幾千、幾万、幾億…


 


少女はまた、アサガオを眺めていた。もちろん水色の。


 ねえ、見て。今年も咲いたわよ。やっと咲いた。なんでこっちを見ているの。…え、ありがとう。でもこの子には敵わない。私には儚さがないもの。儚いものは神秘的で美しい。でも私は儚いものは一つとして持っていない。だから勝てっこない。…貴方は優しいのね。いつまでも傍にいてね。貴方さえ居れば私はそれだけで幸せだから。


 少女は遠い遠い昔を思い出しながら一人で呟いていた。あの時、愛してやまなかったあの人が、あたかも隣に居るかのように。


 幸福とは残酷なものである。人は常に幸せを求めて生きるが、少女にとってそれは不幸なのである。少女が幸福を感じていられるのはいつも、たったの数十年。その短く儚い幸福が醜い。何回それに絶望を味わわせられたことか。少女は後悔するたびにこの負の連鎖を断ち切ろうとした。どうすれば断ち切れるのも知っていた。「幸せを願わなければ良い」口に出さなければ良いだけなのだ。しかし、たったそれだけのことができない。これが幸福の、言霊の残酷さなのである。少女はまた、そんな幸福に敗北した。


少女は一人きりだった。孤独で寂しくて寂しくて仕方なかった。誰かに会いたい。少女は昔を思い出しては、あの頃の幸せに戻りたいと願った。


「誰か来て…」


少女がそう呟いたとき、周囲の空気が変わった。少女はしまったと思い口を塞いだ。しかしもう遅い。言ってしまった言葉は再び口に戻すことはできない。少女の放った言霊は、彼方へと飛んで行ってしまった。少女の手の届かない遥か遠くへと。






 そこは誰も知らない未開の地。霧の濃い、深い深い森の奥。小屋の外で足音がする。あの時と同じ音。扉がゆっくりと開かれた。


「綺麗なお嬢さん、こんにちは。少し道に迷ってしまってね…」


見知らぬ少年はそう言った。




…あぁ、始まる。


新しい物語が…


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