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【書籍化】皇帝陛下の御料理番  作者: 佐倉涼@5作書籍3作コミカライズ
春来の祝宴

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忍び寄る悪意

「ただいま、花見」

「おかえりだニャア」


 (くりや)に戻った紫乃は、そこでくつろぐ花見に声をかけた。


「異常なしかにゃ?」

「うん。問題ない。今、膳を持って行ったところだからしばらくは時間が空くよ。その間に私たちも腹に何か入れておこう」

「待ってました」


 朝からずっと気を張ってくれていた花見は、二股に分かれた尻尾をゆらゆら揺らしながら嬉しそうな声を出した。


「見張りしてくれている野菊(のぎく)も呼ぼうか」

「呼んでくるにゃあ」


 妖気に敏感な花見は野菊の居場所がすぐわかる。

 うきうきと言った花見は、野菊を呼び寄せるべく厨を出た。

 見送った紫乃はとりあえず作りおいてある豆腐で湯豆腐でも作ろうかと、竈門に火をくべるべく薪を放り込む。

 屈んで火加減を見ていると、誰かが厨へと入ってくる気配がした。


「頼まれていた壺、こちらに置いておきますね」

「あぁ。…………ん? 壺?」


 そんなもの頼んだっけ。必要なものは全て隣の貯蔵庫に運んであるし、今この厨に出入りできるのは紫乃と二匹の妖怪の他には、給仕番だけのはずだ。


「誰だ?」


 紫乃が顔を上げて見ると、そこには誰もいない。代わりに妙に古臭い、赤茶色の壺が置いてあった。


「何だ、これ……」


 紫乃が壺に近寄ると、ぞくりと悪寒が走った。

 よくよく見ると壺の蓋には何か札のようなものが貼ってあるが、蓋がずれて札は破れている。

 しゅうしゅうと、どす黒い霧がずれた蓋の間から漏れ出ており、ただならぬ気配が感じられた。

 どう考えても良い代物ではない。

 全身が金縛りにあったように動かなくなっているが、紫乃はありったけの力を入れて足を動かそうとした。

 背後では、先ほど紫乃がつけた竈門の炎がパチパチ爆ぜている。

 壺の間からぬぅと出てきたのは、紫乃の頭ほどもある前足だった。黒々とした毛に覆われ、鉤爪のついたそれが見えたと思えば、あっという間に全身が壺から姿を現す。

 ずるり、と出てきたのは、おおよそ壺の中に収まりきれないほどの巨躯。 

 屹然(きつ前)の山で何度も遭遇した虎に似ている姿は、しかし虎と比較にならないほどに獰猛で凶悪なオーラを発していた。

 赤黒い瞳が開かれて、紫乃を見据える。

 丸く大きな瞳と目があった瞬間、妖怪の感情が紫乃の中に流れ込んできた。

 底知れない憎しみ、怒り、そして…………。

 紫乃が動けずに立ち竦んでいると、妖怪は地獄の底から響くような低音で怨嗟の雄叫びを上げ、巨大な前脚を紫乃に向かって振り下ろした。


「っ!!」


 あまりに強すぎる一撃は、避けようにも狭い厨の中では逃げ場などない。

 直撃は免れたものの瓦礫が吹き飛び、土埃が舞い、余波で紫乃の体など簡単に宙へと打ち上げられる。


「うっ!」


 追撃の一手が紫乃に迫る中、誰かが紫乃の襟首を掴んで引き寄せた。


「紫乃、無事か!?」


 花見より太く逞しい体と声。聞こえたと思ったら、ドロリとした液体が額から口元まで伝わって来るのを感じた。唇に触れたそれは生暖かく鉄の味がする。痛い、と思った紫乃の意識は、そのまま闇に引き摺り込まれていった。



+++



「ふぅ……異常なし、と」


 野菊は貴人殿が一角、豊楽殿の周囲を見回りのためにぐるぐるとしていた。

 今は人間の姿ではなく、狐の姿である。

 塀の上にちょこんと座り込み、咲き誇る桜の花を眺める。


「綺麗ですのう」


 天栄宮(てんえいきゅう)は美しい場所だ。

 七十七年生きている野菊であるが、これほどまでに雅な場所は見たことがなかった。

 青塗りの豪奢な建造物、そこかしこに点在している手入れの行き届いた庭には木々や花は勿論、池までもが設られている。池に面して造られている東屋(あずまや)には、上質な着物を着た男女が寛いでいた。


「まるで桃源郷のようですのう」


 生まれてこの方、野山で育っていた野菊としては何もかもが目新しい。

 紫乃のおかげで天栄宮の中でも快適に過ごせるようになったし、ご主人に報いるためにもご主人の命を狙う刺客とやらから守らねば、と勢い込んだ。


「よう、野菊」

「あ、花見さん」


 野菊が塀の上で決意を新たにしていると、隣に音もなく先輩妖怪の花見がやって来た。

 花見は五百年生きている妖怪らしく、身のこなしが軽やかだし、身の内に秘めている妖力が野菊とは段違いである。

 花見を真似して野菊も人間に化けるときは幼子を模すようにしてみたのだが、そもそも花見が少年姿をしているのは紫乃姐さんへの配慮から来ている、とついこの間教えてもらった。

 何でも出会った時の紫乃姐さんはまだあどけない子供だったらしく、姐さんを怯えさせないように同じ年頃に化けるようになったのだとか。

 その姿がすっかり定着してしまい、今でも少年姿でいるのだという。

 そんな少年姿の花見は塀の上で器用にバランスをとりながら、野菊を見て言った。


「休憩にして、飯にしようって紫乃が」

「本当ですか!」


 野菊は目を輝かせた。

 紫乃姐さんの作る料理は美味い。

 何でも美味いが特に野菊のお気に入りは稲荷寿司である。元々油揚げが好きで、里に降りてはこっそり盗み食いをしていた野菊だが、紫乃の稲荷寿司を食べてしまったらもう他のものなど口に出来なくなってしまった。

 醤油と砂糖がしみしみに染み込んだ、油揚げ。中に入っている程よくピリリとした、山葵(わさび)菜が混ぜ込まれた酢飯。

 こう、噛むとじゅわあ〜っと旨味が口の中に広がるのだ。じゅわあ〜っと。


「今日のご飯も、稲荷寿司がいいですのう」

「今日の紫乃は稲荷寿司を作ってる余裕はないと思うにゃあ」


 至福の味わいを思い出し、頬を抑えて涎を垂らしている野菊に花見は呆れの目を向けていた。

 と、呑気にそんな話をしていたら、突如悪寒のようなものが全身を駆け抜けた。

 凄まじい妖気が天栄宮の中に放たれ、それが野菊の体を蝕む。


「!?」

「にゃんだ……この妖気!?」


 花見も同じく感じ取ったらしく、塀の上から出どころを探った。


「近い……これは、豊楽殿(ほうらくでん)の中……!」

「花見先輩、姐さん!」

「わかってる!!」


 野菊と花見は塀の上を蹴って走った。

 嫌な予感がヒシヒシとする。妖気の出どころは間違いなくこの近く、豊楽殿の中。

 そしてさらに悪いことに、厨の方から発せられている。

 二人は全力で駆け抜け、厨の中に飛び込んだ。


「紫乃!!」


 火の手があがる厨では、意識を失った紫乃が、凱嵐(がいらん)にかばわれて虎の姿をした化け物と相対していた。


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