旧知の仲
ざわめく豊楽殿は先程の桜雲殿での華やかながらもどこかピリピリとした雰囲気の祝宴とは異なり、気安い者のみが集まった砕けた空気が漂っていた。
紫乃はその中で、大鈴と給仕番たちと共に豊楽殿の宴席へと向かう。
言わずもがなの毒見のためである。
膳を捧げ持つようにしてぞろぞろ連なる給仕番の先頭を大鈴が進んでいき、豪華な牡丹と山海の絵が描かれた襖の前でぴたりととまる。
そして膳を床へと一度置くと、正座をし、襖の奥に向かって声をかけた。
「失礼いたします。宴の膳をお持ちいたしました」
「入れ」
その声とともに襖が見張りの兵により左右に開かれると、紫乃と給仕番はその場で平伏をした。
「顔をあげよ」の許可で皆が上半身を起こす。と、周囲から喜色の声が上がった。
「あら、大鈴! 久しいわねえ、まさか貴女ほどの人物が一介の給仕番をまだ勤めているだなんて。勿体無いわね」
紫乃が見てみると、凱嵐のすぐそばにいる、蒼い着物を着た壮年の女性の声であることがわかった。大鈴はこれに対してしずしずと返事をする。
「天音様、恐れ多い事にございます」
「まだ結婚はしていないの?」
「私に結婚など。陛下のお側に支えられれば、それで満足にございます」
「ですってよ、雷震。好機ではなくって?」
天音と呼ばれた女性は、斜め向かいに座っている青年に声をかける。するとちょうど盃を傾けていた青年は驚いてむせ返り、ゲホゲホと咳をした。
「……何をおっしゃるのです、母上……!」
「うかうかしていると、他の殿方に取られるわよ。何せこれほどまでに強く美しい女性、そうはいないのだから」
「そのようなことは大声で申さないでください!」
紫乃はじっと顔を赤くする青年を観察してみた。
後宴の参加者一覧表はもらっていて目を通してある。
黒髪の雷震と呼ばれた青年は、凱嵐の弟だ。御年は二十歳。凱嵐に似た顔立ちはキリリとしていて精悍だが、どこか優しさが滲み出ているようだった。
盃を持った凱嵐が、大口を開けて笑った。
「はっはっは! 大鈴の相手が雷震ならば安心だ。大鈴が俺の親族になると言うのも面白い話だな」
「私などが皇族など、とんでもない……! 私はただ、陛下のお側で仕えられれば十分でございます」
大鈴が慌てたように謙遜するも、周囲は勝手に盛り上がっていた。
「私は賛成です、母上。大鈴ほどの者が一介の給仕番など、もったいないと常々思っていたのです。何せ敵方に一人乗り込んでは有益な情報を掴み、ひとたび戦いとなれば容赦無く剣を振るう。全く剛岩の気質を継いだ、強い女子です」
「まあ、貴女もですか、風呼」
「僕もですよ、母上。兄上にふさわしいお人かと!」
「烈牙も。ほぉら、ご覧なさい。もう決まりではないですか」
天音は楽しそうな口調であるが、その瞳の奥には「逃がしませんよ」と言いたげな鋭い意志が宿っている。大鈴は困ったように眉根を下げていた。
助け舟を出したのは、最奥に座る凱嵐である。
「母上、姉上。俺の臣下をあまり苛めるな。それに雷震。剛岩の男たるもの、欲しい女子がいるならば自力で振り向かせてみろ。権力を使って大鈴を娶ろうと言うのであれば、俺が許さん」
「重々承知しておりますよ、兄上」
雷震は羞恥のためかまだ頬に赤みが差しており、若干の威嚇混じりにそう凱嵐に言葉を返している。
末席に連ねていて、つまりこの場で最も紫乃からの距離が近い賢孝が一連のやり取りをおもしろそうに眺めていたが、ひと段落ついたのを見計らって口を開いた。
「剛岩の皆様方。久方の顔合わせに心躍るのはわかりますが。御料理番が少々戸惑っております」
「おぉ、そうであった。大鈴、皆の前に膳を。紫乃、こちらへ来い」
「はい」
言われて紫乃は自分の毒見用の膳を持って、皇族の居並ぶ広間の隅を通り凱嵐の側まで行く。少し離れたところで座ったのだが、「もう少しこっちに寄れ」と言われて正座のまま凱嵐の手が届くか届かないかのギリギリの場所までにじり寄った。
「なんだ、距離があるな」
言うが早いが凱嵐は少し体を傾けて左手を伸ばすと、紫乃の肩を抱いた。それからぐいと己の方へ抱き寄せ、皆の前に紫乃が良く見えるよう紫乃の体を正面へと向ける。
「!?」
期せずして皇帝の隣に並ぶというとんでもない事態に陥った紫乃は驚き声にならない声をあげて凱嵐を見上げたが、彼の方は全く御構い無しであった。
「皆の者、夕餉の御料理番頭の紫乃だ。こやつの作る料理は格別でな、今日の後宴の肴も紫乃が作ったのだよ」
すると集った面々は、己の前に出された膳に釘付けとなった。
一人の壮年の男が感心したような声をあげる。おそらくは凱嵐の父、我雄だ。
「ほう、こやつに太鼓判を押されるとは中々な料理を作るのであろうな」
「剛岩にいた頃には丸焼きの猪を食べることも厭わないような息子だったのに、随分と上品になったことですわねえ、あなた」
「違いない!」
「紫乃、料理の説明を」
「はい」
紫乃は凱嵐に肩を抱かれたまま、料理の説明をする羽目になった。
「まず一品目は豆腐田楽。味は胡桃味噌、木の芽味噌、醤油と花鰹の三種類用意しております。
それから二品目は、時雨卵。蛤を入れて蒸し上げた卵焼きにございます。
三品目は春の雨と題した、白魚の梅肉和え。しとしとと降り注ぐ静かな春の雨に見立てた白魚を、梅の肉で和えた一品です。
四品目は霰豆腐の山椒振り。一口大に切った豆腐を油で揚げ、山椒を振りました。
五品目は巻き鯛。真鯛を昆布で巻き込んだ一品で、噛み締めるほどに旨味が味わえます」
紫乃の説明に、居並ぶ面々はほぅ、と感心したようなため息を漏らす。
天音はじっくりと料理を見ながら、紫乃に言った。
「一品一品、とっても手が込んだ作りになっているのね」
「うむ。剛岩では出てこぬ類の料理だな」
我雄の言葉に、少し離れたところに座っている風呼が相槌を打った。
「あの凱嵐がこのような料理を好むようになるとは、全く人というのは変わるものだな」
「俺は今でも猪の丸焼きだろうが鮎の踊り食いだろうが、喜んでするぞ。ただ、紫乃の料理は見た目だけでなく味わいも一品だ。繊細な中に芯の通った美味さがある。食べればわかるぞ」
紫乃が毒見を済ませた後は、皇族の各々が箸を手に料理に手をつける。
一口食べると、顔つきが変わった。
「うむ! この田楽は本当に美味いな。ピリッとした木の芽味噌が効いている。豆腐の固さも程よくて、噛むと大豆の味わいがしっかりとする」
「私はこの胡桃味噌が気に入ったわ。甘味のある味付けが上品だこと」
「母上、花鰹と醤油も絶品ですよ」
「あら、本当ね風呼」
料理の評判が上々で、紫乃としては嬉しい限りだ。よしよし、と内心でほくそ笑みながら、そろそろ下がっても良いだろうと膳を持ち上げた。
「それでは、失礼いたします」
頭を下げて広間を退去する。
歓談する一団をもう一度だけ見ると、凱嵐はなんとも言えないくつろいだ表情を見せており、あの賢孝までもが楽しそうにしている。
襖を閉めてから大鈴と並んで歩いた。
「仲の良さそうな家族なんだな。賢孝様までが滅多に見せない笑顔で、驚いた」
「命を預けて戦った、旧知の仲の方達でございますから」
やんわりと笑う大鈴の表情もいつもより弾んでおり、どこか懐かしげだ。
「大鈴はあの中に混ざらなくてもいいのか?」
「とんでもない。恐れ多いですよ」
大鈴は黒く濡れた瞳を大きく見開き、左右に首を振る。それから目を細めて、どこか遠くを見るような目つきになった。
「私は所詮、卑しい出自……あの方達の中に混ざるなど、身に重すぎます。こうしてお側で働ければ、十分なのです」
紫乃は控えめすぎる大鈴の話に、首を傾げる。
「ならば私ももう少し、身の程を弁えないといけないな」
「その辺りは、お考え次第だと思いますよ。少なくとも紫乃様の体はお綺麗でいらっしゃいますから」
「…………? 大鈴だっていつも清潔にしているだろ。髪からいい匂いがする」
紫乃がそう答えると、大鈴は目を細めて笑った。
「ふふ。紫乃様のそのように美しい心根が、私は大好きです」
「そう? ありがとう。私も大鈴が好きだよ。何せこの天栄宮に来た時、真っ先に味方してくれたから」
「それはもう。陛下が直々にお連れなさったお方が、悪いお人なはずありませんもの。さ。私たち給仕番はお酒の追加を運びますので、ここで失礼させていただきます」
「ありがとう。私は厨に戻るよ」
給仕番たちは素早く酒を広間に持ち運べるよう、厨よりも広間に近い豊楽殿の一角で待機をしている。紫乃とは別行動だ。
後宴で出す料理は後は一品。〆に雑炊を用意すればいい。
「先に花見にご飯出すか」
紫乃は自分の分の毒見を済ませた膳を持って、厨へと戻っていく。
背後では、凱嵐たちの親族が楽しそうに談笑する声がわずかに聞こえていた。





